奈落の底
白髪混じりの髪を揺らし、少し伸びてきた髭を撫でながらニヤリと口角を上げ、端正な顔を歪めてクツクツと笑っている。
まさしくエルの壮年版の姿のような父は、中世的な面だけ抜けて、無駄にカッコイイ頼れる大人の顔をしているのに、新しい玩具で遊ぶことに楽しみで仕方のない子供のような顔をしている。
いい具合に調子に乗り始めた父に、あと一歩だと頭をフル回転させ、言葉を慎重に選ぶ。
冷や汗が流れそうになるも、心は冷静に、自分を保っていた。
「浅ましくも、旦那様に支配されたく存じ上げます」
「ふっ…いいだろう。そんなに言うなら使ってやる」
魔法陣の光が弱まり、足の拘束が解ける。
ふわりと風が舞い、魔法陣が消えていく。
「逃げるなよ。逃げたら殺す」
父がスイッチを押すと床が凹み、見た目はなんの変哲もなさそうな鉄の椅子が出てくる。
しかし、天井からは鉄のヘルメットのような頭にはめる装置がチューブに繋がってずるりとはいでて来る。
ヘルメットの裏側には幾重にも魔の呪文が刻まれており、妖しい光が煌々と揺らめいている。
ドクンドクンと心臓の音が鳴る。
過去に使った時の嫌な経験が頭によぎるが、なんとか恐怖を押しとどめて、重い足取りを一歩一歩と前に踏み出していく。
覚悟を決め椅子に座ると、椅子に刻まれていた装置が作動し、手足は拘束された。
ヘルメットも被ると、ビリっとした電流みたいなのが走った。
これで完全に逃げられなくなった。
ひやりと背筋が凍る。
もう、後戻りはできない……
この器具は……昔人間と魔族の間で行われた戦争で開発された物で、敵側の魔族を捕らえ、情報を吐き出させる為に使われた物だ。
つまりは魔族用に強力な精神支配の魔法が組み込まれており、力や魔法、精神力が人間よりも遥かに強力な魔族を屈服させる恐ろしい拷問器具、アビス。あのプライドが高い魔族が泣いて許しを請うほどだ。
一度使われたら逃げられず、この装置に座った瞬間魔力も吸い取られる為、魔法の行使もできない。
この拷問器具、アビスの力の源は吸い取られた自身の魔力でできており、強ければ強い奴ほど苦しみもがくようにできている。魔力が豊富な魔族にはうってつけで、人間よりステータスが高く、自信に溢れているその高い鼻を折る為にも酷く愛用されたらしい。
人より頑丈にできており、痛みにも耐性のある魔族に対してはヘタな拷問器具よりもよっぽどよく鳴いてくれるからそれはそれは娯楽としても良かったとか……趣味が悪い。
装置が作動すると……自己の否定、自己の破壊、魂と身体の境界線とも言える繋がりをあやふやにし、存在自体の忘却が行われる。
要するに脳の中をめちゃくちゃにする魔道具で、精神、魂を隅々まで侵略し、破壊力する物だ。
以前、調教と名ばかりにこの椅子に座らされたことが一度あるが、あれは酷かった。いや、酷かったというレベルではない。
そもそも人間に使用するものではない。俺は悪魔とか言われているがれっきとした人間で、その効果は凄まじいものだった。
俺は魂自体は異世界人なので、この世界の住人用に作られた魂を侵すアビスには多少なりとも耐性があった。それでも自分自身を見失いそうになったのだ。
頭を引っ掻き棒でめちゃくちゃにされるようなおぞましさ、恐怖、絶望、苦痛が一気に押し寄せ、心を破壊される。
……廃人になりかけたがなんとか持ち堪えた。
それでも悲鳴や嗚咽が止まらず、観客は喜び嘲笑っていたのを覚えている。
「始めるぞ」
しかし、これなら………身体は傷付けず、精神だけをやれる。
あとは俺が耐えるだけ。
大丈夫、以前も耐えられたのだから、大丈夫。
そう、少し目を瞑るだけさ。
世を恨み、世を嘆いた。
誰かが手を握ってくれている、そんな妄想にとりつかれながら。
ゆっくりと目を閉じた。