表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『お前の歌声など聞き飽きた』と婚約破棄された伯爵令嬢ですが、実は私の声が消えゆく呪いを解けるのは殿下だけでした——手遅れになる前に気づいてくださいね?

作者: uta
掲載日:2026/04/10

【お知らせ】

この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています

あらかじめご了承の上、お楽しみください

第一章 断罪と、最後の旋律


「婚約を破棄する」


王宮の大広間に、第二王子アルディス殿下の声が冷たく響き渡った。


(ああ、やっぱりこうなったか)


私、リラ・フォンターナは、数百人の貴族たちの視線を一身に浴びながら、内心で深いため息をついていた。華やかなシャンデリアの光が、まるで処刑台を照らすように私を浮かび上がらせている。


「リラ・フォンターナ。お前は聖女マリエルを陰湿にいじめ、彼女の名誉を傷つけた。そのような女を、私は妻にすることはできない」


アルディス殿下の隣で、聖女マリエルが涙を浮かべて震えている。蜂蜜色の巻き毛が揺れ、翡翠色の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「わ、私のせいで……リラ様が……ごめんなさい、殿下。私がいなければ……」


(うわぁ、すごい。涙って、あんなに都合よく出せるものなんだ。今度コツを聞いてみようかしら……いえ、聞く機会ももうないでしょうけど)


私は完璧な淑女の微笑みを崩さないまま、静かに佇んでいた。銀糸の髪が背中で揺れ、祖母の形見である銀の鈴のペンダントが胸元でかすかに光る。


「殿下」


私が口を開くと、広間がしんと静まり返った。


「弁明のお許しをいただけますか」


「必要ない」


アルディス殿下は私の言葉を一刀両断した。金色の髪が揺れ、深い青の瞳が冷たく私を見下ろす。


「証人は山ほどいる。お前が聖女マリエルに嫌がらせをしていたことは、すでに明らかだ」


(証人って、全員マリエル様の取り巻きじゃない。というか、私がいつ嫌がらせをしたのか、具体的に一つでも言ってみてほしいんですけど)


広間のあちこちから、ひそひそと囁く声が聞こえてくる。


「やっぱりね。前から高慢だと思っていたわ」

「銀鈴の乙女なんて呼ばれて、調子に乗っていたのよ」

「聖女様がお可哀想に……」


私は一つ一つの言葉を聞き流しながら、ふと気づいた。


喉の奥が、ひりひりと痛む。


最近、ずっとこうだ。朝起きると声がかすれていて、日が暮れる頃には囁くのもやっとになる。昨日より今日、今日より明日——私の声は、確実に消えていっている。


(そうか。もう、時間がないんだ)


祖母が亡くなる前、同じように声を失っていったことを思い出す。『お前の声は特別だから、大切にしなさい』——あの言葉の本当の意味を、私はようやく理解し始めていた。


「それから」


アルディス殿下が、さらに言葉を続けた。


「その耳障りな声で歌うのをやめろ。聞くに堪えない」


——その瞬間、私の中で何かが静かに崩れた。


耳障り。


私の歌声を、殿下はそう言った。


幼い頃から、殿下が悪夢にうなされるたびに歌ってきた。私の歌を聴くと安心すると、あんなに笑ってくれたのに。


(……ああ、そうだったんですね)


私は深く息を吸い込んだ。喉がひりつく。でも、今だけは——最後に一度だけ。


「かしこまりました、殿下」


私は優雅に一礼した。完璧な角度で、完璧な所作で。


「婚約破棄、謹んでお受けいたします」


広間にざわめきが広がった。抵抗も、涙も、弁明もなく受け入れた私に、誰もが驚いているようだった。


「……それだけか」


アルディス殿下が、わずかに眉をひそめる。


「泣きわめくとでも思いましたか?」


私は微笑んだ。いつもの、控えめで穏やかな笑み。


「殿下のご決断を、私ごときが覆すことなどできません。聖女様とどうぞお幸せに」


(本当にお似合いですよ。お互い、中身が空っぽなところとか)


