男の俺は死にました
目が覚めた時、夢である事を望んだが‥‥黒塗りの天井に現実を叩き付けられる。
光を完全に遮った部屋。
置いてある家具も黒を基調とした、通称『黒の間』俺‥‥‥‥¨小鳥遊 イル¨の部屋。時が止まったかのように静かで変わらない光景、変わってしまった自分にああ、と眉を顰める。
嫌な目覚めはクラクラと眩暈が生じ、一瞬自分が自分である事を疑いかけてしまう。自身の白く細長い指を見ながら、ぼぅっと振り返る。
過去に、前世に。
あまり記憶はないが確かにあった過去。
古びた光を放つ小さな手鏡を見つめる。そこに映るは自分の病的なまでに白い顔。白く脱色した髪に水色の瞳が濁った色をしている。すっと鼻筋が高く、睫毛もふさふさと長い。恐ろしいほど整った外人顔はまるで西洋人形のようだ。
小鳥遊 イル。
それが俺の名前だ。今世での名前。
七瀬 静馬は家庭の境遇に恵まれず、早くに出産した母親からは育児放棄からの虐待を受け、子供嫌いの父親からは何度も殺されかけた。
それでも焼酎の瓶を投げつけられながらも生きようと思ったのは母の腹が大きくなっていたからか。これから産まれてくるであろう弟か妹に未来を期待してたからか。
産まれてきたのは妹で、初めてお目にかかった時は父親がミルクだと言って下半身に口付けさせている時だ。噛み付いたら殴り飛ばして、地面に叩き付けようとしたので俺がギリギリでキャッチをし、苛立ちが抑えられない父親からの暴力に耐えながら妹を庇った。
痛みよりも、頭から流れる血が妹につかないようにするのに必死だった。父親の気を妹から逸らせる為、生まれて初めてこんなにも頭をフル回転させたかもしれない。妹が産まれるまでは考えるのも億劫だったから。
朝、こっそり父親の財布から金をくすねて、自分と妹の食事を買う為にスーパーへ行った。すやすやと寝ている妹を起こすのはしのびなく、両親も夜遅くまでベロベロに呑んでおり、いつも起きるのは昼過ぎのはずだ。すぐ帰って来るから大丈夫と思い、置いてきたが‥‥後に連れていけば良かった、と後悔した。
時はすでに遅し。
お風呂場から聞こえる物音に頭の中の警報が鳴り止まない。嫌な予感がする。その予感が外ればどれほど良かったか。ガタガタと奥歯が震え、目がチカチカとする。
持っていたビニール袋を落とし、世界が暗転する。
妹を水に沈めて溺死させた母親がポツリといた。
バスタブにぷかりと浮かぶ赤ん坊。
水から引き上げた妹の青白く血の気のない色が目に焼き付いて離れない。
「そいつが煩いから‥‥泣き止まないから‥‥‥‥これだから子供は‥‥‥‥‥‥」
ならなんで産んだんだよ。
ゴポゴポと俺も沈む。
後ろから母親に押され、バスタブの中へと頭を突っ込む。
虚ろな目をした妹と目が合う。
あんな状態の両親がいるのに何故、置いてった。
お前のせいで。お前が殺したんだ。
鋭利な言葉の刃が降り注ぐ。
ごめん、ごめん‥‥‥‥俺のせいだ。俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が
俺が妹を殺したんだ。
妹を掴んでいた手を離す。呼吸を止めると、浴槽は静寂に包まれる。
「さよなら母さん」
死んだと思い背を向けた母親に手を伸ばし、バスタブへ沈める。
ゆっくり、ゆっくりと時が動き出す。カチリカチリ。ゼンマイが巻かれ、滑稽に踊り出す数秒前。笑いが止まらない。引きつく筋肉を解しながら綺麗な笑みを想像する。
力を込めると次第に事切れる母親。
水に浮かぶ母娘。
次は父親だ。思い立ったらすぐに行動した。台所から包丁を取り出し、イメージする。今から寝室に行って父親を刺し殺すビジョンを。
しかし、流石は人を殴り脅す仕事をする父親だ。扉で待ち構えていたのか横から金属バットで殴られる。手から包丁が離れるとそのまま殴る殴る殴る。
骨が折れる音が何回も何十回も鳴る。内臓もイったか。血で視界が滲む。包丁で手の平に刺さされるが口から悲鳴は出ず、残念そうな父親。しかし、すぐに笑い飛ばされる。滑稽だと。
だから自分も笑う。親子だなぁって。
包丁を引き抜き、そのまま父親の喉元を切り裂く。血が噴射し、真っ赤に世界は彩られる。
父親が絶命してから、後から痛みが襲ってきて震えと涙が止まらない。叫んで叫んで叫び散らす。
それでも世界は驚くほど静寂で、滑稽で、愚かだと笑い飛ばされた。
警察がやってきてからは意識は無くて、罪にはならず済んだという事だけ。
明確な殺意を持って殺したのだが、俺も重傷だったし日頃からも虐待を受けていた為か、正当防衛が認められそんな感じになってしまった。俺は狂っていてまともに話せなかったし、身体が治ってからは精神病棟へ即入院した。
何年かかけて徐々に意識がまた浮上して、思考ができるようになってからは何回か自殺をしようと繰り返したがその度に失敗し、更生プログラムが書き換えられていった。
しかし最新医療様は凄く、気が付けばマトモな思考が作られていて、妹が生きられなかった分俺が生きようという気にまでなり、13歳の春、病院を出た。
