私はいつか旅がしたい
アメリナがゼフィルやヴィオールと過ごすようになってから三年が過ぎた。
相変わらずの鍛錬や勉学の日々を送っていたアメリナは八歳になった。この三年間、しっかりした食事と適度な運動(という名の鍛錬)を受けたアメリナは、三年前とは違い、身長が伸びて顔色も良くなり笑顔も増えて年相応の少女になっていた。そして何より、ヴィオールの教えに音をあげずについてきたアメリナは、そこら辺の兵士なんかよりも遥かに強くなっていた。しかし。
「あー!また負けたー!」
「フッフッフ…。この俺に勝とうなんてまだまだ百年早いぜー、アメリナ!」
訓練用の木刀を吹っ飛ばされてその場にしりもちをついたアメリナに対し、その原因を作ったゼフィルは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
ゼフィルはアメリナよりも強い。それは男女の違いから来るものというよりは、元の能力――陳腐な言い方であれば才能の違いである。かつて強大な力を持った魔竜を、その身一つで戦い勝利を収めた『剣聖』の遺伝子は伊達ではないようだ。勿論ゼフィルはそれに見合う努力もしているし、ただ才能だけの問題ではない。
アメリナもそんなゼフィルを見て落ち込んだり僻んだりすることなく、真っ直ぐ強くなる道を選ぶという素直な性格の持ち主である。だからこそ二人は、幼馴染で親友でライバルといった対等な立ち位置にいられるのだ。
「そう言えば、今日は城に旅の一座が来るんだって。」
「旅の一座?」
訓練が終わった後、今思い出したとばかりのゼフィルの発言にアメリナは首を傾げた。
「あ、アメリナは知らねえのか。旅の一座ってのは、この世界各地を巡って自分たちの芸を見せることで生きている旅人のことだよ。」
「へー……。」
ゼフィルの説明を聞き、アメリナは旅の一座に興味を示した。世界は広いと知識で知っているとはいえ、やはり見たことのないものは気になるのだ。
「……興味あるなら、一緒に見に行くか?」
「ゼフィル?」
「いや、俺も興味あるんだ。じっちゃんにも許可をもらって庭園まで行くつもりだから……。まあ、アメリナが良ければ、だけど。」
「行く行く!!」
ゼフィルの申し出にアメリナはすぐに食いついた。こうして二人は練習着から着替えて身支度を整えると、ヴィオールに従って庭園まで行くことになった。
庭園は城の門をくぐり、外壁に沿ってしばらく歩くとたどり着く場所にある大きな広場のことだ。ちょっとしたガーデンパーティをすることもできるようにと道は最低限にして、広く芝生を植え付けてある。常に庭師により季節に合った花や樹木が植えられて人々の目を楽しませてくれる。
いつもアメリナたちが生活しているのは、庭園側とは反対向きに外壁に沿って歩くとたどり着く、兵士詰め所や鍛錬場の周囲なのでめったに庭園側に行くことはない(余談であるが、アメリナが好きな時計塔は門から見て真逆の位置にある)。
田舎の小国にあまり旅人が寄ることはなく、さらに今回来ている旅の一座はこの世界でも有数の有名一座であるため、国は国賓に近い扱いをいている。そして今日だけは城の中で興行をすることを許し、市民も(厳正なボディチェックを行いクリアした上で)一座の興行を見に来ることを許可していた。