マリエルがびくりと肩を震わせた。一瞬、彼女の翡翠色の瞳に鋭い光が宿ったように見えたのは、気のせいだろうか。


「リラ様……恨まないでくださいね。私、本当に殿下のことを——」


「ええ、存じております」


私はにっこりと笑った。


「聖女様は、殿下のことを心からお慕いしているのでしょう。私の出る幕ではありませんわ」


(あなたが欲しいのは殿下じゃなくて、王妃の座でしょうに。まあ、どうでもいいけど)


私は踵を返した。大広間を横切り、出口へと向かう。背中に数百の視線が突き刺さるのを感じながら、私は一度も振り返らなかった。


——振り返ったら、きっと泣いてしまうから。




◆◆◆




「お嬢様!」


廊下に出ると、侍女のニナが駆け寄ってきた。栗色のショートヘアが乱れ、そばかすの浮いた頬が涙で濡れている。


「お嬢様、あんな……あんなひどいことって……!」


「静かに、ニナ」


私は彼女の手を取り、そっと微笑んだ。


「大丈夫よ。予想通りだったもの」


「でも! あの王子、目が節穴どころか塞がってますよ! 聖女だなんて、あんな胡散臭い女のどこが——」


「ニナ」


私は少しだけ声を落とした。喉が痛い。もう、大きな声は出せない。


「……馬車を呼んで。今夜のうちに、領地に帰りましょう」


「お嬢様……」


ニナの琥珀色の瞳に、新たな涙が溢れる。彼女は私の声がおかしいことに気づいているのだ。ここ数週間、どんどんかすれていく私の声に。


「大丈夫よ」


私はもう一度、微笑んだ。


「帰ったら、やりたいことがあるの」




◆◆◆




フォンターナ伯爵領に戻った夜、私は自室の机に向かっていた。


窓の外には満月が浮かび、銀色の光が便箋を照らしている。羽ペンを手に取り、インク壺に浸す。


『拝啓、アルディス殿下』


私は、手紙を書き始めた。


決して届けることのない手紙を。


『本日は、盛大な断罪をありがとうございました。おかげさまで、社交界での私の評判は地に落ちたことでしょう』


ペンが止まる。


違う。こんなことが書きたいんじゃない。


私は便箋をくしゃりと丸めて、新しい紙を取り出した。


『拝啓、アルディス殿下』


『覚えていらっしゃいますか。十年前、初めてお会いした日のことを』


『殿下は夜になると悪夢にうなされて、誰も近づけないほど暴れていらっしゃいました。私が歌うと、嘘のように静かになって……「きれいな声だね」と、初めて笑ってくださいましたね』


涙が一滴、便箋に落ちた。インクがにじむ。


『あの日から、私は殿下のために歌い続けてきました。殿下の悪夢が消えるように。殿下が安心して眠れるように』


『でも、もう歌えません』


『私の声は、もうすぐ消えてしまうから』


喉に手を当てる。ひりひりとした痛みが、奥深くまで染み込んでいる。


『殿下。私は、あなたを愛していました』


ペンを置いて、私は窓の外の月を見上げた。


『この手紙を出すつもりはありません。届けるつもりもありません。ただ、消えてしまう前に、どこかに残しておきたかったのです』


『私の声が完全に消えたとき、この国に何が起こるのか——殿下はきっと、知らないのでしょうね』


『追伸:今日も、声が少し遠くなりました』


便箋を折りたたみ、封筒に入れる。宛名は書かない。封もしない。


これは誰にも届けない手紙だから。


私は引き出しを開けて、その手紙を一番奥にしまい込んだ。


——明日も、また一通書こう。


消えゆく声の代わりに、届かない想いを綴り続けよう。


誰にも迷惑をかけずに、静かに消えていくために。




◆◆◆




その頃、王宮では。


「殿下、今夜はお休みになれましたか?」


マリエルの甘い声に、アルディスは首を横に振った。


「……いや。また、あの夢を見た」


暗闘の中で何かが蠢く夢。喉を締め付けられるような恐怖。子供の頃から何度も見てきた悪夢が、今夜は特にひどかった。


「まあ、お可哀想に……」


マリエルが心配そうに眉を寄せる。


「私がお傍にいても、お役に立てないのですね……」


「気にするな。お前のせいではない」


アルディスは窓の外を見た。


不思議だ。リラが傍にいた頃は、こんな夢を見ることはなかったのに。


(……いや、関係ないだろう)


