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The Slaughter Dragon (1)

同人誌『Lair Dragonizm 3』掲載作品の加筆修正版です。完結済み。

(※pixivにも投稿中)

 


 

 激しい心臓の鼓動が、全身に響いていた。

 恐怖という感情。ただそれのみが、彼の中を席巻している。

 年端もいかない少年ロアン・ジェルトは、人気の無くなった街路を必死に逃げていた。

 その傍らには、遅れないようにと全力で駆ける少女が一人。

 ロアンの幼馴染の少女、エルール・ベイカー。一つ年下で、男勝りの性格だが愛嬌のある顔をしている。茶色の髪と黒い瞳は、ロアンと同じだった。

 曇天の薄暗い空の下。死が色濃く充満した街──

 二人は、ただひたすら街路を逃げていた。

 息が苦しく、限界も近い。喋る余裕などまったく無い。

 死ぬのが怖い。

 死にたくない。嫌だ。嫌だ。嫌だ──

 備わっている生存本能は、恐怖感を与える事によって幼き命を死から遠ざけようと機能する。その命を守ろうとする。

 走り過ぎる街路のあちこちに、元は人間だったとと思しき肉塊が転がり、その周囲には深紅の水溜りが出来ていた。

 逃げるのに必死のロアンとエルールは、そんなものに気を止める余裕などない。

 彼らを追う『虐殺者』の大きな足音──それが、一向に遠ざかってくれないのだ。

 走っても。走っても。

 執拗に追ってくる、虐殺者の足音。

 本当はすぐにでも追いつけたに違いない。しかし、その虐殺者の足音は付かず離れずの距離を保って少年と少女を追い詰めてゆく。

 ロアン達が力尽きるのを待っていたのだろう。

 逃げるロアンたちを助けようとする者などは、誰も現れない。

(僕たち以外の人間は、もうみんな殺されたんだ……)

 そんなことを思って、絶望するロアン。

 そして遂に状況は進展した。悪い方向へと。

 少女──エルールがつまづいてこけてしまったのだ。

「エルー!!」

 ロアンは慌てて立ち止まった。力なく地面に膝をついた少女を愛称で呼び、振り返る。

 少女は自分と同じく、息も絶え絶えだった。二人とも肺が悲鳴を上げている。

 そして彼女のすぐ背後に、虐殺者はもう迫って来ていた。エルールもその虐殺者を振り返り、恐怖と絶望に涙を流し続けていた。

 見上げんばかりの巨体。漆黒の身体の魔物。

 二本足、前傾姿勢で立つ、象よりも大きい巨体。禍々しい黒鱗が、全身を鎧のように包む。その黒き体の中で映える白は、頭部で捩れ曲がって伸びる四本角。そして血のように紅く輝く瞳。

 剣山のような牙や、四肢──短めの腕と、太く強靭な足──に備わる鋭い爪も、本来は白っぽい色なのだろうが、今は血で紅く染まっている。街路に転がっていた人間たちの血に違いない。

