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The Slaughter Dragon (3)

 

 ロアンがオージスとポルネイラを招いた日の翌日──

 夕暮れ時の赤い空が、シェワール市の町並みを染め上げる。太陽は西の地平へと、ゆっくりと落ちていくところだ。

 外を出歩く者はまだ少ないが、もうしばらくもすると街路には人が増えるだろう。仕事を終えて帰路につく大人と、遊び終えて帰路につく子供たちで。

 自由都市シェワールは、高い防御壁に囲まれている。『旧シェワール』には存在しなかったものだが、復興後に虐殺竜を警戒して築き上げられたものである。市への出入りは、防御壁に設けられた東西南北、四箇所の門からのみ可能となっている。

 防御壁の外には、町の拡大に備えて区画管理が成されている空き地がいくつかある。一つの区画は縦横五百メートル程度。防御壁のすぐ外の区画は、自警団などの訓練や子供の遊び場として使われたりもしている。

 その中で東門の外側にある空き地──『五番区画』と番号を付けられた場所に、ロアンとオージス、そして三人の狩人がいた。

 草が刈られ、区画分けの柵がある以外には特に何もない、広い空き地。ロアンたちが居る『五番区画』は、防御壁から一つ区画を挟んだ隣で、少し離れている。周囲に他の人影は無い。

「しかし、思っていたよりも巨大な武器だな『撃竜砲』は。対虐殺竜に特化して作られたというのも頷ける」

 ロアンの後ろからオージスが言う。

「ええ、持ち運びとかは、専用の荷台に載せないと苦しいですが……。僕が知りうる限り、このシェワール市内で、これを超える殺傷能力と射程を合わせ持つ武器は存在しません」

「いや……こいつは、この世界でも最強の武器かもしれんぞ。火薬を使った射撃武器というと、ロブラント王国では回転式の拳銃──リボルバーが開発されていたくらいだ。それも王宮の親衛部隊にしか出回らないくらいの少数しか造られていなかったしな。十四年前の話ではあるが……」

 現在の自由都市シェワールにおいても、片手で扱える銃器はそれくらいしか作られていない。そして小型の拳銃といっても、まだ一般市民では手にすることも適わない、非常に高価な武器でもあった。

 それ以外では、ロアンが最初に開発した、火薬で弾丸を飛ばす猟銃が在るくらいだった。その猟銃も、ようやく試作段階を終えて他の店でも製造販売が始まったという状況である。

 もう百年以上も前から、この世界では『人間同士』の大規模な戦争などが起きておらず、虐殺竜の所為を除けば平和が続いている。それ故、人が人と戦う為の武器の改良・開発には、力が注がれていないのである。依然として、刀剣・槍・斧・鈍器・弓矢などが武器の主流だった。

「まだ問題も多く抱えている上に、この『撃竜砲』の開発・製作には、ほぼ全財産を使ってしまいましたけれどね。ちなみに弾丸の製作も大変なんですよ。これの弾一発にかかる費用で、半月は普通の生活ができますから──さて、ターゲットの固定に問題はないようですね」

 そう言って笑いながら、ロアンは目の前にある物の点検を終えた。

 彼の眼前には、巨大な鋼鉄の板が三枚。ニメートルほどの間隔を空けて地面にしっかりと埋め込まれ、器具で固定されていた。鋼鉄板の中心部には、白のインクで小さい丸印と、それを中心とする大小の円が二つ書かれている。拳銃の練習に使うターゲットと似たようなものだ。

「それでは、僕たちもスキーマさんたちの所へ」

 ロアンは、遠くに見える『撃竜砲』とそこで待つ三人の狩人の方に向かい、オージスも付いていく。

「あの鋼鉄の板を貫けるというのか……。厚さ四、五センチはあるように見えたが」

「厚さ五センチです。今回の距離は三百。前回のテストでは、距離ニ百メートルで四センチを軽々と貫きましたから、いけると踏んでいます。しかし虐殺竜の鱗の硬さと厚さが解らないのが、もどかしいですね……」