彼は首を振って、その考えを追い払った。


あの耳障りな歌声が聞こえなくなって、せいせいしたはずだ。そう、思い込もうとした。


遠く離れた伯爵領で、銀髪の令嬢が涙を拭いながら手紙を書いていることなど、知る由もなく。


そして——王国の深部で、古い封印がかすかに軋み始めていることにも。




第二章 消えゆく声と、綴られる想い



婚約破棄から二週間が経った。


「お嬢様、朝食の時間ですよ」


ニナの声で目を覚ます。カーテンの隙間から朝日が差し込み、私は小さく咳き込んだ。


「……おはよう、ニナ」


自分の声に、思わず眉をひそめる。昨日よりも、さらにかすれている。まるで砂を噛んだような、ざらついた響き。


「お嬢様……」


ニナが痛ましそうな顔をする。私は首を振って、いつも通りの笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。少し喉が乾燥しているだけ」


(嘘だけどね)


起き上がると、机の上に昨夜書いた手紙が置いてある。十四通目。毎晩一通ずつ、私は誰にも届けない恋文を書き続けていた。


『今日は、殿下と初めて舞踏会で踊った日のことを思い出していました——』


そんな書き出しで始まる、過去の思い出を綴った手紙。読み返すつもりはない。ただ、書かずにはいられないのだ。


声が消えていく代わりに、文字として残しておきたい。私がこの世界にいた証を。愛した証を。


「ニナ、この手紙を引き出しにしまっておいて」


「はい……」


ニナは手紙を受け取りながら、じっと私の顔を見つめた。


「お嬢様、本当に殿下に……送らないんですか」


「送らないわ」


私は窓辺に立ち、領地の風景を眺めた。緑豊かな森と、きらめく湖。穏やかで美しい故郷。


「届けたところで、何も変わらないもの」


(それに、こんな手紙を読まれるくらいなら、死んだほうがマシだわ)


自分の想いを吐露した手紙なんて、恥ずかしすぎる。あくまでも自己満足のために書いているのだ。決して——決して、いつか誰かに読んでもらいたいなんて、思っていない。


……思っていない、はずだ。




◆◆◆




午後、予期せぬ来客があった。


「王都から騎士団長がいらしています」


執事の報告に、私は眉をひそめた。


「騎士団長?」


「レイン・ヴァルトシュタイン様とおっしゃる方です。国王陛下の密命で、調査のためにいらしたとか」


(密命? 何の調査かしら)


嫌な予感がする。でも、王命とあれば断るわけにもいかない。


「お通しして」


応接間で待っていると、長身の男性が入ってきた。


漆黒の髪に、琥珀色の瞳。黒を基調とした騎士団の正装に身を包み、精悍ながらも穏やかさを湛えた顔立ち。どこか見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。


「お初にお目にかかります、リラ・フォンターナ嬢。騎士団長のレイン・ヴァルトシュタインです」


「ようこそ、フォンターナ領へ。騎士団長様」


私は立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をした。


「遠路はるばる、お疲れ様でございました」


——その瞬間、レイン様の瞳が大きく見開かれた。


「……懐かしい声だ」


「え?」


「いや、失礼。どこかで……いや、何でもない」


彼は首を振り、ソファに腰を下ろした。その表情には、困惑と、それから——懐かしさのような感情が浮かんでいる。


(懐かしい? 私、この方にお会いしたことあったかしら)


不思議に思いながらも、私も向かいのソファに座った。


「それで、調査とは何のことでしょうか」


「単刀直入に申し上げます」


レイン様は真っ直ぐに私を見つめた。琥珀色の瞳には、鋭い知性の光がある。


「最近、王国で奇妙なことが起きています。各地で原因不明の災害が発生し、古い封印が次々と弱まっている。国王陛下は、その原因を調査するよう私に命じられました」


「……それが、なぜ私のところに?」


「フォンターナ家は、古代から封印に関わる一族だと聞いています」


私の心臓が、どくんと跳ねた。


「特に——『声』に関する力を持つ家系だと」


(……まさか)