 また、背中に生えている一対の凶悪な武器──翼が退化してできたと思しきもので、先端に長い三本爪を備える──も、同様に紅く染まっていた。


 黒き虐殺竜、アペティード。


 この世界でその名を知らぬ者は皆無。百年ほど前より、絶対的な力で人間を虐殺し続けている存在。

 その禍々しい姿を見て、ロアンも硬直した。もう足が動かなかった。幼馴染の少女を置いて逃げることができないから──などという理由ではない。

 恐怖。そして、限界を超えた足の疲労で。

 今更逃げても無駄なのだと、無意識に理解したのかもしれない。

「ククク……オイカケッコノ時間ハ、終ワッテシマッタナ。小サキ人間ドモヨ」

 虐殺竜が愉しそうに、不気味に反響するような声で話す。知能の乏しい野獣などとは違い、人間の言葉を話せるのだ、この竜は。

「やだ……助けて……ロアン……」

 泣きじゃくりながら、枯れた声で助けを呼ぶ少女。いつもの男勝りで気が強い少女は、もうそこにいない。

 彼女と同じく無力の少年であるロアンは、助けたくても助ける術など持っていない。むしろ、ロアン自身も助けを呼びたかった。

 なんとか立ち上がって虐殺竜から離れようとするエルールだったが、その背中から容赦無く重い力がかかり、地面に押し倒された。悲鳴をあげるエルール。

 逃がさないようにと、うつ伏せに倒れた少女の腰の上に、大きな足を乗せる虐殺竜。

「サテ、ドウヤッテ殺シテヤロウカ。希望ガアルナラ、言ッテミロ」

「いやっ……いや……助けて……助けて──」

 竜に押さえつけられて逃げられない少女は、まともな言葉を喋れる精神状態ではなかった。同じ言葉を繰り返すだけだ。ロアンの方に向かって、救いを求めるように震える手を伸ばしながら。

