推しの悪役令嬢が婚約破棄されたので、隠していた力を解禁して彼女を攫おうと思う
「アニエス・ド・ラ・メール!
貴様との婚約を破棄し、真実の聖女であるミカエラと結婚することをここに宣言する!」
煌びやかな夜会。第一王子の高らかな宣言。
周囲は「ああ、やっぱり」という嘲笑と、「ざまぁみろ」という視線で溢れている。
断罪されているアニエス様は、誇り高く背を伸ばしたまま、悲しげに瞳を伏せている。
その様子を、会場の隅で「壁の一部」になりきって見ていた僕——彼女の護衛騎士騎士、カイルは、静かに手元の記録水晶を止めた。
「よし、撮れた」
僕は、誰もが「真面目だけが取り柄の地味な騎士」だと思い込んでいる眼鏡を指で押し上げた。
いやあ、長かった。
この「バカな王子がアニエス様を捨てる瞬間」をどれほど待ちわびたか。
「カイル、……すまないわね。あなたまで巻き込んで」
アニエス様が、僕の隣まで歩いてきて力なく笑う。
王子はすでに、聖女(笑)とやらを抱き寄せ、勝利の美酒に酔いしれている。
「いいえ。むしろ感謝していますよ、アニエス様。
これでようやく、『公序良俗』を守るフリをしなくて済むんですから」
「え……?」
僕は、騎士団から支給された安物の剣を、迷いなくその場に捨てた。
そして、前髪をかき上げ、隠していた「本気」の魔力を解放する。
ドォォォォォォォォン!!
夜会の会場が、地震でも起きたかのように激しく揺れた。
窓ガラスがすべて粉砕され、王子の取り巻きたちが悲鳴を上げて床に這いつくばる。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
「王子。アニエス様を『冷酷な女』と呼びましたね?
違いますよ。彼女は、僕という狂犬を首輪一つで繋ぎ止めていた、この国の唯一の救いだったんです」
僕は一歩、王子に向かって歩き出す。
一歩ごとに、僕の体から溢れる魔力が物理的な圧となって会場を削っていく。
今の僕は、これ以上感じることのない殺気を放っているはずだ。
「首輪が外れた僕が、何をするか分かりますか?」
僕は王子の首を片手で掴み、そのまま空中に吊り上げた。
足掻く王子の喉元で、僕はとびきり甘い、死神のような微笑みを浮かべる。
「とりあえず、今夜中にこの王都の防衛機構をすべてハッキングして、あなたの愛する聖女様の『前世での余罪』を空に投影します。
あ、お父上の国王陛下はさっき僕の部下が眠らせたので、もう助けは来ませんよ」
「がっ……ひ、ぎ……っ」
「アニエス様、お待たせしました」
僕は王子をゴミのように放り投げ、驚愕で固まっているアニエス様の前に跪いた。
そして、彼女の手をとり、指先に熱い――独占欲の塊のようなキスをする。
「国が滅びる炎をバックに、僕と逃げましょう。
……二度と、こんな下らない連中にあなたの顔を見せない場所に。
僕が、あなただけの『世界』になりますから」
アニエス様は、驚いた表情を浮かべていた。
だんだんと、その顔は赤く染まっていく
「カイル!? あなた、わたくしのことを……?」
「ええ。ずっと隠してました。あなたが『普通の人』を好きだと言うから。
でも、もうやめです」
僕は困惑する彼女をお姫様抱っこにすると、背後にそびえる王城の時計塔を、指パッチン一つで粉砕した。
崩れ落ちる時計塔の轟音をBGMに、僕はアニエス様を抱えたまま、ゆっくりと会場のパニックを見下ろした。
「カイル、あなた……本当に何を……っ」
「言ったでしょう?僕はあなたの騎士だ。
あなたが守ろうとしたこの国が、あなたを裏切った。なら、僕がこの国を裏切る番です」
僕は彼女を抱き直すと、宙に魔法陣を展開し、夜会の中心部——つまり王子の足元に、漆黒の雷を落とした。
「ぎゃああああああ!」
「あ、死なない程度に調整したので安心してください。
これから彼には、自分が捨てた女性がどれほど巨大な『抑止力』だったかを、身をもって知ってもらうんですから」
僕は懐から、一通の漆黒の招待状を取り出し、転がっている王子の顔面に叩きつけた。
「それは?」
「隣国の帝国からの『宣戦布告書』です。
——アニエス様。あなたが毎日、寝る間も惜しんで帝国の宰相と文通し、外交努力で止めていた戦争ですよ。