私は表情を変えないように努めながら、内心で動揺していた。


「さあ、私には何のことか」


「本当に?」


レイン様が、少し身を乗り出す。


「あなたの声は、以前から掠れていましたか?」


——息が止まった。


「……何を、おっしゃっているの」


「隠さなくても結構です」


彼の声は静かで、でも確信に満ちていた。


「あなたの声が日に日に消えていっていること。そして、それが王国の封印と関係していること。私は知っています」


沈黙が落ちた。


私はじっとレイン様を見つめた。彼もまた、私から目を逸らさない。


(……この人、何者なの)


普通の騎士団長が知っているはずのない情報だ。国王陛下の密命というのも気になる。


「仮に」


私はゆっくりと口を開いた。もう、誤魔化せそうにない。


「仮に、あなたの言う通りだとして。それが何か?」


「助けたいと思っています」


「——は?」


思わず素が出た。慌てて咳払いをして、淑女の仮面を被り直す。


「あなたに助けられる義理はありませんわ」


「義理ではありません」


レイン様は静かに、でも力強く言った。


「私には、あなたに恩がある」


「……恩?」


「覚えていませんか。十五年前——森で迷子になった男の子を、歌声で導いてくれた女の子のこと」


私の記憶の奥底で、何かがかちりと嵌まった。


あれは、私がまだ三歳の頃。領地の森に迷い込んだ男の子がいて、私は祖母に教わった歌を歌いながら、彼を屋敷まで導いた。泣きじゃくる男の子の手を引いて、歌い続けた。


『きれいな声だね』


男の子は、涙を拭いながらそう言った。


『もっと聴かせて』


——あの子が、この人だったの?


「……覚えています」


私は小さく呟いた。声がさらに掠れる。


「あの日から、私はずっとあなたを探していました」


レイン様は、どこか照れくさそうに視線を逸らした。


「あなたの歌声を、もう一度聴きたいと思っていた。だから——」


彼は真っ直ぐに私を見つめた。


「あなたの声を守りたい」




◆◆◆




その夜、私はまた手紙を書いていた。


『拝啓、アルディス殿下』


『今日、不思議な方がいらっしゃいました。騎士団長のレイン・ヴァルトシュタイン様という方です』


『十五年前、私が森で助けた男の子だったそうです。覚えていますか? 殿下に「きれいな声だ」と言われたとき、私が「二人目です」と答えたこと。一人目が、彼だったのです』