 ロアンは、ただ立ち尽くしてその光景を見ていることしかできなかった。

「希望ハナイノカ……ツマランナ。デハ翼爪で串刺シニスルカ。イイ悲鳴ヲ聴カセテクレヨ? ククク……」

 邪悪に笑う顎を少女に近づけながら、背中の『翼爪』と呼んだ器官を動かし、片方の長い三本爪を少女の背中に向ける。

「エ、エルー……! やめろっ!」

 ロアンは初めて叫んだ。

 恐怖は依然として彼を縛り付けている。しかし幼馴染の少女が、眼前で殺されようとしているのだ。そちらもまた耐え難い事に違いない。

 彼は虐殺竜に懇願することしかできなかったが、それでも勇気を総動員して叫んだ。

「ウルサイゾ。スグニ貴様モ殺シテヤル。ソレマデ、黙ッテコノ女ノ悲鳴ヲ聞イテイロ。人間ノ悲鳴ハ色々ト個性的ダカラナ。聞キ飽キルコトガナイノダ」

 虐殺竜は、ゆっくりと三本の翼爪をエルールの背中に近づけていく。そしてついに先端が背中に触れた。

「いや……」

 最早もがく気力も残っていないエルール。背中に触れた鋭い竜の爪の感触に、さらに絶望し、死の恐怖が増幅してゆく。

 その時。ロアンの恐怖を、勇気の方がねじ伏せた。

「やめろーっ!」

 虐殺竜に敵うはずなどない事は解っているのに、こぶしを振り上げて竜に向かって駆けるロアン。彼は、己がそんな行動をとれるだけの勇気を持っていたことに驚嘆する。

 ロアン自身はその時気づいていなかったが、ただの幼馴染を超えた感情を彼女に抱いていた故の行動だった。

「黙ッテ待ッテイロト言ッタハズダ」

 冷酷に言い放つ虐殺竜。

 ロアンの方に目も向けずに、空いているもう片方の翼爪の一本を振り、向かってくるロアンを横に薙いだ。

「っぐあ……!」

 翼爪がロアンの腰を打ちつける。鈍い音と共に、ロアンの体は吹っ飛び、街路の脇にある民家の壁に打ち付けられた。

 ロアンの肋骨は折れ、壁に激突した時に頭や背中も強く打った。全身に走る激痛に、ロアンは苦悶し、呻いた。

 無力。

 虐殺竜の一撃を受けただけで、もうまともに動くこともできない。

「サア、愉シイ愉シイ、串刺シノ時間ダ」

 遂に竜の長い三本の翼爪がエルールの服を破り、背中の肉を穿ち、食い込んでいった。

 見たくない。こんな凄惨な光景は。しかしロアンは、意思とは反してその光景から目が離せなかった。

「ああああァァァァッ!」

 エルールが苦痛に上げる悲鳴が、ロアンの鼓膜にも響いた。

 聞きたくない。しかし、ロアンは耳を塞げなかった。

 ズブリズブリとゆっくりと少女の肉を背中から刺し貫いた爪が、今度はゆっくりと引き抜かれる。血が溢れる。

 エルールは、狂ったように悲鳴を上げ続けた。実際、この異常な状況と苦痛で、彼女の精神は狂っていたのかもしれない。

「ナカナカイイ悲鳴ダ。サア、次ハ別ノ場所ニ穴ヲ開アケテヤロウ」

 虐殺竜は楽しそうに告げると、血が滴る翼爪を先ほどとは別の位置に埋めていく。あえて心臓を避けた位置に。

 再びエルールの悲鳴。だが、先の悲鳴よりその声は弱くなっていた。

「やめろ……やめろよ、もう……! エルー……!」

 あまりに酷い虐殺竜の行為に、泣き叫ぶロアン。

 二度目に刺された爪が抜かれた時、もうエルールの悲鳴は殆ど声量を伴わず、掠れていた。彼女の命の灯火は、消えかかっていた。

「ククク……ナカナカ良イ悲鳴ダッタガ、ヤハリ大人ノ人間ホド、長続キハシナイナ。モウ終ワリニシヨウ」

 そう言うと虐殺竜は、今までとは違って一瞬で、三本束ねた翼爪でエルールの心臓を貫き、抜いた。

 少女の体は一瞬ビクっと跳ねて、声も無く動かなくなった。大量に流れた血が彼女の服を紅く染め、溢れたそれは亡骸の周囲に広がっていく。

「エルー……そんな……いやだイヤダイヤダ……コンナノ──」

 目の前で幼馴染が、虐殺竜に嬲り殺しにされた。ロアンの精神は、凄惨過ぎる現実から逃避しようと──壊れようとしていた。

 虚ろな相貌を無限遠に向けて、ぐったりと壁にもたれるロアン。そんなロアンにゆっくりと歩みよる虐殺竜。

「オトナシクナッタナ。壊レタノカ? ン?」

 虐殺竜は、手の爪でロアンの頬を弾いた。

「っ……!」

 その痛みで、奇しくも我に返ったロアン。浅く切れた頬から血が流れる。虐殺竜が放置していたら、そのまま彼の精神は壊れてきって戻らなかったかもしれない。

 目の前に虐殺竜の禍々しい顎が迫っていた事にロアンは息を呑む。だが、我に返ったロアンは虐殺竜を睨みすえていた。最早怯える様子は無い。

 憎い。彼女を殺したこの竜が、憎い。憎い。憎い。憎い。憎い!

 激しい憎悪を込めた瞳。

「殺すんだろ、僕もエルーみたいに……やればいいよ」

 唐突な態度の変化に、竜はしげしげと少年を見つめる。

「フム……。ヤケニナッタカ、覚悟ヲ決メタト言ッタトコロカ。シカシ我ニ嬲リ殺サレルノハ、苦シイゾ? サッキノ少女ノ悲鳴ヲ聞イタダロウ。貴様モアアナルノダ」

「ならない! 痛くても苦しくても、悲鳴なんて上げてやらない!」

 強い視線で虐殺竜を射抜くようにして、ロアンははっきりと言い切った。例え己が無力で彼女の敵討ちができなくとも、虐殺竜を喜ばせないようにはできる。

 激しい憎しみと悲しみが、本能の恐怖を退けていた。

 虐殺竜は「ホウ」と、少し少年から顔を離して、人間のような仕草で腕を組んだ。

「……コンナ反応ヲスル人間ハ何十年ブリダロウナ。コチラカラ先ニ殺スベキダッタカ……。興ガ醒メタ。貴様ニトッテ、我ニ嬲リ殺サレルヨリモ、辛イ仕打チヲ与エテヤルトシヨウカ」