王子はそれを、あなたの『浮気の証拠』だと決めつけたようですが」
会場にいた貴族たちが、一斉に顔を青くした。
アニエス様が、ただの地味で冷徹な令嬢ではなく、この国の平和を一人で買い叩いていた「影の功労者」だとようやく理解したのだ。
「僕がその文通の『運び屋』をしていたのも、今日この時のため。
——王子、おめでとうございます。今この瞬間、帝国軍の先遣隊が国境を越えました。
僕が魔法で、結界の鍵を開けておきましたから」
「き、貴様ッ! 正気か! 国を売ったというのか!」
王子の叫びに、僕はとびきり優雅な、そして冷酷な礼で応えた。
「売った? いえ、捨てたんですよ。アニエス様のいない国なんて、ただの燃えないゴミですから」
僕は指先を鳴らす。
すると、会場の床一面に魔法陣が広がり、アニエス様と僕を包み込んだ。
転移魔法。それも、王宮の防衛魔法をすべて無効化する、規格外の術式。
「さて、アニエス様。少しの間……大人しくして下さいね?」
僕は彼女の耳元で、とろけるような甘い声で囁いた。
いつもは「カイル、しっかりして」と僕を叱っていた彼女が、今は僕の胸に顔を埋め、服の裾をぎゅっと掴んでいる。
「……ずるいわ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
転移の光が強くなる。
最後に僕が王子へ向けたのは、蔑みですらない、ただの「無」だった。
「さようなら。……せいぜい、自分たちが壊したものの大きさに絶望しながら、灰になってください」
その声と共に術式を発動させ、王子の叫び声は宙へと消えていった。
転移した先は、僕が密かに買い取っておいた、国境沿いの静かな古い邸宅だった。
術式の光が収まると、アニエス様は僕の腕の中で、糸が切れたようにガタガタと震え始めた。
「……カイル、……私……」
床に下ろそうとしても、彼女の手が僕の騎士服を離さない。
あの夜会で見せていた毅然とした態度は、ただの虚勢だったのだ。
「もう大丈夫ですよ、アニエス様。あそこには、あなたを罵る人間は一人もいません」
「ごめんなさい、……。
あんな、国を壊すような真似をさせて。
私のせいで、あなたは……あなたはもう、騎士には戻れない……っ」
彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。
「有能な悪役令嬢」としての仮面が剥がれ落ち、そこにはただ、婚約者に裏切られ、居場所を失い、未来に絶望した、十九歳の女の子がいた。
僕は胸が締め付けられるのを感じながら、彼女の小さな体を包み込むように抱きしめた。
「騎士なんて、最初から辞めたかったんです。
……僕が守りたかったのは、国じゃなくて、あなた一人ですから」
「……嘘よ。……私、あんなにひどいことを言われたのよ?
私が冷酷で、可愛げがなくて、聖女をいじめるような女だって、みんな信じていたわ。
……カイルだって、本当は愛想を尽かしたんじゃ……」
「そんなわけないでしょう」
僕は彼女の濡れた頬を両手で包み、無理やり視線を合わせさせた。
怯えるように揺れる彼女の瞳。
僕はあえて、とびきり優しく、そして逃げ場を奪うような「メロい」声で語りかける。
「僕だけは知っています。
あなたが夜遅くまで領民の嘆願書を読んでいたことも、誰にも言わずに孤児院に寄付を続けていたことも。
……みんながあなたをどんな風に見ようと、僕が全部覚えています。だから」
僕は彼女の額に、静かに誓いのキスを落とした。
「……僕の前でだけは、弱くていいんです。泣いてもいい。わがままを言ってもいい。これからは、僕があなたの代わりにすべてを背負います」
「カイル……」
アニエス様は、僕の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
そのか細い肩の震えを感じながら、僕は冷酷な決意を固める。
(——こんなに純粋で、脆い彼女を。あいつらは、よくもあんな風に扱ったな)
彼女には見えないように、僕は背後の闇に控える「影」たちに合図を送る。
王子たちへの復讐は、まだ終わらせない。
彼女がぐっすり眠っている間に、あの国が「彼女がいなくなった損失」を骨の髄まで味わうように、じわじわと、徹底的に。
