『魔竜殺しの英雄』と私の名前
『じっちゃん』とゼフィルに呼ばれた老人はゆったりと、しかし隙を感じさせない動きで二人に近づいて来た。
「全く…。訓練が終わった後どこに行っていたのかと思っておったが…。」
「じっちゃん!なんでここにいるんだよ!?」
「後をつけた。なんじゃ気付かんかったのか。まだまだ青いのぅ。」
「え、えぇー!」
『じっちゃん』はゼフィルが動揺している反応を面白がっているようである。その時『じっちゃん』は視線をあっけにとられて二人を見ていた王女に向けた。彼女を確認すると驚いたように目を丸くしてまじまじと王女を見ていた。彼は恐る恐る彼女に声をかけた。
「もしかして…貴女様は第一王女様ではございませんか?」
「…まわりのひとたちはみんなそういうけど。」
王女のその返答だけで『じっちゃん』は納得したようで、「そうか…。」などと呟いていた。そのやり取りを見ていたゼフィルは『じっちゃん』の服の裾をくいっと引っ張っていた。
「何じゃ、ゼフィル。」
「なあじっちゃん、『だいいちおうじょさま』ってなんだ?」
…しばしの沈黙。
「…ゼフィル、ワシはお前の教育に失敗してしもうたらしいのぅ。」
「?」
『じっちゃん』は肩を落とし、ゼフィルは本当に分からないようで非常に困惑している様子であった。王女はそんな二人を見て、
(おもしろいひとたちだな。)
と暢気に思っていた。
しばらく『じっちゃん』がゼフィルに王女についての説明を行うと、ゼフィルは納得したように彼女に向かって話しかけた。
「へえー。おまえっておうじょさまっていうえらいやつだったんだな!」
「こりゃ、ゼフィル!王女様に向かって『お前』だなんて…、なんという口の利き方をするんじゃ!」
ゼフィルの礼儀の欠片もない言葉遣いを『じっちゃん』はだ叱るが、ゼフィルはきょとんとした顔をした。
「だっておれ、こいつのなまえしらないからなまえでよべねぇもん。」
ゼフィルに言われた言葉を聞いて『じっちゃん』は、何かに気が付いたような、驚いたような、何とも形容しがたい表情を浮かべてゼフィルから王女に視線を動かした。
「えっと…、なに?」
「失礼ですが、王女様。お名前を窺っても?」
「………ない。わたし、ゼフィルみたいななまえ、ないよ。」
「…!?」
王女が『じっちゃん』に言葉を返すと、さらに彼の顔色が悪くなり王女は困惑した。
「どうしたの?」
王女が見かねて『じっちゃん』に声をかけると彼はいきなり地面に座り頭を下げた。これはこの国で本当に悪いことをしたのを謝るための動作なのだが、このことを王女は当然知らない。王女は、いや『じっちゃん』の隣にいたゼフィルも、彼の突然の行動に驚いて目を丸くしている。
「本当に申し訳ありませんでした!!」
『じっちゃん』のいきなりの謝罪の意味が分からず、王女は首を傾げた。
「『もうしわけありません』ってなに?」
「心の底から悪いことをしていたことに気が付いて謝っているのです。」
「あやまる?どうして?」
王女が不思議そうに聞くと『じっちゃん』は顔を上げた。その表情は真面目なものであった。
「第一王女様に名前がないことがおかしいと思ったことがなかったからです。」
王女は彼の言っていることが理解できず、ますます首を傾げた。
「そういうものじゃないの?」
「違います。」
『じっちゃん』はそういうとすっと立ち上がり王女にこういった。
「今から王様と王妃様…貴女のお父様とお母様に会いに行きましょう。」
王女は心底驚いた。話にしか聞いたことのない『父親』と『母親』に会えるとは思ってもみなかったのだ。
その謁見要請は突然だった。しかし彼を、『魔竜殺しの英雄』…ドラゴンスレイヤーと呼ばれる『剣聖のヴィオール』の要請を、無下に出来る者などこの国には居なかった。
この世界には『魔獣』と呼ばれる好戦的な生き物がいる。彼らがいつ、どのようにして生まれたのかは誰も知らないが、この世界の人類は『魔獣』という脅威と共に生き延びていた。
しかし、五十年ほど前だろうか。突如現れた桁違いの力を持った魔獣、『魔竜』によって人類は滅びを迎えそうになっていた。圧倒的な力の前になす術もなく、人々は恐怖し、絶望するしかなかった。
そんな中、『魔竜』を退治することができた者たちがいた。彼らは多くの人々から『魔竜殺しの英雄』と称えられたのだ。年を経るにつれ、英雄は一人、また一人とこの世を去り、英雄の最後の一人『剣聖のヴィオール』が終の棲家として選んだのがこのセレスティア王国だったのである。国王は彼に王国の兵士たちの剣の指南役を頼み、ヴィオールは自身の孫を訓練に一緒に参加させることを条件にその要請を受けたのであった。
話を戻す。そんな『剣聖のヴィオール』からの突然の謁見要請を、国王と王妃は嫌な顔一つせずに応じた。
「ヴィオール=ガージェスです。このたびは突然の謁見要請に応じていただき、ありがたく思います。」
「…気にするでない。面を上げよ。」