「そうだな。だが──奴とて生き物だ。あの鋼鉄板を貫く攻撃力ならば、勝機は充分あるだろう」

「ええ、自信はありますよ。僕の全てを注いで作り上げた武器ですから……」

 歩きながら喋るロアンの瞳に狂気の光が宿った。口にも少し不敵な微笑を浮かべていたが、背後のオージスには見えていない。

「砲身内径八〇ミリ。一般的に造られている拳銃の八倍。弾丸の大きさも然り。弾芯の貫徹子には、最近開発された人工金属ウォルフラム鋼を配合。砲身長は約三・ニメートル。発射火薬の量と爆発力も限界まで引き上げた。これであいつの鱗を貫き内臓をズタズタに……そう、彼女にした事をあいつ自身にも……フフ……フフフフフ……」

 ぶつぶつと低い声でつぶやき、微かに不気味な笑い声を漏らすロアン。何かに憑かれたかのように、豹変する気配。

「ロアン……殿?」とオージスが後ろから躊躇いがちに声をかける。

「ああ──いえ、なんでもありません」

「……そうか」

 いつもの爽やかな笑顔で、オージスに振り返ってみせるロアンだった。

 しかし一瞬見えたロアンの暗い感情に、オージスは悟ることができた。彼が自分よりも深く暗い復讐心を、隠し持っていることを。


 ロアンたちは『撃竜砲』の傍らまで戻ってきた。

「ロアン、こっちはいつでもぶっ放せるぜ!」

 三人いる狩人たち中で、長身で短い茶色の髪の男が言う。もう中年くらいの歳だが、生気は三人の中で一番溢れているような男だった。剛健という言葉が似合う体つき。老けて無精髭を生やした顔。それが、一流の腕を持つ狩人のスキーマだった。

「了解です、スキーマさん。ターゲットの固定も問題ありませんでした。では、早速射撃テストを始めていただきましょうか。誰から撃つかは決めてあります?」

「俺が最初だよ、ロアン。それからミップス先輩、最後にスキーマ先輩」

 狩人の中の若手の男が、自分自身、もう一人の丸眼鏡をかけた中年の男、スキーマ、の順に指差して言う。早く撃ちたくてうずうずしているのが、落ち着きの無い彼の仕草で瞭然だった。

 若い狩人の男は、緑のバンダナを巻いていて、長い黒髪を後ろにまとめて垂らしている。歳はロアンより一つ下だった。

「そうか。くれぐれも真剣に頼むよ。──じゃあ、前回と同じ順番ですね。では皆、射撃に備えて耳当てを。オージスさんもお願いします。発射の爆音で耳が潰れてしまいますので。あと、『撃竜砲』の後ろには立たないでください。反動軽減の為、後方にも火と爆風が少し出ます」

 ロアンは、クライスターに対してだけは、砕けた口調で話した。単に歳下だからというだけではなく、彼とは同じ孤児院で育った友人同士なのだった。

「ああ、わかった」

 予め渡されていた耳当て。バンド部分で首を巻くように下げていた耳当てを、オージスは両耳を覆うように装着した。

「みなさん、前回と同様、僕の合図で発射をお願いしますね」

「おうよ!」「了解」「わかってるって」

 スキーマ、ミップス、クライスターの三人の返事を聞き、ロアンも耳当てを装着する。狩人の三人もそれに続く。

 一番若い狩人のクライスターが、『撃竜砲』にスタンバイする。

 それは、鋼鉄でできた巨大な武器。なんの飾り気も無く、鈍い黒光りを反射する金属のパーツがその殆どを覆っている。金属と火薬の鼻に付く臭いが辺りに漂う。

 発射機構を納めて、その全体の中で最も体積のある後部。その後部と比較すると細く長く前に伸びるのは、八〇ミリ内径、長さ三・二メートルにも及ぶ、二つ折り構造の砲身。

 砲撃手は、『撃竜砲』の左右にしゃがんでスタンバイし、左右に用意されている重いトリガーのどちらかを両手で引くことで発射できる。照準合わせ用のスコープも、砲身根本の左右両側についていた。

 スタンバイしたクライスターは、安全装置を解除する。そしてスコープを覗き込み、ターゲットの鋼鉄板に照準を合わせる。重い砲身を動かして細かな位置修正をするのが大変だった。