ペンが止まる。


殿下は覚えているだろうか。私の言葉を、私の声を、私の歌を。何一つ覚えていないのだろう。だから、あんなことが言えたのだ。


『レイン様は、私の声を守りたいとおっしゃいました』


『おかしな話ですね。殿下は「耳障りだ」とおっしゃったのに』


涙が一滴、便箋に落ちた。


『誰かに「守りたい」と言われたのは、初めてです』


『殿下は、一度もそんなこと言ってくださいませんでしたね』


『追伸:今日も、声が少し遠くなりました。もう、普通の声では話せません』




◆◆◆




翌日から、レイン様は領地に滞在することになった。


「古文書を調べさせていただきたい」


彼は父の書斎にこもり、フォンターナ家に伝わる古い文献を読み漁った。私も時々様子を見に行ったが、彼は驚くほど集中していた。


「フォンターナ家の『声』の力は、古代の封印を維持するためのもの……。代々、声を持つ者が力を使うと、少しずつ命を削られる……」


彼が独り言のように呟いているのが聞こえた。


「リラ嬢のお祖母様も、同じだったのですね」


「……ええ」


私は小さく頷いた。父から聞いた話を思い出す。


「祖母は、五十歳で亡くなりました。最後は、声どころか……息をすることも」


言葉が詰まった。


「あなたも、同じ道を辿ろうとしている」


レイン様が、静かに言った。


「……そうですね」


私は窓の外を見た。


「でも、仕方がないでしょう? 私の声が封印を維持しているなら、私が消えれば——」


「消えさせない」


強い言葉だった。振り返ると、レイン様が真剣な表情で私を見つめていた。


「必ず、方法を見つけます」


「……どうして、そこまで」


「言ったでしょう」


彼は少しだけ微笑んだ。不器用な、でも温かい笑み。


「あなたの歌声を、もう一度聴きたいんです」




◆◆◆




同じ頃、王都では。


「殿下、また悪夢ですか?」


マリエルの声に、アルディスは苛立ちを隠さなかった。


「うるさい。放っておいてくれ」


「で、でも——」


「一人にしてくれと言っている!」


怒鳴りつけると、マリエルは怯えたように部屋を出ていった。


アルディスは頭を抱えた。最近、悪夢がひどくなっている。毎晩のように闇に飲み込まれる夢を見て、汗だくで目を覚ます。


リラがいた頃は、こんなことなかったのに。


——いや、違う。関係ない。


そう思い込もうとしても、心のどこかで疑念がくすぶり続けていた。


そして、机の上には報告書が積まれている。王国各地で発生している原因不明の災害。古い封印の弱体化。不気味な兆候。


「封印が……弱まっている?」


報告書を読みながら、アルディスは眉をひそめた。


騎士団長のレインが、フォンターナ領に調査に向かったという。なぜ、あの伯爵領に?


リラの顔が、頭をよぎった。


銀色の髪と、紫水晶の瞳。澄んだ歌声。


——耳障りな声だと、言ってしまった。


なぜか、胸が締め付けられるような気がした。


「……馬鹿馬鹿しい」


アルディスは首を振って、報告書を放り出した。


あの女のことなど、もう関係ない。自分にはマリエルがいる。聖女が。救国の聖女が。


——そう信じて疑わなかった。


この時の彼は、まだ知らない。


聖女と呼ばれる女が、どれほどの嘘をついているか。


そして、追い払った銀髪の令嬢が、どれほどの犠牲を払って王国を守ってきたか。


全てを知るのは、手遅れになってからだった。




第三章 暴かれる真実と、遅すぎた後悔



婚約破棄から一ヶ月が経った。


私の声は、もう囁くことしかできなくなっていた。


「お嬢様、お茶をお持ちしました」


ニナの声に、私は小さく頷いた。声を出すのも辛い。喉の奥がひりつき、言葉を発するたびに針で刺されるような痛みが走る。


「……ありがとう」


かすれた声。もはや、歌うことなど夢のまた夢だ。


レイン様は相変わらず古文書を調べ続けている。毎日のように書斎にこもり、解呪の方法を探してくれていた。


「リラ嬢」


その日の午後、レイン様が珍しく興奮した様子で私の部屋に来た。


「見つけました」


「……何を?」


「解呪の方法です」


私の心臓が跳ねた。


「古い文献に記されていました。『封印の歌姫の呪いを解くには、心から愛する者の涙が必要である』と」


「……涙?」


「ええ。ただし——」


レイン様の表情が曇る。


「条件があります。涙を流す者は、歌姫を『真に理解し、心から愛している』者でなければならない。そして——」


彼は言葉を切った。


「歌姫もまた、その者を愛していなければならない」


沈黙が落ちた。


「……つまり」


私は小さく息をついた。


「相思相愛でなければ、解呪できないということですね」


「はい」


(なんて皮肉なの)


私が愛しているのは、私を捨てた人。そして、私を理解してくれているのは——


レイン様を見上げた。琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめ返している。


「リラ嬢」


彼が、静かに言った。


「私は、あなたを——」


「レイン様」


私は首を横に振った。


「……今は、言わないでください」


「でも——」


「お気持ちは、嬉しいです。でも、私は——」


言葉が詰まった。


私は、まだ殿下を愛している。婚約破棄されても、罵倒されても、それでも——心のどこかで、諦めきれないでいる。


(馬鹿みたい)


自分でも呆れるほど、愚かだと思う。


「……すみません」


私は俯いた。レイン様は何も言わず、ただ静かに私の肩に手を置いた。


「謝らなくていい」


彼の声は穏やかだった。


「あなたの気持ちが変わるまで、私は待ちます。そして——」


彼の手に、わずかに力がこもった。


「あなたを守り続けます」




◆◆◆




事態が急変したのは、その三日後だった。


「大変です、お嬢様!」


ニナが血相を変えて飛び込んできた。


「王都から、第二王子殿下がいらっしゃいました!」


私は、手にしていた羽ペンを落とした。




◆◆◆




応接間に向かうと、アルディス殿下が立っていた。


金色の髪は乱れ、深い青の瞳には隈が浮かんでいる。以前の傲慢さは影を潜め、まるで別人のようにやつれていた。


「……リラ」


殿下が、私の名を呼んだ。


「……殿下」


私は最小限の声で応じた。これ以上声を出すと、咳き込んでしまう。


「お前の声……」


殿下の顔色が変わった。


「どうしたんだ。なぜ、そんなにかすれている」


「お気になさらず」


私は淡く微笑んだ。いつも通りの、控えめな笑み。


(今さら心配されても、困るんですけど)