国王の許可を得て『じっちゃん』…ヴィオールは顔を上げた。
「それで…要件は何かしら?」
王妃が困惑したように要件を切り出す。いや、王妃だけではない。国王も、謁見の間にいる兵士も皆困惑をしていた。
ヴィオールの後ろには幼い子供が二人控えているのだ。
町人の服を着た少年はヴィオールと同じ臣下の礼をとり、上質な素材のワンピースを着た少女は謁見の間に入る前からうつむいたままで決して顔を上げなかった。
「はっ。それはここにいるお方のことについてです。」
そう言ってヴィオールは周りの空気を気にすることなく、女の子の傍までよってその背中を軽く叩いた。それが合図だったのだろう。女の子はゆっくりと顔を上げて、王様と王妃をまっすぐに見つめた。
「………。」
「おい、なんかいえよ!」
「ゼフィル、お前は静かにしていなさい。」
暗めの赤髪をした女の子は紺色の瞳を不安そうに揺らしながら、静かに王様と王妃を見ていた。あまりにも静かだったのが気になったらしい黄土色の髪の男の子―ゼフィルが、意思の強そうな緑がかった青目を女の子に向けてしびれを切らしたかのように叫んだ。それをヴィオールが厳しい表情で諫める。しかしゼフィルはヴィオールを睨みながら苛立ちを隠さずに言い放った。
「だって、おーさまとおーひさまがあいつのとーさんとかーさんなんだろ?ここにあいつのとーさんもかーさんもいるのに、なんではなしかけないんだよ!」
「ゼフィル!おとなしくしているといったから一緒に連れて来たのじゃぞ!もう約束を破る気か?」
「だってよ、じっちゃん…。あいつは俺と違ってとーちゃんにもかーちゃんにもすぐあえるのに…。なんでなにもいわないんだよ…。」
ヴィオールがゼフィルのやり取りを聞いていた王様と王妃をはじめ、皆の空気が変わった。ここにきてやっと少女の正体に思い至ったのだ。
「…フィーリア様の、姉。」
「第一王女様だ…。」
「一体何をしに来たのだ?」
周りに控えていた兵士たちが小声でささやきあう。流石に本人を前にして『平凡王女』などと蔑む人間はいなかったが、謁見の間は忘れ去られた王女が何をしに来たのだという疑惑と困惑の空気に包まれた。
幼い王女が両親を前にして黙り込んだ理由。それは聡い彼女が気が付いてしまったからだ。
(わたしのこと、わすれていたんだ…。)
家族とは何だろう。ゼフィルが自分の家族のことを話していた時のことを王女は思い出していた。
『おれにはとーちゃんとかーちゃんはいないけど、ふたりともおれのことをいまでもあいしているんだってじっちゃんがいってた。』
ゼフィルの記憶にないくらい小さいときにゼフィルの父親と母親は流行り病で亡くなっていたのだが、難しい事情は王女に分かっていない。しかしゼフィルは、今はいない両親のことも厳しくも優しい祖父のことも…家族が大好きだと言っていた。そしてその気持ちは王女にも伝わっていた。
王女はその話を聞いてから『家族』とは何かとずっと思っていた。ヴィオールについて行って、家族の前に立てば『家族』が何か王女はわかると思ったのだが…。
(…やっぱりわからない。)
『家族』って何だろう。
「…王様、王妃様。第一王女様のお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「…え?」
長い沈黙に耐えかねてヴィオールが口火を切る。呆然としていた王様は呆けたようにヴィオールに反応した。
「ですから、王女の名前をお聞きしたいのです。」
「そ、それは…。」
流石にばつが悪くなったのだろう。王妃が言葉に詰まりながらヴィオールたちから視線をそらした。
妹のフィーリアは燃えるような赤髪と美しい赤紫色の瞳を持つ美少女で、その存在感や愛らしさから実の両親すらフィーリアに夢中になっていた。しかしそれが姉の存在を忘れてもいい理由にはならない。まっとうな神経をしている親ならばそのことに気が付いただろう。
「もしお名前がないというのならば、僭越ながら私が王女の名付け親になりたいのです。」
「何?」
「…よろしいでしょうか?」
「…構わぬ。」
流石に王様は驚いたような顔をしたが、ヴィオールの有無をも言わさない眼光におびえヴィオールの名付けを許可した。…もともと上の娘のことを忘れていた彼は彼女の名前を考えていなかった。
「では、古の軍神の名前・アメリナと、私の名前・ヴィオールの一部から名前をとり、『アメリナ=ヴィオ=セレスティア』と名付けさせていただきます。そして、今日から彼女を私の弟子としましょう!」
ヴィオールは王女の、アメリナの肩を支えながらそう高々に宣言した。これは実質、アメリナの後ろ盾にヴィオールが付くということであり、これ以上彼女に対しての無体な行為は許さないという無言の圧力でもあった。
「…アメリナ。わたしは、アメリナ…!」
ヴィオールに支えられながら、自分の名前を得たアメリナは小さく微笑んでいた。




