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The Slaughter Dragon (2)

 

 まず、黒にミラーコーティングの大きいサングラスが印象的だった。

 丈夫そうな革のジャケットとパンツを着ている。革のジャケットやパンツは要所要所に鋼鉄のプレートが付けられ、軽装鎧といった感じになっている。

 女性にしては背が高い方だろう。スリムに見える四肢などは、よく観察すると鍛えられた筋肉で引き締まっているのがわかる。

 髪は癖の無い美しいブロンドで、邪魔にならないように後ろで一まとめに縛り、ポニーテイルにしていた。瞳はサングラスがあるため覗えないが、整って綺麗な顔立ちだった。

 背中には、黄土色に薄汚れた布で包まれた細長い物を背負っており、腰には小振りの剣を一本差している。

「こんにちは、僕がロアンです。本日はご足労くださってありがとうございます」

「はじめましてっ。連絡したポルネイラだよ、よろしくね。この店、あんたの店だよね。うん、悪くない。あ、あそこの大型肉食獣用トラップとかちょっと欲しいかも。後で売ってもらっちゃおうかなぁ」

「……ありがとうございます。あの、電話の時に聞きそびれていたのですが、『剣の妖精』って言われていて有名な賞金稼ぎのポルネイラさん……でよろしいのでしょうか?」

 暢気で緊張感がまるでない態度が予想外で、一応確認したくなるロアンだった。

「うんうん。そう呼ばれる事もあるねー。あ、ロアンって呼んでいい? いいよね。わたしはポルネイラでいいから。ちょっと約束の時間に遅れちゃったみたいで、ごめんね。向うの通りの装飾品店で、可愛いアクセが無いか、つい覗いちゃってさ。あはは」

「はあ……そうでしたか。とりあえず、奥でもう一人の協力者のオージスさんが待っていますので、僕たちも行きましょう。そこで作戦の説明などをします」

 ロアンは手を伸ばして奥の部屋に促した。

「ふぅん、わたし以外に一人しか来てないの? 広告の募集人数は五人だったよね」

「ええ、ポルネイラさんとオージスさんのお二人だけです」

「命知らずの馬鹿は二人、ってことか。しかしロアンって、見た目けっこう爽やかな感じなのに、なんか硬いね。もっと気楽にいこうよ。あ、でも虐殺竜退治となると、気楽にはできないかな。はは」

「はあ…………」

 ロアンは肩を竦めたくなるのを、なんとか我慢した。まるで緊張感が無く、遊びに来たような言動のポルネイラだった。

(この人は…………でもまあ、剣の腕と性格は関係ないはず……)

 軽い調子のポルネイラに苦手意識を持ちながらも営業用の微笑を維持し、オージスの待つダイニングへと戻るロアンだった。


「どうもどうもー。お待たせしちゃったみたいで、ごめんなさいねー」

「コーヒーかお茶、どちらがいいでしょう?」

 ダイニングに戻ると、ポルネイラにも飲み物を出そうと尋ねるロアン。

「うーん……ウイスキーとかって無い?」

 これから真面目な作戦の話をするという時に、酒を希望するポルネイラ。

「……ウイスキーはありませんね。それに、こういう時にお酒はどうかと」

 落ち着いて対応するが、ポルネイラの非常識さに内心で呆れるロアン。そういえば、サングラスもずっと付けたままで、外す気配は無い。

 オージスの方は明らかに気分を害した様子で、

「こんな緊張感の無い娘など、いない方がマシではないか、ロアン殿? 少し名が売れているからと、調子に乗っている傭兵としか思えんが」

 ポルネイラには背を向けた位置で座ったまま、不愉快そうに言うオージス。

「ちょっとー。初対面でそれって酷くないー? これから一緒に虐殺竜と戦うんだから、仲良くしたほうがイイ感じでしょー?」

 ポルネイラは暢気な笑顔を浮かべたまま、丸テーブルのオージスの左の椅子に座ろうとした。しかし椅子の背に手をかけて、オージスの仏頂面に視線を移したところで、絶句して動きを止めた。