「それで、ご用件は何でしょうか」


「用件……」


殿下が、一歩踏み出した。


「リラ、お前に謝りたいことがある」


「謝る?」


「ああ。俺は——俺は、とんでもない過ちを犯した」


殿下の声が震えている。


「聖女マリエルは、偽物だった」


——やっぱり。


私は内心でため息をついた。


(気づくのが遅すぎるのよ)


「彼女には、聖女の力などなかった。それどころか——」


殿下の拳が、ぎりりと握りしめられた。


「お前の力を、奪おうとしていたんだ」


「……存じておりました」


「なに?」


私は静かに頷いた。


「マリエル様が私の近くにいると、妙に調子が良くなることには気づいていました。最初は偶然かと思いましたが……私の声が急速に衰え始めたのは、彼女が社交界に現れてからでしたから」


「知っていたのか……なぜ、何も言わなかった!」


「言って、信じてくださいましたか?」


私の問いかけに、殿下は言葉を詰まらせた。


「聖女様を悪く言えば、また『いじめ』だと思われたでしょう。それに——」


私は窓の外を見た。


「殿下は、彼女を選んだのですから」


沈黙が落ちた。


「……リラ」


殿下が、私の前に跪いた。


「許してくれ。俺は愚かだった。お前の真価を見抜けなかった。お前がどれほど俺を——この国を守ってきたか、何も知らなかった」


私は殿下を見下ろした。かつて愛した人。今も、心のどこかで愛している人。


「お前の声が、封印の鍵だったことも知った。お前が命を削って、この国を守っていたことも」


殿下の声が、震える。


「頼む。俺のところに戻ってきてくれ。お前を——守らせてくれ」




◆◆◆




(……今さら、何を言っているの)


私は、ゆっくりと息を吸い込んだ。喉が痛い。でも、これだけは言わなければ。


「殿下」


私は、かつて愛した人の顔を見つめた。


「遅いのです」


「リラ……」


「私の声は、もう戻りません」


殿下の顔が、絶望に歪む。


「嘘だ」


「嘘ではありませんわ」


私は首を横に振った。


「マリエル様に力を吸い取られ続けた結果、私の声は限界を超えてしまいました。もう——歌うことはおろか、普通に話すことすら」


咳き込んだ。喉から、何か温かいものがこみ上げてくる。


「リラ!」


「……大丈夫です」


私は口元を押さえた手のひらを見た。うっすらと、血がにじんでいる。


(ああ、もう本当に時間がないんだ)


