賞味期限
深く目を閉じ、瞼の裏の暗闇を覗き込む。無意識と意識のはざまに、小さな光が見えた。その光の中にさらに小さな自分が、ここにいるよと声にならない声で叫んでいる。そう僕はリストラになった。いつもの日常がすべて立ち止まり、時間も曜日も関係なく過ぎてゆく。まるで、自分だけこのせわしない世界から取り残されたように。それは突然の事だった。ある日会社に行き、いつものように午前中の配達をおえて一旦事務所に戻ると、急に専務に呼び出された。僕よりも20歳も若い今時の二代目。『お疲れ様でした、もう帰っていいですよ』すまなそうな作り顔でその二代目は言った。多分他にもなにか言われた様な気もするが、余りにいきなりの事で正直あまり憶えてない。ただその事が僕、佐々木ユウジと不思議な豆柴、小太郎との出逢いになる。これからどうしようかとフラフラと遠回りしながら家路をたどると、ふと一軒の居酒屋が目にとまった。『あれ?こんなとこに店あったっけ?』ここは住宅街だから呑み屋なんてあるわけないし、しかもまだ昼過ぎ。いつもならただ通り過ぎるのに、やはり心にすきまでも出来たんだろうか、サクッと入ってしまった。こじんまりとした店の中にはカウンターのみ、せいぜい5,6人がいいところだ。50代半ばの髪を茶色く染めた女店主が1人、しゃがれた小さな声で『いらっしゃい』と。『とりあえずビール』といってふとカウンターの中に目をやると、なにやらゴソゴソと動いている。そう、それが豆柴犬の小太郎だった。可愛らしい丸顔に切れ長の目、小刻みに降るシッポがさらに愛嬌をます。『でも、なんかへんだぞ?』あちらこちらに身体をぶつけながら這うように前進している。『あぁ、この子目がみえないの。』女店主が、またかというように手早く説明?をし始めた。『この子はね、酔っ払いにからまれて身体中を蹴られたりタバコの火を押し付けられたりして今にも死にそうな所を私が拾ってきたの。』そう話してる間にも既に小太郎は僕の足元にスリスリしてきている。今の僕にはそれだけで心の隙間が埋まっていくのを感じる。『お前も随分つらい想いをしてきたんだな』まるでその言葉が聞こえていたかのように、見えないはずのその愛くるしい眼差しでこう訴えていた。『そんなことはないよ、あるがままに』まるですべてを見透かされているかのような不思議な感覚だった。ほどほどで家に帰り、妻に仕事がなくなった事を話すと『これからどうるの?子供の将来は?家のローンは?』立て続けの尋問に息が詰まった。でも、なにも言えなかった。次の日、目覚ましも鳴らないのに定時に目が覚めて、必要のない髭剃りをした。子供は学校へ行き、妻はパートへ。残された家の中で現実を噛みしめる。昨日の?を確かめに、またあの店を訪れた。『本日お休みさせて頂きます』『休み?この胸のモヤモヤはどうしてくれるんだ?』次は何処へ行こうかと思いあぐねていると、『フンッフンッ!』っとなにやら鼻息らしき音が聴こえた。振り返ると、そこには小太郎が。まっすぐ僕のほうを向いて、なにかを訴えている。僕は昨日の事を思い返し、無駄を承知で小太郎に尋ねた。『そんな事はない、あるがままにってどういう事?』すると小太郎は声ではない、なにかで、しかしハッキリとこう僕に訴えた。『全ての物には賞味期限がある。君がリストラになった事も、僕の目が見えない事も。ひとつの出来事や物事には、表と裏がありどちらだけでも成り立ちしない。働ける環境があること、目が見えていること。それは当たり前の事のようでそうではない。常にその裏側、働けない事や目が見えない事の辛さや大変さを感じる事によって価値が生まれる。いい事ばかりじゃない、すべてワンセット!表と裏はいつも隣り合わせ。表だけはどこにも売ってはいない、そして裏だけも存在はしないのだと。』ふと目を覚ますと、僕は自分の部屋にいた。あわててさっきの店を訪ねると、そこには古いアパートが。全ての事がわからなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。小太郎のことばを頭の中で噛み締めながら。あれから2年。僕は今ラーメン屋で働いている。年下の店長と、やり甲斐をみつけられずただ言われた事だけをするアルバイトと一緒に。でも僕は光を見ている、何故ならここでの賞味期限はまだまだ先だからだ。