 サングラスでその瞳は伺えないが、呆気に取られたような様子で、ポルネイラは数秒間その状態のまま硬直していた。

「ん、どうかしました……?」

「俺の顔がどうかしたのか?」

 ロアンは訝しむように尋ね、オージスは横目でポルネイラを睨みながら、不機嫌な声音で尋ねた。

「あ──うん、いや……紫の瞳が珍しいなーって」

 少し動揺した様子で、椅子に座りながらポルネイラ。確かにこの町で紫の瞳の人間は珍しく、ロアンも少し驚かされたのだが──それにしては驚き過ぎのようにも思えた。

「あはは。まあ、お酒が無いなら、コーヒーでいいよ。ミルクと砂糖入りでよろしくねー」

「わかりました。いれてきます」

 笑って何かを誤魔化している気もしたが、詮索はやめておき、ロアンはコーヒーを淹れてきた。

 そしてポルネイラの前にコーヒーのカップを置き、さっきと同じ、オージスの対面の椅子に座る。ようやく三人がテーブルを囲んだ。

「さて、それじゃあ虐殺竜討伐作戦の説明に入らせてもらってよろしいでしょうか」

 二人に目配せする、ロアン。

「ああ」

「いいよー。どんな作戦か楽しみだねっ」

 二人の声に軽く頷くと、ロアンはテーブルの上の『虐殺竜討伐作戦』と題を打ったファイルの最初のページを開く。

 そこにはこの町の東門付近の簡略図が書かれており、いくつかのマーキングとそれに関する簡単な説明が書かれていた。

 オージスとポルネイラがそれを覗き込むのを確認すると、ロアンは説明を始めた。

「まず、この作戦は待ち伏せて、町の入り口付近での迎撃する形になります。虐殺竜が東の村を襲撃したという話は、二人とも知っていますよね?」

 オージスとポルネイラが頷く。こんな作戦に志願する人間なのだから、虐殺竜に関する情報は知っていて当然だろう。

「この図が東門付近なのは、その情報から虐殺竜が東から来ることを想定しているわけです。そして、この門のすぐ内側の黒い丸印が虐殺竜を表します。その前の赤い丸が、虐殺竜と正面から接触して注意をひきつける、こちらのメンバーです」

「正面で待ち受けるメンバーが、求人広告で募集された俺たちというわけだな?」

 オージスがロアンに視線だけを移す。

「はい、お察しの通り。そうなります。そして、そのメンバーには、僕も加わります」

「ロアン殿も……?」

「ロアンって、竜とガチンコで戦えそうにはないけど、大丈夫なのー?」

 意外そうな二人だった。

「オージスさんとは先ほど少し話しましたが……ポルネイラさんは、虐殺竜に会ったことがありますか?」

「直接は無いねー。どんな奴なのかは、人から聞いたりしてるけど」

 その答えにロアンは頷く。

「二人とも虐殺竜に会ったことが無い、と。僕だけが、幼い頃に目の前で見て、あえて見逃された経験があるわけです。その時の記憶ですと、あの竜は人間を嬲り殺しにする事を楽しむという、残忍な性格の持ち主で、知能が高く、人語も流暢に操ります。虐殺竜があえて見逃した人間というのが、どれほど存在するのかはわかりませんが、その人間が再び目の前に現れたなら……注意を引き付ける効果は高いと思います」

 淡々と語るロアン。

「自分を『餌』にするというわけか、ロアン殿は」

「そうなりますね。ですが、『死をも厭わない』というわけではありません。僕も含めて、誰も死ぬことなく、虐殺竜を倒せる自信があるからです。さて次に、僕の自信の根拠でもある、狙撃メンバーの方を説明します」

 ロアンは、図の虐殺竜と接触するポイントから西側、家屋の図に重なるように描かれた、三つの赤い丸印を順に指差す。

「これら、ばらばらの場所にある三つの印が、狙撃メンバーの位置です。僕が独自に開発した新たな武器──『撃竜砲』と名づけていますが、それを用いてこの位置から虐殺竜を狙撃します。正面メンバーが注意を引き、タイミングを見計らって僕が合図を出します。狙撃手はスコープで僕の合図が見えるので、それを見て狙撃を開始。僕たちは彼らがそれぞれ三発、合計九発の弾を撃ち終わるまで、動かないようにします。下手に動いたら僕たちが当たってしまうかもしれませんからね。胴から頭に当たれば、人間は確実に即死する威力です。ここまで、よいでしょうか」