 虐殺竜は口を歪めて嘲笑する。

「な、なんだよそれ? 殺されるより辛いって……」

「ククク……解ランカ。ツマリ、コウイウコトダ」

 言いながら、虐殺竜はロアンに背を向けて、立ち去ろうとした。

「…………?」

 ロアンには、わけがわからなかった。虐殺竜の理解不能な行動に拍子抜けする。

「見逃すつもり……なの……?」

「ソウダ。生カシテオイテヤル。生キルガヨイ。貴様ノ家族モ、友人モ、コノ町ノ多クノ人間モ、我ニ殺サレテ皆イナクナッタ世界デナ」

 虐殺竜が軽く振り返り、口腔を歪めて嗤う。

「……!」

 少年は、エルールの死に対する悲しみを、虐殺竜への憎悪で一時的に忘れていた。大切な人が皆、この竜に殺されてしまった事も。

 皆、もうこの世にいないのだ。側にあるエルーの亡骸が視界に入り、再び瞳から溢れるもので視界がぼやける。

「そんな……僕だけ……一人だけ、生き残って──」

「悲シメ。苦シメ。我ヲ憎ミ、怒リ、復讐ニ生キルモヨイダロウ。ダガ我ノ前ニ再ビ現レタナラバ、ソノ時ハ今度コソ死ヌコトニナルダケダ。──サラバダ、哀レナ人間」

 虐殺竜はそう言うと、ロアンの前から去っていった。眼前で揺れる、矛のような鋭い先を持つ黒い尾が、小さくなっていく。

 竜が見えなくなってしばらくすると、遠くで悲鳴が聞こえた気がした。虐殺竜が別の人間を見つけて殺したのだろう。

「エルー、父さん、母さん…………」

 みんな死んだ。殺された。自分だけ残されて。自分一人だけが助かった事に、喜びなど無い。

 暗い曇天から、小さい雨粒が零れ落ち始めた。町の惨状に雨雲が涙したのか。それとも、これは慈しみの雨で、町の血と死臭を洗い流してくれるというのか。

 これが夢ならば、早く覚めて欲しいと思った。

(…………そう。夢だ、これは)


     ◆  ◆  ◆


 ベッドの上で男が目覚めた。酷い夢を見たことに、ため息が漏れる。

 現実に起きた過去を再現して見せ付けてくる夢──悪夢。

「またこの夢……最近は、あまり見なくなっていたんだけどな」

 上半身を起こし、男が呟く。

 黒い瞳に、茶色の髪。この町に住む者の一般的な特徴だ。やや色白で優しい印象を与える、整った顔立ち。中肉中背だが、男にしては線が細くみえる。

「あんな事を聞いた晩だから、仕方がないか……」

 寝癖が付いた髪を確認するかのように片手でいじりながら、壁に掛かっている時計を見遣る。七時過ぎだった。下の店を開けるまで、まだ時間に余裕がある。

 小さな自室に一つだけ存在する窓から、朝日が差し込む。

 今日は特別な予定がある日だった。店は、昼過ぎには閉める事になる。

「求人広告で拾えた二人、協力してもらえるといいけど……」

 ベッド脇の小さいデスクの上には、昨日の新聞の切り抜き。


 ──東の草原の村、虐殺竜の襲撃で全滅

 ──市の自警団、警戒の動きを強める

 ──市民の皆様は避難経路の確認を


 切り抜きの、大きい記事の見出しにはそうあった。

 あまり時間の猶予はないだろう。


     ◆  ◆  ◆


 自由都市シェワール。通称シェワール市は、比較的規模の大きい都市国家である。

 南には港町が、西には別の国の大都市がある。東には広大な平原と森林地帯が広がり、小さい村が散見する。東の平原の村々とシェワール市の間では交流・交易が盛んだった。北には険しい山岳地帯があり、山岳の麓には小さい山村がいくつかある。山岳を越えた遠く先には、雪国の小王国があったが、そこは過去に虐殺竜の襲撃で滅ぼされ、今はもう無い。

 シェワール市もまた、過去に虐殺竜に襲撃されて人口の六割を失い、壊滅状態に陥った。だが生き残った人々の努力と、周囲の町や村からの支援により、再興を遂げた。

 復興後は、蒸気機関の開発がされた事によって、蒸気機関を用いた工場や、列車が町を縫って走るようにもなった。ちなみに復興前のシェワールは、『旧シェワール市』と呼ばれている。

 虐殺竜アペティードは、ただ虐殺を愉しむ為に人間の町を襲い続け、世界中の人々から強く恐れられている存在である。神出鬼没で、その行動範囲も広い。虐殺竜が初めて人間を襲ったのは、百年以上も前だと言われている。