 そして照準合わせを終えると、ロアンの方を向いて右手の親指を立てる。耳当てでお互いに声が殆ど聞き取れない状態のため、合図はジェスチャーで行う。

 ロアンが頷き返して、右手で三本の指を立てた。その指をゆっくりと折り曲げていく。

 二本──

 一本──

 そして最後の指を折ると、クライスターは再びスコープでターゲットを覗き、ついにトリガーを引いた。

 ハンマー(撃鉄)が弾丸後部のプライマー(雷管)を叩く。

 雷管内で発火。その火は、瞬時に発射火薬へと移り爆発させる。

 耳当てを装着して軽減されていながらも、少し鼓膜を振るわせる轟音。

 砲撃主の全身に伝わる振動。

 反動軽減の為に後方に噴出される炎と爆風。

 長い砲身内部で充分に加速された弾丸は、秒速約八百メートルで飛翔。ターゲットの鋼鉄板に、〇・四秒弱で直撃。

 遠く離れた場所で起こった直撃音は、耳当てをしているため誰にも聞こえなかった。

 『撃竜砲』の砲身の先、発射機構の上部や後部の穴からは、薄く硝煙が出ている。

 ロアンを始めとして、皆が耳当てを外した。

「クライスター、どうなった?」

 自分の肉眼で三百メートル先を見ても、ターゲットの状態はよく見えない。ロアンは、まだスコープを覗いたままのクライスターに尋ねる。

「成功成功! 貫通したよ! 見にいこう!」

 興奮しながらも、しっかりと安全装置を再びかけて、満面の笑みを浮かべながらクライスターが駆け出す。

「まったく……はしゃぎすぎですねえ、クライスターは。もう少し落ち着いて欲しいものですよ、遊びじゃないんだから」

 丸メガネで真面目そうな中年の狩人、ミップスが苦笑しながら呆れたように肩をすくめる。黒髪をオールバックにしており、もともと線の細い面長の顔が、さらに細長く見えている男だった。歳はスキーマより少し若い。スキーマの相棒で、真面目そうな見た目通り、読書が趣味で博識な男だった。自然の中での狩猟においても、彼の動物や植物に関する豊富な知識が大いに役立っていた。

「はは。まあ、喜ばしい結果なのは事実です。僕たちも行きましょう」

 ロアンたちも、ターゲットの鋼鉄板のところへ早足で向かった。

「すげー! これ見てよ!」

 クライスターがターゲットを指差して歓声を上げた。

 ロアンや他の者たちも注視する。三枚の鋼鉄板の中の一枚──着弾の衝撃でやや後ろに傾いた鋼鉄板。その一部に、丸い穴が開いていた。弾の口径より少し大きめの、直径九〇ミリほどの穴。穴の周辺は少しひしゃげていた。

「見事だな……。やはりこの威力ならば、虐殺竜の鱗と言えど防げまい」

 オージスは感嘆したように頷いて言った。

「楽しみですねえ、虐殺竜をこれで撃つ時が」

 丸眼鏡のミップスが微少を浮かべる。

「しかしクライスター、おめぇは、どこ狙ってるんだ? このヘタクソ。もうすぐ本番が来るってぇのに」

 落胆を隠せない声音で、スキーマが言った。

 クライスターの撃った弾は、板に描かれた大きい方の円の、少し外側に当っていたのである。

「す、すいません先輩。ちょっと力みすぎちゃいまして……」

 興奮していたところに、狩りの師でもあるスキーマから苦言を言われたクライスターは、しゅんとした。

「たった数発撃ったら壊れちまうんだからな。ロアンの苦労を無駄にしないためにも、真剣にやれよ。本番でもそんな調子なら、おめぇには撃たせねえ」

「は、はい」

 厳しい言葉だが、クライスターは素直に聞く。スキーマを師として尊敬している事もあるが、友人のロアンがどのような思いでこの武器を作ったのかと、考えてしまったのだ。

「それでは、ミップスさんとスキーマさんも、続けて射撃をよろしくお願いします」

「ええ」「おうよ」

 そして、クライスターと同じように二人は『撃竜砲』を一発ずつ撃った。

 全て鋼鉄板を貫通し、ミップスとスキーマが撃った弾は、小さい方の円の内側に命中していた。

 この最終テストで、改良した『撃竜砲』の命中精度・威力ともに、安定していて問題の無い事が確認できたのだった。

「無事に終わって良かったです。皆さん、狩りの帰りで疲れてるところ、ありがとうございました」

 ロアンが狩人の三人に笑顔で礼をする。

「気にすんなよ。しかしロアン、この『撃竜砲』はこれで処分するんだったよな?」

 と、砲身を折りたたみながら、スキーマ。

「ええ。皆が来る前に僕が撃ったのを合わせて、五発射撃していますからね。そろそろ発射機構の疲弊が怖いので、これはもう使えません。皆さんには、後で新品を僕の店から持って帰ってもらいますね」