 一息ついてロアンはお茶を口にした。ポルネイラが手を上げる。

「あのさ、狙撃の位置、けっこう離れてるよね。百メートル以上あるんじゃないの? 普通のボウガンだと、届いたとしても弾は減速してヘロヘロになる距離だよ。その武器の弾も威力落ちたりしない?」

「狙撃ポイントは、百から二百メートル離れた家屋の中です。虐殺竜が来たときに、この付近の住民は避難する事になりますので、その時に家に入る許可を既にいただいています。ちなみに、試し撃ちは何度かしていますが、二百メートルの距離でも、厚さが約四センチある鋼の板をぶち抜いて、穴を開ける威力があります」

「わお……すごいかも。確かに自信を持てるだけある威力だねー。それなら虐殺竜の鱗も貫けそう」

「ふむ、それが事実ならば、『撃竜砲』という名前に負けない威力はあるようだな」

「そして、その試し撃ちの後ですが、弾のジャケットの改良、弾芯に含める事で貫通力を高める『貫徹子』の金属量の調整。薬莢──発射用の爆薬の調整と、砲身の強化などもしましたから、さらに弾速と貫通力は向上しているはずです。攻撃力強化の反面、耐久性と重さは妥協したりしたんですけどね……。あ、ちょっと専門的でわかりにくかったらすみません」

「よくわからないけど、すごそうだねー。でもさ、それだけ強力な武器があるなら、危険を侵して虐殺竜の注意を引き付ける役がいなくても、狙撃だけで倒せるんじゃないの?」

 不思議そうに訊いてくるポルネイラ。

「いえ、それだと確実性に欠けてしまうんですよ。この武器にも欠点があります。まず重くて巨大な点。十キロ強の重量があるので、一人で持ち運ぶのが苦しいほどです。そして、重いゆえに砲身を動かして狙いを定める動作にも時間がかかるという点。確実に当てるには、相手が静止しているのがベストなんです。さらに挙げると、弾の威力と速度を上げる為に発射火薬の量も増やし、爆発力もかなり高くしているので、恐らくすぐに壊れてしまいます。そして火薬で砲身が破砕したら使用者も大怪我を負うことになってしまうので、リスクもあります」

「ふぅむ、なるほどー。やっぱし注意を引く役が必要なのね」

 ポルネイラは納得して、もう訊くことはないという様子でコーヒーを一口。

 しばし、沈黙。その後、オージスが口を開いた。

「ロアン殿、一つ疑問に思ったことがあるのだが」

「なんでしょう」とロアンは、オージスに視線を移す。

「狙撃の為に虐殺竜の注意を引くだけならば、求人広告にあったような、『高い近接戦戦闘技術を持ち、虐殺竜と肉弾戦で戦える自信がある者』という条件は、不要ではないのか?」

「ああ。それですが……僕は狙撃だけで虐殺竜が死んでくれるとは思っていません」

「それだけ威力に自信がある『撃竜砲』を使ってもか?」

「はい。『撃竜砲』とその弾丸のコンセプトは、『竜の硬く厚い鱗を撃ち貫く』というものですが、貫通力を重視しているので、当たって貫通するとしても、虐殺竜の身体に小さい穴を空けるという事になります。勿論、着弾の衝撃によって、貫通した周辺の体組織にもダメージは与えるでしょうが、あの竜の巨体を考えると、腹部に数発当たっても、それだけで死に至るダメージにはならないと思っています。長距離狙撃では、頭部はターゲットしにくいし、撃てる弾数にも限りがあるので、確実性を重視して胴体を狙ってもらいますが、人間とは違う竜の身体──急所の心臓の位置というのも、はっきりしませんからね」

