小鳥遊 エル
帰ったら帰ったらですぐに地下の部屋に行こうとするが、途中で出くわしたメイドから足を引っ掛けられたので、瞬時に前へ足を踏み出し転ばないように踏ん張る。
使用人からの嫌がらせは日常茶飯事で、さっきみたいに足を引っ掛けられたりなんなり、それでよく怪我する事も多いが、最近は慣れてきてあまりそんなこともない。
また別のメイドさんから唾を吐きかかけられるが、かかる前に唾を凍らせて難をのがれる。
唾を吐きかけようとしたメイドさんの口から凍った唾をぶら下げっており、本人も何が起きたのかわかっておらず慌てている。…悪いが火の属性魔法など使えないので、すぐにとかすことはできないが、数分経てばとける仕様になっているので大丈夫だろう。
両隣にいたメイドさんに「最低」だの「死ね」など言われるが、それを無視して自分の部屋へと向かう。
部屋に戻ったら制服を脱いで、使用人服…………つまりはメイドの格好をする。
戸籍のないイルの表向きの扱いは使用人。何かあった時それで通す手筈になっているらしい。
まぁ、もっともエルと顔の同じイル……つまりは俺が、男物の服(制服)を着ていたらまるで自分がもう一人いるようで気持ち悪いとエルに言われたから、学校帰りはそのままエルの部屋には行かず、一回自分の部屋に戻ってメイド服へと着替えている。
エルの代わりをする為、男物のしか着ない俺の唯一の女物の服。
多少……いや、俺としてはかなり抵抗感はあるが、イルはとてつもなく美人なのだから折角可愛い女物の服を着ないのは勿体無い。それがメイド服だけっていうのは可哀相だが。可愛いに罪はない。本当はもっと色々な女の子の服を着せてやりたい。
決して……女装趣味はないからな。可愛い女の子を着飾るのは正義なだけで、俺はそんな趣味があるわけじゃ……………この姿に慣れつつある現状、説得力はないが。
そんなこんなでスカートの裾を気にしながらよっこらせっと。
階段を上がり、エルの部屋の前で深呼吸。
コンコンと2回ノックをする。
「イルです。今日の報告をしに来ました」
「入れ」
ガチャリとドアノブを捻って、部屋へと入る。
広くでかい……天蓋付きのベッドに横たわる兄のエル。
イルとは見てくれは同じように見えるが、イルよりも病的に細く、肌の色も青白い。あまりにも血色が悪過ぎて、眠っている時は死体かと錯覚するほど憔悴しきった姿だ。
具合のいい時は部屋に通されるが、具合の悪い時は追い返される。最近は義務である近況報告をあまりできていない。余程体調が悪いのだろう。
しかし、今日は体調が良さそうだ。
起き上がって、妬ましそうにこちらを睨んでいる。
「早く喋らないか。時間を無駄にするなこの愚妹」
「エル様……」
「すまない、そうだった。私に妹はいなかったですね。ここにいるのは穀潰しの売女だ」
エルの隣に控えている執事が、エルに注意し、こちらに視線が向けられ睨まれる。
申し訳ありません、と一言言ってから、今日学園でした事を会話から一つ一つ逐一報告していく。
実は言うとこの報告する時が一番面倒だ。
「はっ?その程度の魔法で手こずっているんですか?クズ。
教師だって呆れてるだろうですし、私の評判が悪くなったらどうするんですか」
エルは執事から鞭を受け取る。
俺は無言でテーブルに手を着いて、エルの方へと尻を突き出し、これからくるであろう衝撃に耐える為、奥歯を噛み締める。
「どうしてお前はそんなこともできない!私より健康的な身体を持ってどうしてっ!」
バシン、バシンと尻を叩かれる。
ガタガタとテーブルが揺れるが、テーブルに乗っている水が入ったグラスや薬などを落としたらまた手酷くお仕置きされるので堪える。
本当は上に乗っている物を退かしてからにして欲しいがそんなことは許されない。
あくまでそれ(落とした時のお仕置き)込みで楽しんでいる。
このポーズで鞭に打たれるのも指示されたのはいつ頃か………もう随分経つだろう。
元々逆らえる立場ではないし、最初は病気とかのストレスや鬱憤でやっているのだろうと哀れんだが、今は………
「食べ物とか男に恵んで貰って………この卑しい雌豚がっ!恥を知れ!!」
この変態野郎と言いたい。
叩かれる度にメイド服は生地が傷んでボロボロになるし、鞭のこの強烈な痛みにはなかなか慣れない。
それでも昔の家庭教師からの死ぬような痛みを受けていた頃よりはマシだし、両親から受ける折檻よりは痛みも断然遥かに大マシだ。
しかし、この屈辱的な格好はなんともいただけない。男としてのプライドが崩され、心が疲弊していく。
ドMに、マゾになれたらどれだけいいか。
痛みが気持ちいいと言う変態にまで成り下がれたらどれだけ良かったか。
与えられるのは屈辱と苦痛だけ。ただひたすら早く終われという嫌な時間だけは長く感じる。
確か人の体は激痛を与えられるとそれに耐えるために脳が痛みを快楽へと変えるとか聞いた事があるが、それに至らないのは俺にはまだ余裕があるということか、それとも本当に人間じゃないのか。
くだらない事でも何か考えてないとどうにかなりそうで辛い。くそ。
イルを傷付けたくないとか思っておきながら、こうやって起きる事態には無力で、何もできない。逆らった時の事が怖くて何もできないだなんて間抜けだ。大間抜けだ。
けど、小鳥遊家の折檻という名の拷問よりは兄のは戯れに過ぎないじゃないか。
最小限の傷で済んでいるんだからとか甘えた考えを振り払う。
結局は、俺が弱いから馬鹿だから引き起こした事態なんだ。
もっと俺が上手く立ち回れたら、小鳥遊家の面々より強かったら………こんな扱いは受けなかった。
小鳥遊家なんかそんなものどうにかできるほどの力があったら………!
「なに、他の事なんか考えてすました顔してんだ」
「……………っ!」
「おい、私なんか眼中にないって?私なんかお前より劣っているって見下してんだろ」
「ちがっ…………」
こぽり、と嫌な音がする。
次の瞬間、顔に大きな水玉が覆い被さり、エルが水魔法使ったたんだとわかった。
「このクズ!お前のせいだ!!お前のせいで私はこんな目に合ってるんだっお前が生まれたせいでっ」
ゴポゴポと息ができないが、必死に呼吸しようともがく。
その間も鞭の攻撃は止まなくて、思わずテーブルをひっくり返し地面に膝をつく。
「毎日毎日苦しい……っ!熱は下がらない、咳は止まらない、頭は割れるように痛い。勉強も!食べる事でさえままならない!お前にこの気持ちがわかるか!?お前に私の苦しみを理解できるか!!」
できねーよ。
双子で血を分けた間柄でさえ、境遇は全く別なんだから。
俺はエルの病の辛さも知らない。エルも俺の理不尽な暴力を受ける苦しみも理解できない。
平行線だ。交わる気もないが。
「なんで私ばかりがこんな目に……………………
呪いだ、お前が呪いをかけたんだろ!この魔女!!」
息が続かなくなっていく。
ゴポゴポゴポ。
なんだろう………どこかで。
「お前なんて生まれなければ良かった」
死神が笑ったかのような気がした。