 言うロアンに頷く三人。

 そんなロアンたちを脇目に、オージスは穴の開いた鋼鉄板をじっと眺めていた。射撃で穴の開いた三枚の鋼鉄板はここに放置しておけないので、回収する必要がある。その為、荷台に載せてあった。

 ロアンは、そんなオージスに気づき声をかける。

「オージスさん?」

「ああ──ロアン殿。この鋼鉄板だが、俺の練習に使ってもいいか?」

「練習って……その剣のですか?」

 オージスが背負うのは、ニメートル近い大剣である。

「ああ」

「別に構いませんよ」

「ありがたい。最近、素振りしかしていなかったからな」

 オージスは重い鋼鉄の板を一枚荷台から取り出すと、地面に横たえた。そして、背中に背負っている大剣を抜いた。

 滑らかで自然な動作で正面に剣を構えて両手で持つ。その動きは剣の重さをまるで感じさせない。

 瞳を閉じ、集中力を高めるオージス。

 ロアンと狩人たちが静かに見守る中、オージスの全身の太い筋肉に力が入った。

 漲る力。放出される覇気。紫の瞳が鋭くなる。変わるはずはないのだが、オージスの身体が一回り大きくなったような錯覚を起こさせる。

「はっ!」

 気合を込めた声と共に、瞬時に振り上げられた剣が、まっすぐに鋼鉄板に振り下ろされる。

 金属同士がぶつかり合う音が激しく鳴り響き、剣を叩きつけられた鋼鉄板は、凹み、歪み、折れ曲がった。しかしそれで終わりでは無かった。

 あれ程の大きさの剣を操っているとは思えない素早さで、幾度も剣の連撃を叩き込んでいく。正確に同じ場所に振り下ろされる剣。それは斬るというよりも、叩き潰すように使われる剣だった。あまりに早い剣撃に、離れて見ているロアンたちにも剣風が届く。

 しばらくして、オージスが剣を止めた時──鋼鉄板は二つに割れていた。

「……ふむ。こんなところか」

 オージスは再び剣を背中に担いだ。

「……お見事ですね」

 オージスの大剣の技。その破壊力に、ロアンや狩人たちは呆然とするのだった。彼らは剣については専門外であり、剣を使ってるところを見る機会なども無い。それでもわかる。異常なまでの重量と破壊力を持つ大剣と、それを素早く振り回す彼の膂力が、桁違いである事が。

「俺が自慢できるのは、この大剣くらいだからな。『撃竜砲』だけで虐殺竜が倒れなければ、そのときは、俺がこの剣で叩き潰す。必ず」

 不敵に微笑するオージス。その頼もしい言葉に、ロアンはこの作戦への自信を強めるのだった。

「ポルネイラさんも来てくれたら良かったのですが。今のオージスさんのように、彼女の技も見せてもらえたかもしれませんからね。……そういえばオージスさん、昨日は彼女のことを不快に思っていたようですが、共に虐殺竜と戦う時には、くれぐれも協力し合うようお願いしますよ」

 ロアンがポルネイラの名を出すと、オージスの表情が一瞬不自然に固まった。

「む……エス──ポルネイラとの事なら、安心してくれ。彼女は俺が──」

「……?」

 奇妙なオージスの言葉に、首をかしげるロアン。

「いや…………彼女とは上手く共闘できそうだ。問題無いだろう」

 すぐに平静を装うオージス。

「昨日、僕の店を出た後に彼女と何かありました? まあ、仲が良くなれたのならば、詮索もしませんし、言うことはありませんけれど……」

「ああ。まあ、ちょっとな」

 口を濁すオージスだったが、ロアンは追求をやめた。

(はて、初対面のこの二人が恋に落ちた、なんてのはさすがに無さそうだけど……まあ、いいかな)

 口を濁すということは、言いたくないという意志の表明でもある。無理に訊く必要も無いだろう。


 ロアンたちは、荷台に『撃竜砲』を載せて五番区画を後にし、町へと戻った。

 陽が落ちるにつれて、空は赤紫から表情を変えていき、暗くなるとともに星が瞬き始める。

「では、僕とスキーマさんたちは僕の店に戻ります。新しい『撃竜砲』を渡さないといけないので」

「ああ。俺はもう宿に戻る」

「僕の予想ですが、虐殺竜は数日中にこの町を襲撃する可能性が高いと思います。その時は、手はずどおりに。……僕たちで必ず倒しましょう、あいつを」

「ああ。次は、虐殺竜が来た時に──」

 巨大な東門をくぐり抜けて街の中に戻ると、オージスとロアンたちは手を上げて、それぞれ道を分かれる。

 仕事帰りの人々が行き交う街路。夜の店が連なる歓楽街では、これから活気が出始めるだろう。一見、普段通り平穏な人間たちの日常。

 しかし、シェワール市の人々の心には、不安が生まれている。


 ──市議会、虐殺竜に備えて避難経路図を市民に配布、間に合うか

 ──虐殺竜避けの御守り販売! 連日大行列!