 人々の中には、虐殺竜を討伐しようとする者も勿論いた。

 単独で無謀にも戦いを挑む者。大部隊で数に物を言わせて挑んだ者。罠にはめて殺そうと考えた者。頑強な竜の体に損傷を与えられる武器を開発しようとした者──

 多くの勇敢な者が虐殺竜に挑んだが、その殆どが返り討ちに遭い、それ以外のごく一部の者も倒し損ねるという結果だった。虐殺竜は未だに世界中で殺戮を繰り返している。

 そしてこのシェワール市にも今、虐殺竜を倒そうと本気で考える者がいる。

 その人間の名は、ロアン・ジェルト。

 旧シェワール市の虐殺竜襲撃を経験し、生き残った男。家族を失った彼は、同じような境遇の子供を集めた施設で育った。

 手先が器用だった為に狩猟道具作りの仕事を与えられ、そこで彼の才能は開花していった。今ではシェワール随一のボウガンの作り手として有名になった彼は、小さな店『刹那の飛翔者』の看板を出していた。自宅と工房を兼ねた店で、手作りの弓や狩猟用の器具などを販売している。

 シェワール市には、市の東部の平原・森林に食用の動物などを狩猟しに行く狩人が多い。そんな狩人たちの間で、ロアンの作るボウガンや狩猟道具は高く評価されていた。

 ロアンの店の外見は、平凡な木造二階建ての民家で、一階を店にして看板を付けているという風だった。

 ガラス張りでの商品展示などは無く、外から店の内容を判断する材料は、入り口のドアの横に置かれたボウガンのオブジェと、『狩猟道具店 刹那の飛翔者』と書かれた看板があるのみ。


 店の周辺は、同じくらいの大きさの人家や小さい店が並んでいる。ぽつぽつと数人の人通りがある路地は、広くも狭くもない。

 昼下がりのその路地を、一際目立つ容姿の男が歩いていた。

 筋骨隆々で、背丈はニメートル近い大男。歳は三十代くらいに見える。短く刈り上げた銀髪。細かい傷跡が多い顔は、勇壮な印象を与える。その双眸は、シェワール市の人間では見かけない、綺麗な紫色をしていた。

 飾り気の無い服装で、白いシャツにベージュの皮ジャケット、同じようなベージュのパンツ、茶色の革靴。服装は地味だが──肩から腰に斜めにかかった帯剣用ベルトで、巨大な大剣を背負っているのが、人目を引く。

 都市警察が機能して治安の良いこの街で、このように目立つ武器を持ち歩く者は皆無である。護身用に武器を携帯するにしても、短剣や警棒のような小さい物が普通だ。

 1メートル半程もある、巨大で幅広の大剣。その重量も見た目相応に違いないはずなのだが、男はまるで剣の重さを感じていないかのように、平然と歩いていく。

 男が歩く先の小さな店から、ボウガンを背負った中年男性が出てきた。『狩猟道具店 刹那の飛翔者』という看板の店から出てきた事からも、狩人と見て間違いないだろう。

 続いて、色白で線の細い中肉中背の若い男が店から出てくる。

「やー、ついにテスト射撃か。明日が楽しみだぜ」

「ええ。やっとここまで漕ぎ着けて、僕も嬉しいです。ミップスさんやクライスターさんにも伝えておいてくださいね」

「おう、じゃあまた明日な、ロアン」

 何度か言葉を交わして、中年の狩人は逆方向に去っていった。もう一人の若者が、『ロアン』と呼ばれていたのを聞いて大男は、

(この若者が、今回の雇い主というわけか……)

 と、少々驚いた。


 ロアンが、常連客の──今回の虐殺竜討伐作戦の協力者でもある──狩人を見送り、店の中に戻ろうとした時。

 反対側から巨大な大剣を背に担いだ巨漢がやってきた。歳はロアンより上で、三十代くらいだろうか。珍しい紫の瞳。顔についた多くの古傷の跡が、彼の過去を想起させる。

 時間的にも、あらかじめ電話で聞いていた特徴からも、彼が『自分の客』だと確信するロアン。

 それは相手も同じだったのか、ロアンの前で巨漢は立ち止まった。高い位置にある男の顔を見上げるようにして、ロアンの方から声をかける。愛想の良い営業用の微笑みを作って。

「紫の瞳に大きな剣──連絡頂いた、オージス・ソルダートさんでしょうか?」

「ああ。君があの広告の主、ロアン・ジュルト殿か」

「はい。僕があの<虐殺竜討伐作戦>の求人広告を出しました。今日はご足労下さって、ありがとうございます。とりあえず、中に入りましょうか」

 言って、ロアンは店のドアを開き、巨漢のオージスを促した。

「ああ」

 大男は小さく頷いてドアをくぐる。背がニメートル近くあるせいで、すこし頭を下げないとドアをくぐれない様子だった。

(裏が無いならば、寡黙な戦士って感じかな、この人は)