「殿下」


私は、最後の力を振り絞って言った。


「私はあなたを、愛しておりました」


殿下の瞳が、大きく見開かれた。


「婚約破棄されても、罵倒されても。それでも、ずっと——」


涙が一筋、頬を伝った。


「でも、もう遅いのです」


「遅くない! 俺は——」


「殿下」


私は、静かに首を横に振った。


「私の声は、もうあなたには届きません」




◆◆◆




その夜、殿下は屋敷に泊まることになった。


私が休んでいる間、殿下は屋敷の中を歩き回っていたらしい。そして——私の部屋に、忍び込んだ。


翌朝、ニナから聞いた話だ。


「殿下が、お嬢様の机を見ていました」


「……机?」


「はい。引き出しの中の——手紙を」


私の顔から、血の気が引いた。


「全部、読まれたそうです」




◆◆◆




応接間に向かうと、殿下が茫然と座っていた。


その手には、私が書き続けた恋文の束が握られている。三十通以上。全て、殿下に宛てた手紙。全て、届けるつもりのなかった手紙。


「……リラ」


殿下が、掠れた声で言った。


「これは、全部——俺に宛てた手紙だったのか」


「……ご無礼を。勝手に机を漁らないでいただきたいですわね」


精一杯の皮肉を言ったつもりだったが、声がかすれて迫力がない。


「『今日も、声が少し遠くなりました』——」


殿下が、手紙の一節を読み上げた。


「毎日、この一文が添えられている。日付順に読んでいくと——」


彼の声が、震えた。


「お前の声が、少しずつ消えていくのが分かる」


「……だから何です」


「俺への恋文を、毎日書いていたんだな。届けるつもりもないのに」


「勝手に読んだ人に、とやかく言われる筋合いはありませんわ」


「リラ——」


殿下が、私に近づいてきた。


「俺は——お前を愛していたのに、気づかなかった」


「今さらです」


「分かっている。分かっているが——」


殿下の目から、涙がこぼれ落ちた。


「頼む。俺に——お前を救わせてくれ」




◆◆◆




私は、殿下を見つめた。


涙を流す殿下。ようやく全てを知り、後悔している殿下。


——でも。


「殿下」


私は、静かに言った。


「あなたは、私を『理解』していますか?」


「え?」


「解呪には、『真に理解し、心から愛している者の涙』が必要だと聞きました」


殿下の顔色が変わった。


「あなたは今、私を愛しているとおっしゃいました。でも——」


私は首を横に振った。


「あなたは最後まで、私を理解していなかった」


「リラ……」


「私が何を考え、何を感じていたか。私の声に何が宿っていたか。何一つ、見ようとしなかった」


殿下の涙が、頬を伝って落ちる。


「だから——」


私は、ゆっくりと目を伏せた。


「あなたの涙では、私を救えないのです」




◆◆◆




その時、扉が開いた。


「リラ嬢」


レイン様が、息を切らせて入ってきた。


「大変です。王都から報せが——聖女マリエルの正体が公になりました。彼女は——」


「ああ、偽物だったのでしょう?」


「それだけではありません」


レイン様の表情が、厳しくなる。


「彼女と、その兄のルシアン・セレスティア。二人は共謀して、あなたの能力を奪おうとしていました。目的は——」


彼は、殿下を一瞥した。


「封印の力を手に入れ、王家を支配すること。マリエルが王妃になれば、王国の根幹を握れると考えていたようです」


殿下の顔が、蒼白になった。


「俺は……そんな女に……」


「騙されていたのですよ、殿下」


レイン様の声は冷たかった。


「リラ嬢がどれほど警告しても、あなたは聞く耳を持たなかった。その結果がこれです」


「レイン——」


「王都では今、聖女の処分が議論されています。国王陛下は、真実を知って激怒されました」


殿下が、よろめいた。


「そして——リラ嬢の功績を、公に認めるとのことです」




◆◆◆




私は、窓の外を見た。


(功績、か)