 ──新製品! 竜が嫌う匂いの香水!? その効果は……


 誰かが捨てた新聞が、街路で風に舞い、人に踏みつけられていく。その記事の見出しは、虐殺竜に関するものばかりだった。


     ◆  ◆  ◆


 『撃竜砲』の最終テストを行った翌日。昼下がり。

 暇を持て余したクライスターは、行き着けの喫茶店で一人コーヒーを飲んでいた。

 バンダナで長い黒髪を後ろに纏めて下ろしているのは、いつも通りだ。「女みたいだから切っちまえよ」と、先輩のスキーマとミップスから言われ続けているが、自分では気に入っているので拒否し続けている。

 狩猟は休みだ。街の外に出ている間に虐殺竜が来てしまったら、作戦の意味が無くなる。

 いつ虐殺竜が街を襲ってきてもおかしくない──予断が許されない状況ではあるが、意識していればすぐに動ける事でもある。ずっと緊張状態を維持して『その時』を待ち続ける生活など、できやしないし、する必要も無い。

 待ち伏せする。狙撃する。

 作戦内容を端的に言えばそうなる。

 但し、いつまで待てばよいのか判然としない上に、虐殺竜がこの街の近くに来ているからと言って、確実に街を襲うとも言えない。もしも方向転換したり、迂回して移動したら、待ち伏せの計画は台無しになる──そんな作戦だ。

 情報では、確かにこのシェワールに接近してきており、街の自警団なども、街を守るために迎え撃とうと準備をしていると聞く。

(街の普通の人にとっちゃ、当然、虐殺竜が来ない方が良いんだよなあ。でも、ロアンは──)

 九年間、孤児院で共に育った友人の事を考える。

 彼は、虐殺竜が街を襲う事を強く望んでいることだろう。打ち倒し、復讐するチャンスという意味で。

 クライスターは、友人であるロアンの復讐──家族と幼馴染の仇討ち──に、喜んで協力した。

 自身は『旧シェワール市虐殺竜襲撃事件』の時、誰も失っていない。それより前に両親は病によって落命してしまい、孤児院の世話になっていた。虐殺竜が街を襲った時に孤児院で生活していた皆は、幸いにも逃げ延びたのである。

 ゆえに、虐殺竜に対する私的な復讐心や恨みなどは無い。

(そんなものは無い──はずだったんだけどな)


 十年前。『旧シェワール市虐殺竜襲撃事件』の直後に、ロアンを含め九人の子供が孤児院の仲間に加わった。同時にそれほど大勢の子供が入るのは、前例の無い異常事態でもあった。

 言うまでも無くその誰もが、虐殺竜によって家族を殺され、親戚などの引き取り手も無く、天蓋孤独となった子供たちである。

 クライスターは、その一年前から孤児院に入っていた。闊達で明るい彼は、孤児院の皆と良好な付き合いができていた。当然のように、新たにやってきた仲間にも積極的に、交流を持とうと試みた。

 孤児院に来るような子供は、誰もが『普通』よりも不遇な経験をしている。人見知りが激しかったり、精神面に問題を抱えている者も多い。それでも、孤児院の先生──子供の親代わりとなって世話するスタッフは、慣例で子供から『先生』と呼ばれていた──は、根気良く、愛情を持って孤児に接しており、上手くいっていた。大きな問題は無かった。