「……つまり、高いダメージは期待できるが仕留めるには至らない、という目算か。狙撃を受けて弱った虐殺竜に止めを刺せる戦士が必要というわけなのだな」

「その通りです。二人だけですが、オージスさんとポルネイラさんならやってくれそうだと、僕は思っています。作戦の説明は終わりですが、なにか他に訊きたいことがあればどうぞ。……あと、参加するのが嫌になったなら気兼ねなく言ってください。やめてもらってもかまいません」

 真剣に作戦の説明をしていた時には隠れ気味だった、ロアンの営業用笑顔が戻る。彼はオージスとポルネイラに目を向けた。

「俺はこの作戦に異論はない。ロアン殿の開発した武器で、どれだけ竜にダメージを与えられるかが鍵になるだろうが──この勝負、いける気がする」

 オージスはロアンに心を許したのか、強面の顔に微笑を見せた。

「いい感じなんだけどねー。その『撃竜砲』が虐殺竜じゃなくて、わたしたちにも当たらないか、ちょっと不安。当たったら即死でしょ! 味方に撃たれて死ぬとか、嫌すぎるからねー」

 ポルネイラが茶化すように言う。しかし、最もな不安でもあった。

「狙撃するメンバーの三人は、僕の店の常連客でもある、最も腕の良い狩人たちです。『撃竜砲』の試し撃ちでも、二百メートル先に置いた小さい花瓶にほぼ確実に命中させる腕の持ち主たちです」

「ふぅん、そっかそっか。まあ、わたしも参加していいよ、この作戦。報酬金も多いし、あの虐殺竜アペティードを倒したとなれば、英雄並に注目されるのは間違いないし。ふふふふん♪」

 楽しそうに頭を揺らすポルネイラ。そんな彼女を横目で見て、オージスが呟く。

「ふん……やはり金と名声が目当てか」

「なによー、オージスだってお金貰えると嬉しいでしょ? いくらあっても困るものじゃないし、お金がないとできない事もたくさんあるしねー」

「いらんな。大金を持っても使い道など無い。俺は虐殺竜に復讐できれば、それでいい」

「復讐ねぇ……。ロアンも目的は復讐だったりするの?」

「ええ、そうですね」

「二人とも、もっと前向きになれば楽しいよ、うん。まあ目的はどうあれ、一緒に頑張って虐殺竜を倒そー!」

「ふん……こんなのと共闘するのは気に食わんが、虐殺竜を倒せるのならば、我慢するしかないか」

「ちょっと、こんなのってわたしのこと? さっきからまじで酷いんだけどー。虐殺竜の前に斬っちゃいたくなるかも」

 物騒なことを言って、腰の剣の柄に手を載せるポルネイラ。どこまで冗談でどこまで本気なのか。サングラスで瞳が見えない事もあって、分かりづらかった。

「おまえなどに、この俺が斬れるわけがない」

 眼光を鋭くしたオージスの視線が、ポルネイラを射抜く。

 ロアンはオージスの放つ攻撃的な意志に威圧され、ぞくりと震えた。これが熟練の戦士のみが持ち得る鬼気か。しかし、この状況はなんとかしないとまずい。

「ちょっと、二人とも落ち着いてください。倒すべきは虐殺竜でしょう?」

 ロアンは穏やかな笑顔を浮かべたまま、少し困ったような語調で言った。

「やあねー、冗談なのに真に受けちゃって。あはは」

「……つまらん冗談は言わないほうが身の為だな」

 手のひらを振って笑うポルネイラ。不快そうに顔をしかめるオージス。

「とりあえず、最後に作戦の補足を。虐殺竜が町に接近したら警鐘が鳴るでしょうから、それが鳴ったら、この地図のポイントに集合ということで。今後は、すぐにポイントに移動できるように、できるだけ東門に近いところに宿をとっていただきたいです。僕もそうする予定です。あと明日の夕方、一六時に『撃竜砲』の最後の射撃テストを行いますので、よければ見に来てください。実際にどんな武器なのか見ておいていただきたいと思いますし。東門の外部、五番区画の空き地で行います。明日虐殺竜が来てしまったら別ですけれどね」