遠い親戚らしい人に引き取られ、あらよあれよという内に今まで行ってなかった学校にまで通うように。
友人もでき、兄と妹ができた。
兄は俺に会うやいなやゲームを勧めてきた。
『魔法使いのお嫁さん』
色とりどりの髪色をしたイケメン達を釣り上げていくという乙女ゲームというやつだ。
魔法が存在する世界。魔法の素質がある者しか通えない学園があり、その中でも能力が秀でた者しかなれない生徒会という存在がある。将来は絶対の権力と地位が約束されている彼等との出会い。絡み合う運命。
隔離されたこの学園に無能力の主人公が転校してくるところから物語は始まる。
男である兄が何故女性向けの男を侍らせるゲームをしているのかわからない。別に男がやっちゃいけない理由はないが、兄ののめり込むようは凄かった。時間があるものならひたすらそのゲームをやっていたのだ。それほどストーリーがいいのか、ゲームシステムが面白いのか、主人公が可愛いのか気になってはいたが渡されたゲーム未だにやれずにいた。
そうこうしている内にまだプレイしていない事を知ると普段無口な兄が話し掛けてきた。
「小鳥遊 エルというキャラがいるだろう?」
「うん」
外国人風‥‥といっても皆髪色奇抜だが、顔立ちなど若干西洋寄りにした中性的な美形で、いつも保健室にいる病弱キャラである。髪色や肌のせいだけではないだろうが真っ白い保健室ではより画面全体が白く感じる。つまりは保健室に行かないと攻略できない儚げイケメンか。
「このキャラにはトゥルー、グッド、バットの通常ルートの他に隠しルートがある」
「隠しルート?」
「小鳥遊 イルというエルの双子の妹だ」
小鳥遊 イル‥‥‥‥というのは兄貴曰く、エルの身代わりキャラでエルのルート前半は本当は男装した彼女だと言うのだ。
エルは設定通り、本当に病弱キャラで、家から‥‥ベッドから一人では降りられないほど重病らしい。エルがそこまで重病だと周りに知れると家としても問題だから、その事実を隠す為に、顔が同じ彼女が代わりにエルとして学校に行っているらしい。
ルート後半からはエルの病気が何故か急に良くなり本来のエルへと交代するのだが、とあるきっかけでその事実を主人公が知ると小鳥遊 イルのルートに突入するんだそう。
「百合ENDか?」
「いや、友情ENDだ。まぁ、見方によっては百合百合しくもない。むしろファンにとってはそうであれ!だが、隠しルートが友情ENDとか珍しいよな‥‥‥‥」
その隠しルートに行くためには、エルの後半ルートで主人公が小鳥遊家に招待されるのだが、その時に突然トイレに行きたくなり主人公が家の中で迷うシーンがある。選択肢が出てきて、ルート確定には一つも迷わずにイルのいる部屋へと行かなければならないのだ。
ただイルの部屋は地下室にあり隠し通路を見つけなければいけない。ネットの攻略を見るまでその事を知らなかった兄は、普通にただ部屋を見て回った苦労を返せと嘆いていた。
「もうメイド姿のイルちゃんに一目惚れ。エロゲーに移転してくれないかなイルちゃん」
イルというゲームキャラに惚れたという饒舌になったオタクな兄貴を横目にゲームなどに興味がない俺が何故かこのキャラが気になって仕方がなかった。
可憐な見た目に似合わず、悪役だというこの少女に。
しかしその後ゲームをプレイすることは一生なかった‥‥
学校帰りの階段で突き落とされた。
「人殺しは‥‥死ね」
後ろを振り返ると一言も話した事がない、新しくできた妹が立っていた。
憎しみに染まった顔で、呪詛のような言葉を吐かれながら俺はそのまま意識が途絶えた。
妹を殺して妹に殺される。
呆気ない人生で人殺しの俺はもっと苦しんでから死ねば良かったんじゃないかと、死ぬ間際まで妹に謝って、謝ってた。
それはどちらの妹に謝っているのかもわからないまま、俺は息を引き取った。
笑ってこちらを見ている妹に手を振りながら。
温かい。まるで日の温もりに包まれているような空間に俺は立っていた。
『お兄ちゃん』
真っ白い空間に立つ、小学校高学年くらいの女の子に抱き締められる。
知らない少女のはずなのに何故かこの子は妹なんだとわかる。錯覚や幻想かもしれない、けどこの温かさは、この香りは確かに記憶にある妹で。
『お兄ちゃんの罪は辛い記憶と一緒に私が背負うから』
『どういう‥‥‥‥‥‥?』
『今度は幸せになって‥‥‥‥‥‥‥‥
¨幸せにしてあげて¨』
妹が消えていく。
それと同時に俺自身も身体に光が集まり弾ける。
自分が誰だか、何故ここいるのか分からなくなって意識が消えていく‥‥‥‥
目を覚ました時は自身は赤ん坊になっており、ここはゲームの世界で小鳥遊 イルとしての生を受けたことを知った。
なんの因果か‥‥‥‥生前やってもいないゲームに。
死んだ時のことや家族構成などは覚えてない。名前さえも、忘れちゃいけない大切な記憶さえも思い出せない。
けど覚えているのは自身が男であったことと、誰から教わった『魔法使いのお嫁さん』という乙女ゲームの世界観とキャラだけ。
その事実が突き刺さるように男ではなくなった身体を見下ろし、ただ一言、おぎゃあと泣いた。