 しかし──

 虐殺竜に家族を殺されてやってきた九人は、違った。

 皆、負った心の傷は深かった。深すぎたのだ。

 それまでの他の孤児たちのようにはいかなかった。一年が経ち、二年が経っても、その九人に笑顔が戻る事はなかった。

 クライスターは、打ち解け仲良くなろうと、九人に根気良く声をかけ続けていた。中でも、歳が一番近いロアンには比較的声をかけやすかった。

 そんな状況が進展も無いままに続いていたが、ロアンたちがやってきてから三年後、転機となる出来事があった。


 孤児院では、社会勉強と称して色々な事を子供に経験させようとする。

 子供の好奇心は大人のそれより強い。何か『楽しい』と思える事が見つかったり、新しい知識・経験をきっかけにして、心を開いたり、夢や目標を持ったりすることができるかもしれない。それが良い刺激になり、良い結果を産む事がある。

 その日は、『狩猟体験会』だった。依頼を受けてやってきた狩人が教師となり、孤児たちに狩りの知識を教え、体験させるという趣旨のものだ。

 実際に猟場となる野山に赴くわけではなく、街近くの空き地での講習と実習だった。

 講習を受けた後、ウサギの形をした作り物のマトを、実際にボウガンで撃たせてもらった。

 子供たちが、それぞれ一回ずつ、狩人の先生に付き添って丁寧に使い方を教えてもらいながら撃っていく。しかし皆初めての経験である。矢がマトに当る事はまず無い。

 結局マトに当てれたのはただ一人、クライスターだけだった。

 彼は興奮した。自分だけ当てる事ができたから。また、調子に乗りやすい性格ということもあったのだが、自分の目指すべきものが見つかったような気がしたのだった。

 後に、才能があったわけではなく、一人だけ当てれたのは単なるマグレだったのだと思い知る事になるのだが──狩猟が好きである事は変わらなかった。

 この『狩猟体験会』が、クライスターの転機となったのである。

 そして、その後の彼とロアンとの会話が、ロアンの転機となった。


「今日の、面白かったよな! 俺、狩人でも目指そうかなって思ったんだけど。ロアンはどうだった? なんかボウガンを真剣に見てたようだけど、おまえも狩人なりたくなった?」

 体験会の帰り道。クライスターはまだ興奮気味だった。ロアンが何やら真剣にボウガンを見ていた事に気づいた為、自分と同じように興味を抱いたのではないかと思って、歩きながら話しかけた。

「え……いや……違います」

 ロアンは否定した。いつもと同様、視線も合わさず、覇気の無い弱い声で。クライスターより年上だが、彼は誰に対しても丁寧な言葉で話す少年だった。虐殺竜の事件の後にそうなったのか、元々そういう話し方だったのか、クライスターには分からなかったが。

「ありゃ、そーなの? んじゃ、なんでボウガンあんなに真剣に見てたのかな」

「………………」

 ロアンは無言。言うべきか、言わないべきか、悩んでいる様子だった。

「………………?」

 クライスターも沈黙する。

 やがて、気まずい沈黙に耐えかねたのか、ロアンは億劫そうに口を開いた。

「……こんなんじゃ、無理だなって。それだけです」

「ん、無理? 無理って、何が?」

「………………」

 また沈黙。気が乗らないのが、よくわかる反応。しかし、クライスターは根気良く待った。

 ロアンや他の同期の八人も、程度の差こそあれ、楽しく会話ができるほど心の傷が癒えてはいない。

「……あんなボウガンじゃ、竜を殺すのは、無理だなって……」

 ロアンは言った。

「………………」

 今度はクライスターが沈黙した。返す言葉が思いつかない。何を言えばいいのか。

「仇、とりたいのか……?」

 なんとか、それだけ訊く事ができた。

 ロアンは、小さく頷いた。

「……でも、無理です。大人とか、強い人でも倒せなくて。たくさんの街で、たくさんの人が殺されて……あんな竜を倒せる武器なんて、無いです」

「………………」

 虐殺竜のことなんて忘れてしまったらどうかな──だめだ。

 敵討ちなんか、ロアンの親も望んじゃいないんじゃないかな──だめだ。

 きっと、いつか誰かが倒してくれるんじゃないかな──だめだ。

 一体何を言えばよいのだろうか。子供なりに、頭を働かせて色々と考えてみるクライスター。

 しかし、何を言っても逆効果に思えた。

 自分には、虐殺竜に家族を殺された者の気持ちがわからない。同じ経験をしていないのだから、共感なんてできるわけがない。「気持ちはわかるよ」なんて事は、絶対に言えない。言ってはいけない。わかったような事は言ってはいけない。そのことは、理解できていた。