 ロアンの話を聞き、二人は席を立った。オージスは巨大な剣をまた背中に担ぎ、

「了解した。明日の試し撃ちも見に行かせてもらおう。それでは失礼する」

「はい、ではまた明日」

 ロアンに軽く礼をして、そっけなく部屋を後にするオージス。

「あー。ごめん、明日はパスで! この町、まだ来たばっかりだから、覗きたいお店とかたくさんあるんだよね。今日もまだ時間あるから回らないとっ」

「そ、そうですか……。では虐殺竜が来襲した際は、よろしくお願いしますね」

「うんうん、まかせて。それじゃねー」

 ポルネイラも、両手を合わせてロアンに謝ると、早足で部屋から去っていった。

 しばらくして、一人残った部屋でお茶を飲み干すロアン。

 テーブルに両肘をついて手を組み、浅くため息を一つ。

「あの二人……大丈夫かな」

 どうみても相性が悪いオージスとポルネイラ。その事が、作戦に支障をきたさなければいいのだが。


     ◆  ◆  ◆


 ロアンが部屋でため息をついていた、その頃。

 いったん自分の宿へ戻ろうと早足で歩いていたオージス。その背後から、さっき聞いていた女の声が投げかけられる。

「ねえ……ちょっと待ってよ、オージス」

 足を止めて振り返ると、走って後を追ってきたポルネイラがいた。

「……なんの用だ」

 仏頂面のまま、訝しむオージス。

 ポルネイラの雰囲気が、先ほどのロアンの部屋の時とは違っていた。

 飄然として緊張感の無い態度ではなくなっている。口元からも軽薄そうな笑みは消えていた。引き締めた表情になったとたん、聡明な女戦士に変貌したように見える。

「ちょっと、あなたに見て欲しいものがあってね」

「見て欲しいもの……?」

 彼女の雰囲気は変わったが、敵意は感じられない。

 問い返してからオージスが待っていると、ポルネイラは不意に微笑を浮かべる。喜んでいるようで、どこか寂しげな、不思議な微笑。

 そして自分のサングラスに手をかけると、それをそっと外した。

「!?」

 オージスは、目を見開いて立ち尽くした。


     ◆  ◆  ◆


 ロアンがオージスとポルネイラを招いた日の、翌日──

 夕暮れ時。赤紫の空が、シェワール市の東にある広大な草原の上に広がっている。地平の西の果てで、太陽は今まさにその身を隠そうとしているところだ。

 昼に活動していた獣たちは、ねぐらに戻りはじめる。一方、夜の闇を待っていた獣たちが獲物を求めて蠢き始める。草原の夕暮れ時は平穏な時間と思われがちだが、実際はそうではなく、ざわめきに満ちていた。

 そんな平原に流れる、一筋の小川。その畔に、黒い巨大生物が丸くなって寝そべっていた。

 虐殺竜アペティード。

 人間からは『虐殺竜』という物々しい名を付けられている彼だが、今はその名に反して、黒い鎧に包まれた巨体を、静かに横たえている。虐殺竜とは言っても、一生物の範疇の存在に変わりはない。休息や睡眠も当然必要とする。

 その真紅の瞳は、小川の水のせせらぎを見つめていた。人間を前にした時の、残忍で愉悦に満ちた眼光などは、今の彼からは伺えない。

 そんな虐殺竜だが、その両手の爪と背中から伸びる翼爪は血に染まっていた。今日もどこかで人間を殺してきたのだろうか。

 陽が落ちるにつれて、空は赤紫から青紫へと表情を変えていき、暗くなるとともに星が瞬き始める。西の空から闇夜を仄かに照らすは、上弦の月。

 黒き竜の周りを、小動物の影が駆け抜ける。竜の頭に生える鋭い角の先に、トンボが留まって羽を休める。彼らは知っているのだ。この竜が自分たちにとって無害な存在であることを。

 虐殺竜が愉しみながら殺すのは、『人間』だけだった。それ以外には、たまに大型草食動物を食するために狩るのみ。人間たちの彼に対する認識を裏切るのだろうが、普段は果実や野草を糧としているのだった。