 第一印象でそんな感想を抱くロアン。常人からかけ離れた、いかにも屈強そうな容姿の男だった。この作戦の協力者としては、この上なく相応しい。

 店のドアの表にかかっている『営業中』の札を反対にして『休業中』という面に変え、ロアンもオージスの後から店内に戻った。

 店内は、部屋の両脇の隅と中央にガラスケースで展示してある商品のボウガン・狩猟道具などが、所狭しと配置されていた。

 ロアンは店にしている部屋の奥にあるダイニング兼用応接間へとオージスを促す。そちらも広い部屋ではないが、いくらかはましだ。部屋には、簡素な丸テーブルと椅子、食器棚などがある。

 テーブルの中央には『虐殺竜討伐作戦』と雑な字で書かれた文書ファイルが一つ。

 オージスには、テーブル脇の椅子に剣をはずして座ってもらった。茶かコーヒーか尋ねると「茶がいい」と答えたオージスに茶を淹れ、自分にも同じ茶をいれると対面側の椅子に座る。

「狭苦しいところで、たいしたもてなしもできず、すみません」

「かまわん。どうでもいい事だ」

 オージスは言葉も短く答える。ロアンの第一印象通りの人物のようだった。その太い声と、身長差で上から見下ろされている状態が相まって、ロアンは威圧感を感じずにはいられない。こうしてただ座っているだけでも、オージスには隙が無いように思える。

 しかしロアンは怯まない。店の営業で鍛えられた穏やかな微笑みを崩さず、悠揚な態度を保つ。常連客である凄腕の狩人もまた、オージスほどでは無いが似たような威圧感を持っている。それ故、『達人』と呼ばれる類の者に対する免疫ができていた。

「そう言ってもらえるとありがたいです。早速、本題の話をしたいところなんですが──」

「他の者が、まだ来てないようだな」

「ええ。と言っても、あと一人だけなんですけどね。求人では5人まで募集していたわけですが、オージスさんともう一人しか志望者がいませんでしたから……」

「そうか。だが、大丈夫なのか、そんな人数で? 強力な武器を用意してあると書いてあったが……相手はあの虐殺竜だ」

「もう一人の方、ポルネイラさんが来てから作戦の詳細を話したいと思ってます」

「ポルネイラ……『剣の妖精』と言われている、あの女賞金稼ぎのポルネイラか?」

「おそらくその人のはずです。電話の声も女性のものでしたから。とは言え、会ってみるまでは、同名の別人って可能性もありますけどね」

「…………」

 少し俯いて押し黙るオージス。どことなく不愉快そうなその表情に、理由がわからずロアンは困惑する。彼が何を考えているのか、よくわからなかった。

「ええと……もうすぐ約束の時間なので、来てくれると思うのですが」

「そうか」

 オージスは短く相槌を打つだけだった。そして沈黙。

(ちょっとやりにくいかな……)

 と、ロアンも会話が途切れて悩んでいると、オージスがロアンの瞳を覗き込んできた。

「ロアン殿は……どうして虐殺竜を?」

 思いがけないことに、オージスから口を開いた。それはちょうど、ロアンがオージスに聞いいても良いものかと逡巡していた事でもあった。

「理由、ですか」

「ああ」

「ありがちですが、ただの復讐です。僕の友達や家族が、旧シェワール市の虐殺竜襲撃事件の時に、奴に殺されました」

「旧シェワール襲撃事件の生き残り、か……」

「はい。あの事件の後、僕の生き甲斐は奴を倒す事くらいなんですよね。復讐に生きる事が、良い生き方だとは思わないですが──奴を滅する為の武器作りだけが、僕を夢中にさせてくれます。こうして店を構えるほどになったのも、虐殺竜への負の感情のおかげかもしれません。皮肉なことですが」