兵士たちは厳戒態勢を敷き空気もピリピリしているが、興行を見に来た人々はそんなことは気にせずに祭りのような感覚で楽しんでいた。勿論、アメリナとゼフィルもだ。
「すっごーい!!花弁がたくさん飛んできた!」
「お、なんかあっちで面白そうなことやってる!行こうぜアメリナ!」
「あ、待ってよゼフィル!」
子供たちがキャッキャとはしゃいでいるのを見てヴィオールは静かに微笑んで見守っていた。日頃は訓練だ勉強だ等と言っているが、やはり子供らしくはしゃぐ時間も大切だとヴィオールは考えていた。楽しそうな二人を静かな足取りで追いかけると、そこでは若い吟遊詩人が歌を歌っているようであった。
――剣士は高らかに剣を翳し、賢者は美しく杖を掲げる。
――射手は激しく弦を引き、聖女は静かに祈りをささげる。
――そして魔の竜は滅びを迎え、誇り高き戦士は英雄となる。
アメリナとゼフィルは目を輝かせて歌に聞き入ったが、ヴィオールは気恥ずかしさから全力で目を逸らした。自分を題材にした歌は恥ずかしくて仕方がないのだ。
英雄を称える歌を歌い終わった吟遊詩人は大きな拍手と歓声、ついでにおひねりも受け取り、気が良くなったのかさらに別の歌を歌いだす。
それは他の国に古くから伝わる御伽話だったり他の地方の伝統的な歌であったりと、聞いたことも見たこともないような不思議な世界が歌に乗せられ、アメリナは魅入られたようにずっと歌に耳を傾けた。
気が済むまで歌い終えたのだろう、吟遊詩人は優雅に一礼してその場を去っていった。吟遊詩人がいなくなったことで人垣は少しずつ解散していき、一人また一人といなくなっていった。
「すごかったな、アメリナ!……どうしたんだ?」
ゼフィルは静かなアメリナに不思議そうな顔を向ける。しかしアメリナはそんなゼフィルの声が聞こえていないようで、魂でも抜けたかのように放心していた。
「おい、アメリナ!」
ゼフィルが肩を揺さぶると、ハッとしと様子でアメリナは意識をゼフィルに向けた。
「どうしたの、ゼフィル?」
「そりゃあ、こっちの台詞だ。どうしたんだよ、ボーとしちまってさ?」
「……えっと。」
ゼフィルの訝しげな様子な顔に対して、アメリナはぼんやりしていたところを見られていたことが急に恥ずかしくなって少し頬を赤くして目線を逸らした。ゼフィルはそれが何だか面白くなくて、意識を向けさせるようにアメリナの腕を強く引いた。
「あっちにも面白そうなものがあったぜ!ボーとせずに見に行くぞ!」
「ちょ、ちょっとゼフィル!」
ゼフィルに引っ張られたことによって倒れそうになった体制を、アメリナは慌てて立て直してゼフィルに「急に引っ張らないでよ!」などと軽く文句を言いつつ腕を引かれるままについていった。
「若いのぉ。」
そんな姿をヴィオールは慈愛の眼差しで見つめていた。
しばらく色々な所を見て回っていた三人であったが、一瞬の隙にアメリナはゼフィルとヴィオールの二人とはぐれてしまった。
「…どうしよう。」
周りの人々はアメリナのことが見えていないかのように素通りしていく。一人ぼっちであるということに心細くなったアメリナは、涙を溜めながら辺りを見回しつつ小走りで二人を探す。その間に何人かの人とぶつかるが、ぶつかった人々は直後は訝しげな表情を浮かべるが、誰もアメリナの存在に気が付かないように無視していく。
(また、無視されているの……?)