 結局、ロアンの『仇討ち』がしたいという暗い願望を払拭させるような言葉は、何も言えないという結論に至った。

「虐殺竜を倒せるような武器かあー。あったらいいんだけどな。でも、もしあったら、それ使って誰かが倒してるよな……」

「………………」

 もしもそんな武器があったなら。しかし、存在しない。存在しないから、虐殺竜は倒せない。存在したらいいのに。無い。誰も創っていない。誰かがそんな武器を創ってくれたら──

 クライスターは、珍しく閃いた。

 『創る』。

 ロアンは手先が器用で、工作などを得意としていた。算数や科学も、興味は示さなかったが、理解は早いようだった。

「じゃあさ、ロアンが創ったらいいんじゃね? 武器」

 思い切って言ってみた。

「……え?」

「ロアン、器用だし頭いいじゃん。自分で創るってのはどうかな。竜を倒せる武器」

「創る…………自分で…………無理です、そんなの」

「なんで?」

「なんで、って──」

「やってみなきゃわかんないし、何も試さないよりは、いいと思うけどな。思ってるだけで何もやらなけりゃ、それこそ無理じゃん? 竜を倒して敵討ちなんて」

「………………」

 ロアンは、何やら思案するように沈黙した。


 その時の会話の効果は、遅々としながらも現れてきた。

 ロアンはそれから、変わっていった。それまでは、何もやりたい事など無く、ただ無気力に、漠然とした日々を過ごしていた。そこに、目標ができたのである。

 目標のために、貪欲に勉強するようになった。

 人との付き合いも良くなり、口数も増えて、笑顔も見せるようになった。明るくなった。

 心の傷も少しは癒えたように思えた。

 しかし──


 虐殺竜討伐に協力すると言った時、ロアンは「ありがとう」と感謝し、喜んでくれた。

 しかし、わかっている。よくわかっている。

 ロアンは、心の底から純粋にそう思っているわけではないという事──

 スキーマにも同じように感謝し、喜んで見せた。

 ミップスにも同じように感謝に、喜んで見せた。

 店の客にも、同じだ。

 彼は確かに、明るく爽やかに振舞うようになった。しかし誰に対しても『同じ』なのだ。

 同じ明るさ。同じ笑顔。

 自分にだけ特別な面を──他と違う反応を見せて欲しいなどと思うわけではない。

 付き合いが長いからこそわかる。誰に対しても『同じ』事の、不自然さが。

(ロアンは頭が良い奴だからなあ。全部、打算なんだよな……)

 明るく、爽やかで、笑顔を絶やさない。良い事だ。

 ほとんどの場合、そうでない場合よりも円滑に他人と付き合える。

 他人に良い印象を与える。好感を持たれやすくなる。

 仲間・協力者も得やすくなる。

(他人──人間も皆、『武器』というか手段なんだな、おまえにとっちゃ。みんなひっくるめて、虐殺竜に復讐するための『武器創り』で)

 結局、ロアンの根本的な心の傷──否、心の歪みは、解消されていない。歪んだままだ。

 そうなるほどの事を、虐殺竜はやったのだ。

 クライスターには、虐殺竜に対する私的な復讐心や恨みなどは無い。

 否、無かった。

(ロアンがこんなにも、歪になったのは……虐殺竜、てめえのせいなんだよな)

 それはロアンだけではないだろう。多くの『生き延びた犠牲者』がいるのだろう。

 それを考えると、クライスターはいたたまれなくなるのだった。

(わかりやすい悪者だよな、虐殺竜は。まったくもって)

 嘆息が漏れる。

 無限遠に焦点を飛ばしていたクライスターの黒い双眸が、眼の前のテーブルに焦点を戻す。半分ほど残っていたグラスの中のアイスコーヒーは、いつの間にか氷が溶け切って、薄くなってしまっていた。もう飲む気は起きない。

(虐殺竜を倒せたら、ロアンは……?)

 そんな不安もあった。誰にもわからない事で、考えても無駄であるのにだ。

 目的を達成できて、心の歪みも解消されていくだろうか?

 生きる目的を失って、また無気力になってしまうだろうか?

(考えても仕方ないよなあ……。とにかく、虐殺竜は倒すしかないわけだし。どうせなら、さっさと来てくれりゃいいのに)

 急に暇ができると、つまらない事をあれこれ考えがちになる。クライスターは、暇が苦手だった。

 次はどこで、何をして暇を潰そうか──

 できるだけ考え事をしないで済むような暇つぶしの方法を『考え』ながら、彼は喫茶店を後にするのだった。

 

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