日影の蜃気楼
ちりんちりん、風鈴の音が遠くで聞こえる。
真夏の昼間、じりじり照らす太陽の光の下。黒い髪に熱がこもって、ノースリーブの一糸まとわぬ腕が時間が経つごとに焼けていくのを感じる。お下がりのゴツいサンダルからはみ出た指先さえ汗をかいて、鞄も財布も何にも持っていない少しさびしい掌が汗で滲んでいる。
踏み切りの向こうに逃げ水と陽炎が見える。車が横をどんどん通り抜けていくが気にしない。次第にのどが渇いてきて、冷たい水が欲しくなったから近くの自販機に向かった。どうやら今日は風が吹いていて日影が涼しいみたいだ。少し休憩と日影でちびちび水を飲む。
「あーあ、今日も駄目だったよ」
今日こそはあると思ったのに。右腕を見れば、腕時計の針が午後一時を過ぎたことを指している。無意識にため息を吐いた――これで、何年目だ。夏休み中毎日ここに通いつめて、午後一時になったらがっかりして帰る。小学校三年生の夏から高校二年生まで、どれだけ私はあがいているんだ。
分かっているんだろう、私。きっともう絶対にあっちには行けない。それに、どれだけ時間が経っていると思っているんだ。もう八年だ、いい加減に過去のことは放って生きていかなければいけないんじゃないか? 自問自答は水のペットボトルがひしゃげて終わった。
私は小学三年生の夏、ここから消えた。
それはたった一ヶ月の話。私はあそこで必死に生きて、気が付けばまたここに戻ってきていた。一瞬夢だったのかとも思ったけど、自分がしてきたことを覚えているのは確かで、体中にある傷が本当だと言っていた。私はその場から動けずに、ただただランドセルを握る手が汗ばんでいた。
その次の日から私は待ち続けた。大した自信もなしに、私が消えた正午から戻ってきた一時までの一時間、ずっと立ち続けた。その理由はただ一つだけ。あの人に会いたかったから。
どこの少女マンガの乙女なんだよって思う。けど、あの人は本当に大切な、あっちの世界ではじめての友達だった。思い出だから美化されてるって分かってる。だけど、突然あっちの世界に放り出された私を助けてくれて、最低限生きれるようにしてくれたのは彼女、イルステアだ。
お礼も何にも言えずに私は戻ってきてしまった。イルスはきっと私を探したと思う……いいや、探したに違いない。イルスは元気にしているだろうか。あの世界はとても怖いもので溢れていた。今まで元気であれと思ってきたけれど、ふとした時に不安になる。イルスは死んでしまっているんではないか、と。
けれども、それでも私は、どうしようもなくあっちの世界に惹かれて、憧れて、恋い焦がれていた。
あくる日、曇り空が広がる午前十二時のことだった。曇っているからか、空気はじめっとしていて蒸し暑く息がしづらい。気が向いて空を見上げてみると、丁度差し込んできた太陽の光が目に入って眩しかった。ちょうど足を踏み出した時にサンダルが砂利を踏んで、音を立てたのに何故か無性に腹が立った。
いつもと同じように踏み切りの方を向いて立っていると、蜃気楼でぼやけた人影が見えた。それは女性のシルエットで、ゆったりめのワンピースを着ていた。私は息をのんだ。それは正しく、私の会いたかった人――イルステアだったからだ。
ぼやけて輪郭も定まっていないけれど、私にはわかる! 彼女だ、きっと私がなかなかあっちに行かないから、彼女の方から来てくれたに違いない。私は心からそう思った。
「イルスッ!!」
彼女はこちらを見て――――私に向けて何かを話そうとした。けれど、踏み切りに電車が入って、抜けた頃には、イルスはもういなかった。
私は何をするでなく、ただ茫然と立ち尽くすだけしか出来ずに固まるだけで、イルスを追いかけることも、イルスが何を言おうとしたのかを考えることも出来なかった。
ああ、そういえば、あの世界は。
一か月が、こちらの一時間の世界だった。
(*^^)v