ついにアメリナは恐怖で俯いて泣き始めた。やはり、誰もアメリナを見ない。
「どうしたの?迷子かな?」
突然声をかけられて驚いたアメリナが顔を上げると、そこにいたのは先ほどの吟遊詩人だった。
「そっか。連れの人たちと逸れちゃったのか。しかも、誰も気が付いてくれなかったんだね。」
「はい……。私、また一人ぼっちになっちゃうのかな?」
庭園の隅の方にあるベンチで吟遊詩人とアメリナは座り話をしていた。彼は落ち込んでいるアメリナを励ますように声をかける。
「ねぇ、君はこんな話を知っているかな?」
「?」
「この世界にいるわずかな人たちが持っている『キセキ』の話。『キセキ』にはいろんな力があるんだ。例えば動物と心を通わせたり、植物と会話をすることが出来たりする。それは精霊の加護によって与えられる『精霊の宝石』の力を遥かに超える、多彩な力なんだ。」
「へぇ!すごい!」
アメリナには『精霊の宝石』が何かは知らないが、動物と心を通わせたり植物を会話をすることが出来るということに純粋に感動した。吟遊詩人はさらに話を続ける。
「ある国では『キセキ』の力で国を救ったという伝説があって、また別の国では『キセキ』の力で争いを呼んでしまったという昔話もあるんだ。世界は本当に広い。僕はしがない吟遊詩人だけど、少しでも自分が見た感動を人に分け与えたいって思っているんだ。」
「……。」
「僕は色々あって旅をすることになったんだ。勿論、いい事ばかりじゃない。つらいことも悲しいこともたくさんある。それでも、僕はこの一座の人たちと旅が出来て幸せになった。自分は一人じゃないって教えてくれる仲間たちがいるからね。君は一人だって言ってるけどそんなことはないよ。世界は皆が思っているより広いんだ。きっと、君のことを見つけてくれる仲間が出来るよ。」
だから、大丈夫。吟遊詩人はそう言ってアメリナの頭を撫でてくれた。その手の温かさに、先ほどとは違う理由でアメリナは泣きそうになった。
「はい……!」
アメリナは精一杯の笑顔を吟遊詩人に向けた。彼は少し驚いた表情をしたが、アメリナに同じように優しく微笑み返した。
「アメリナーーーー!!」
突如、大きな声を上げてゼフィルがアメリナと吟遊詩人の間に割って入って来た。突然のことに面くらった二人はゼフィルをまじまじと見る。ゼフィルは吟遊詩人を睨みつけて指を突き付ける。
「おい!お前、アメリナを泣かしたのか!?」
「え、えぇ!?」
いきなりの発言に吟遊詩人が困惑していると、ゼフィルの頭から何か鈍い打撃音が響いた。
「何をしとるんじゃ、馬鹿ゼフィル!!」
ヴィオールの声が響く。どうやら打撃音はヴィオールのげんこつの音だったらしい。いつの間にかヴィオールはゼフィルの首根っこを掴み、しっかりとお灸をすえた様だ。
「アメリナ、すまんかったな。大丈夫か?」
「はい。大丈夫です、ヴィオールさん!」
「貴方も、うちの愚孫が迷惑をかけて申し訳ない。」
「い、いえ……。」
ヴィオールはアメリナに優しい表情を向け、心底ほっとしたという思いが伝わってくる。そのまま彼は吟遊詩人に真摯な態度で謝罪をする。突然の展開についていけないようで吟遊詩人は目を白黒させたが、何とか反応できたようだ。
「この子を保護してくださり、感謝申し上げる。」
「そんな固い事言わなくて結構ですよ。困った時はお互いさまですから。」
「ほれ、お前も謝れ。ゼフィル。」
ヴィオールは深くお辞儀をしながら重ねて吟遊詩人に礼を述べる。吟遊詩人は人懐っこい笑顔で笑っていた。ゼフィルはヴィオールに促され、むくれた表情のまま棒読みで「すいませんでしたー。」と呟いた。その態度が気に食わずヴィオールは、ゼフィルのこめかみ当たりを拳でぐりぐりとしていた。
ゼフィルの「じっちゃん、痛い!」と喚く声と吟遊詩人の「気にしてませんから!」という説得の声。そんな様子を見ながらアメリナは静かに笑った。
吟遊詩人と別れた後、ゼフィルはずっとアメリナの手を握っていた。それを少し気恥しく思いながらも、迷子になったのは他でもない自分だったので大人しくされるがままになっていた。
そしてアメリナはこの日の吟遊詩人との出会いを通じて漠然とだが思うようになるのだ。
――「いつか、旅に出てみたい。」と。