「ねえ、カイル。あなたは……ずっと、そばにいてくれる?」
泣き疲れて、今にも眠りそうな声で彼女が呟く。
「ええ。あなたが『もういい』と言っても、絶対に離しませんよ」
僕は、彼女の小さな手を握りしめ、自分でも驚くほど独占欲に満ちた笑みを浮かべた。
ベッドに横たわったアニエス様は、僕の袖を掴んだまま、浅い眠りに落ちていました。
泣き腫らした瞼が痛々しく、時折、何かに怯えるように指先がぴくりと跳ねる。
僕はその手を優しく、けれど絶対に解けないほど深く握りしめ、彼女が完全に眠りにつくのを待ちました。
「……おやすみなさい。僕の、愛するお嬢様」
彼女の寝息が安定したのを確認し、僕は音もなく部屋を出ます。
廊下に一歩足を踏み出した瞬間、僕の顔から「献身的な騎士」の仮面が剥がれ落ちました。
「……さて」
廊下の影に、膝をついて待機していたのは、漆黒の外套に身を包んだ男——僕が私的に雇っている隠密団の長です。
「報告を。王宮の様子はどうだ?」
「は。カイル様が放った『漆黒の雷』により、王宮の結界は崩壊。
現在、帝国軍の騎兵隊が王都の正門前に到達し、降伏勧告を行っています。
王子は混乱の中、聖女なる女を連れて地下通路から逃亡を図りましたが……」
「逃がしたのか?」
僕の声に、隠密の長がぶるりと肩を震わせます。
「いえ。……ご指示通り、通路の出口をすべて『物理的に』封鎖し、彼らが最も嫌うスラムの廃屋へ繋がるよう空間をねじ曲げておきました」
「いい仕事だ。……あの王子は、アニエス様がどれだけスラムの治安維持に心を砕いていたかを知らない。
自分が蔑んでいた『民』に囲まれ、助けを求める惨めな姿を、じっくりと味わってもらおう」
僕は窓の外、遠くで赤く染まる王都の空を見つめます。
眼鏡をかけ直す必要はありません。
今の僕には、絶望に染まるあの国の断末魔が、最高に美しい夜景に見える。
「カイル様……一つ、懸念が。
アニエス様がもし、いつか真実を知れば……あなたが国を滅ぼしたと知れば、彼女はあなたを恨むのでは?」
「……恨まれても構わない」
僕は自嘲気味に笑い、窓ガラスに映る自分の冷酷な瞳を見つめました。
「彼女に嫌われ、拒絶される。……それも一つの『執着』の形だ。
彼女の心に、僕という刻印が一生消えないのなら、聖者として愛されるよりも、大罪人として憎まれる方がずっとマシですよ」
もちろん、そんな日は来させない。
彼女が目を覚ました時、僕はまた「あなたの味方しかいない世界」で、献身的な騎士を演じてみせる。
「戻れ。王子の処遇は、明日の朝までに『完了』させておけ。
……ただし、舌は抜くなよ? 自分の犯した罪を、死ぬまで後悔する言葉を吐かせ続けなければならないからな」
「御意」
影が消え、静寂が戻ります。
僕は再びアニエス様の寝室へ戻り、彼女の枕元に椅子を引いて座りました。
「……あ、あ……カイル……」
うなされている彼女の手を、僕は口元に寄せて、指先を甘く噛む。
痛みで少しだけ眉を寄せた彼女の顔が、なぜかたまらなく愛おしくて。
「大丈夫ですよ、アニエス。悪い夢は、僕が全部食べてあげますから」
夜が明ける頃には、あの国は地図から消えている。
そして彼女の記憶からも、忌々しい王子の名前は消えていく。
残るのは、僕と、僕が与える献身的な愛だけ。
「……さあ、明日からは何をしましょうか。
あなたの好きなお菓子を作って、庭の花を整えて……。
一生、僕だけの籠の中で、幸せにしてあげます」
僕は彼女の耳元で、甘い毒のように、とろけるような愛の言葉を囁き続けました。
◇◇◇
数ヶ月後、大陸の勢力図は塗り替えられた。
新興勢力として現れた「謎の魔導領地」。
そこは鉄壁の守護を誇り、誰も立ち入ることができない。
ただ一人、銀髪の美しい女性が、男と穏やかに微笑んでいる姿だけが目撃されているという。
彼女はまだ知らない。
自分を囲むこの平和な楽園が、たった一人の男が国を焼き尽くした灰の上に築かれたものだということを。
「カイル、今日の紅茶、少し甘いわ」
「失礼しました。……お詫びに、口付けで上書きしましょうか?」
「……もう、バカなこと言わないで」
頬を染めて視線を逸らす彼女を、僕は一生、この腕から逃がすつもりはなかった。