 どこまでも落ち着いていて丁寧な物腰で語るロアン。だが、その瞳には強い意志が──ある種の狂気ともいえる光が宿っていた。

 底の見えない、静かなる憎しみ。静寂の中で、静かに燃え続ける焔。

「オージスさんの方は──差し支えなければ聴きたいところですが」

 ロアンもオージスの紫の相貌から瞳を逸らさずに尋ねる。オージスは軽く頷いた。

「俺も似たようなものだ。復讐という事に違いはない。正直、ロアン殿が広告に書いていた多額の賞金にも、興味は無い。…………遥か北にあった雪の国、ロブラント王国を知っているか?」

「聞いたことはあります。旧シェワールが襲撃される数年前に、虐殺竜に滅ぼされた国……のはずですよね」

「ああ。俺はその国の生まれでな、王宮警護兵をしていた。本当ならば、あの時俺も殺されていたかもしれん」

 オージスの瞳に無念と憤怒の情が篭り、焦点はロアンから遠い彼方へと飛ぶ。ロアンは黙して先を促す。

「……虐殺竜が王都を襲った時、俺は休暇を貰って、生まれ育った辺境の村の実家に帰っていた。知らせを受けて急ぎ駆けつけた俺が見たのは、死の町だ。雪の少ない夏で、死体は降雪に隠れることもなく、王都中に転がっていた。王宮の中も地獄だった。俺の同僚だった兵士たちも全員殺されて、生きている者は誰一人としていなかった。国王様やお后様の亡骸も、この眼で確認した……。俺は、何もできなかったんだ」

 凄絶な過去を重々しく語る。やるせない想いが滲む表情。だが唐突に、オージスの表情がその顔に不似合いな笑みを浮かべた。

「最初にロアン殿を見たときは、頼りないという印象を抱いたが、違ったようだ」

「そうなんですか? 僕は頼りないですよ、武芸のような技術は何も持ってないですし。体つきを見ての通りです」

 オージスの打ち明けた本心に対して不愉快な表情も浮かべず、自嘲するように笑うロアン。

「金や名声のためでなく、仇討ち、復讐。その為の執念──強い意志を、ロアン殿から感じた。目的は殆ど同じだ。うまくやれそうだな」

 どうやらオージスはロアンに心を許したようだった。

「そう言って貰えると嬉しいです。──ところで、オージスさんは虐殺竜が王都を襲った時、不在だったと。つまり、虐殺竜を自分の目では見ていないんですよね」

「ああ……祖国を滅ぼした仇敵の姿、見ることもかなわなかった」

「僕は、虐殺竜を文字通り目の前で見たんですよ。よく覚えています、あの禍々しい、漆黒の姿を」

「……虐殺竜を目の前にか。十年前だと、ロアン殿もまだ幼かったはず。どうやって生き延びたというんだ?」

「家族も幼馴染も、目の前で嬲り殺されました。幼かった僕は、それを見ておかしくなりかけましたが、なんとか死の恐怖を克服できたみたいで。それを知った虐殺竜は興醒めしたのか、僕をあざ笑い、見逃しました。『家族や友人を失った世界に、独りで苦しみ生きろ』と。酷いものですよね、まったく」

 ロアンは、他人の話か世間話でもするように語った。柔和な微笑みもそのままに。ただ瞳に宿る強い意志だけが、隠される事無く主張をしていた。

「なんと酷い……。虐殺竜にとって、俺たち人間は玩具だとでもいうのか!」

 オージスは痛ましいロアンの過去に顔をゆがめ、拳を握る。

「そうなんでしょうね。あいつにとって人間の虐殺は娯楽のようなものなんでしょう。殺すも生かすも自由。人間の生殺与奪の権利を濫用しての娯楽。ですが──」

 ロアンの営業用の微笑が、初めて不敵な笑みに変貌しかけたその時。

 キシィィ──

 木製の店のドアが開けられる音が響く。

「ども~、こんにっちは~! ロアンさんのお宅ってここで間違いないかな?」

 暢気な調子の女性の声が、ロアンとオージスのもとまで届いた。二人は一時、顔を見合わせる。

「……ポルネイラ、か?」

「……でしょうか。ちょっと失礼しますね」

 ロアンは席を立つと、足早に隣の部屋へと向かった。

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