(コノママ西ヘ進メバ、前ニ襲撃シタ、アノ町ニ行キ着クカ……)

 虐殺竜は寝そべったまま、思いに耽る。

(モウ十年ホドニナル。サスガニ、二度目トモナレバ、愚カナ人間ドモモ警戒シテイヨウガ……ソレモマタ愉シメソウダ。人間ドモノ強イ抵抗ガアレバ、ソレヲ叩キ潰ス楽シミガアル。逃ゲヨウトスルナラバ、追イ詰メテ嬲ル楽シミガアル)

 最近は、彼を倒そうと挑んでくる人間も増え始めている。トラップや新たな武器を駆使し、彼の身体にある程度の傷を付けた人間もいた。それくらい手ごたえのある人間を殺す事は、無力な人間を嬲るのとは違った快感を彼にもたらした。

「シカシ──」

 虐殺竜はゆっくりと身体を起こす。角の先に留まっていたトンボが、驚いて飛び去ってゆく。虐殺竜は小川へ顎を突っ込んで水を飲んだ。何度も水を嚥下して満足すると、顎を川から引き上げ、川面で揺曳する半月を眺めながら呟く。

「我ガ死ヲ迎エルト、コノ世界ノ均衡ハ、ドウナルノダロウナ……」

 彼のように人間を大量に殺す生物は、他には存在しなかった。

 『竜』という生き物は、少ないながら彼以外にも存在している。しかし、人間を殺し続け、その行為自体を愉しんで生き甲斐とする竜と言えば、おそらく彼だけだった。

 己がなぜ、人間を殺す事を至上の愉しみとするのか。

 なぜ、それ以外の事に興味が沸かないのか。

 愉しい事に、理由などは無い。愉しいから愉しいのだ。

 虐殺竜は、自分という特殊な存在の意味を考えることが多かった。

 そして彼が最近辿りついた答えは、『世界意志』に与えられた役割だということ。

 世界が意志を──世界それ自身が壊れないように均衡を保とうとする意志のようなもの──を持っていると仮定したならば、己は、その世界が生み出した存在。

 支配域を異常なまでに広げ、個体数を急増させている『人間』を抑制する為のバランサー。

 虐殺竜の彼がいなければ、彼という竜以外に天敵が存在しなくなった人間の繁栄は、歯止めが利かなくなるに違いない。そしてそれは、世界を壊す。均衡を崩す。

 人間を虐殺することで世界の均衡を守るというのが己の役割なのだと、彼は確信するのだった。

 そもそも竜という数少ない存在は、それぞれが世界意志に役割を与えられた存在なのかもしれない。そんな事も考えていた。

(我ガ死ネバ、我ノ代ワリノ竜ガ産ミ出サレルノカ? イヤ──)

 世界意志は、竜の数を減らしていると考えられた。彼はもう百年以上も生きているが、竜の数は減ってきているように思えた。世界意志は、竜というバランサーを用いない、別の新しい方法で世界の均衡を保とうとし始めているのではないか。

(竜ガイナクナレバ、『人間』ノ天敵ハ存在シナクナル。世界意志ハ新タニ別ノ天敵ヲ作ルカ? イヤ、ソレデハ、現存スル竜ヲ世界カラ消ス意味ガナイ。トナレバ、世界ハ──)

 竜が消えた世界で、世界は人間をいかにして抑制するのだろうか。探求心の強い虐殺竜であったが、その答えはまだ得られなかった。

「我ノイナイ世界ヲ案ジル必要ナド無イカ……。我ハタダ、愉シミナガラ、役割ヲ果タス。世界ノ均衡ヲ保ツ為ニモ──」

 夜の帳が降りた草原。静かに黙考していた虐殺竜の真紅の瞳が、川面から西の地平へと焦点位置をずらす。口腔の周りを濡らしていた小川の水を、長い舌で舐め取る。

 頭を低くして、矛のように鋭い先端を持つ尻尾をぴんと伸ばし、巨大なニ本足で大地を踏みしめる。

 黒き虐殺竜は歩き出す。

 愉しみ、殺すべき人間を求めて──

 

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