今さら功績を認められても、声は戻らない。命を削り続けた日々は、取り返せない。


「リラ」


殿下が、私の名を呼んだ。


「俺は——お前に償いたい」


「償い?」


「何でもする。お前のために、何でも——」


私は、静かに殿下を見つめた。


「では、一つだけ」


「何だ」


「——私に、構わないでください」


殿下の顔が、絶望に歪んだ。


「リラ……」


「もう、疲れたのです」


私は、かすかに微笑んだ。


「あなたのために歌い続けた十年間。報われないと分かっていても、諦められなかった愚かな私。でも——」


涙が、一筋頬を伝った。


「もう、終わりにしたいのです」




◆◆◆




その夜、私は最後の手紙を書いた。


『拝啓、アルディス殿下』


『この手紙が、最後になるかもしれません』


『私の声は、もうほとんど出ません。でも、不思議と穏やかな気持ちです』


『あなたを愛したこと、後悔はしていません。たとえ報われなくても、あなたのために歌えた日々は、私の宝物でした』


『さようなら、殿下』


『どうか——お幸せに』


『追伸:今日で、声が完全に消えました』




◆◆◆




ペンを置いて、私は窓の外の月を見上げた。


もう、一言も声が出せない。


明日には、私は——


そう思ったとき、扉がノックされた。


「リラ嬢」


レイン様の声だった。


「入っていいですか」


私は立ち上がり、扉を開けた。声で返事ができないから。


「……やはり、もう」


私の様子を見て、レイン様は全てを悟ったようだった。


「リラ嬢」


彼が、私の手を取った。


「明日、最後の封印の歌を歌う気ですね」


私は、小さく頷いた。


「声が出なくても——魂を込めれば、封印は完成する。そうでしょう?」


私は、目を伏せた。


「リラ嬢」


レイン様が、私の顎を優しく持ち上げた。琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。


「私は、あなたを愛しています」


私の心臓が、大きく跳ねた。


「あなたの声だけでなく、あなた自身を。強さも、弱さも、毒舌も——全てを含めて」


「……レイン様」


声は出なかった。でも、唇が彼の名を形作る。


「あなたは、殿下を愛していた。今もそうかもしれない。でも——」


彼が、私の頬に手を添えた。


「私にも、機会をください」


涙が、こぼれ落ちた。


「あなたを理解し、あなたを守り、あなたを愛し続ける機会を」


私は——泣きながら、彼を見つめた。


十年間、報われない恋をし続けた。愛しても愛しても、振り向いてもらえなかった。


でも、目の前に——最初から私を理解し、私を守ろうとしてくれた人がいる。


「……レイン様」


声にならない声で、私は彼の名を呼んだ。


そして——生まれて初めて、自分から誰かを抱きしめた。




第四章 届いた声と、新しい朝



夜明け前。


私は、領地の奥にある古い祭壇の前に立っていた。


ここは、代々フォンターナ家の『声』の力を持つ者が、封印を維持するために歌を捧げてきた場所。祖母も、その前の先祖たちも——皆、ここで最後の歌を歌った。


「リラ」


父が、私の傍に立った。銀髪に紫の瞳。私と同じ特徴を持つ父の顔は、涙で濡れていた。


「父上」


声にならない唇の動きで、私は父に呼びかけた。


「……すまなかった」


父が、私を抱きしめた。


「お前の母も、祖母も——同じ運命を辿った。それを知りながら、私は何もできなかった」


私は、首を横に振った。


(父上のせいではありません)


声が出せないから、その想いを伝える術がない。でも、父には伝わったようだった。


「お前は——幸せになる資格がある」


「……父上」


「だから——」


父が、私の肩を掴んだ。


「諦めるな」




◆◆◆




祭壇の周りには、何人かの人影があった。


レイン様。ニナ。親友のオリヴィア。


そして——アルディス殿下。


「リラ」


殿下が、一歩踏み出した。その顔は、一晩で十歳も老けたように見える。


「頼む。俺に——」


「殿下」


レイン様が、殿下の前に立ちはだかった。


「彼女の邪魔をしないでください」


「邪魔じゃない! 俺は——」


「あなたはもう、十分に彼女を傷つけました」


レイン様の声は、静かだが厳しかった。


「彼女が選んだのは、あなたではない」


殿下の顔が、絶望に歪んだ。


「リラ……」


私は、殿下を見つめた。かつて愛した人。今でも、心のどこかで大切に思っている人。


でも——もう、それだけでは足りないのだ。


私は、静かに首を横に振った。


そして——祭壇に向かって歩き出した。




◆◆◆




祭壇の前に立つと、不思議な感覚があった。


体の奥から、何かが湧き上がってくる。声を失っても、魂の奥底に眠る『力』は消えていなかった。


(さあ、歌おう)


声は出ない。でも、心で歌える。魂で歌える。


私は目を閉じ、祖母から教わった封印の旋律を思い浮かべた。


——その時だった。


「待ってくれ」


誰かの声がした。


「待ってくれ、リラ」


目を開けると、アルディス殿下が祭壇の前に駆け寄ってきていた。レイン様が止めようとしたが、殿下は振り切って私の前に跪いた。


「俺に、最後に一つだけ言わせてくれ」


私は、殿下を見下ろした。


「お前を愛していた。それは——今も変わらない」


殿下の目から、涙がこぼれ落ちた。


「お前の声が好きだった。お前の歌が好きだった。お前が傍にいてくれるだけで、どれほど安心したか」


「……」


「なのに俺は、それを『耳障り』だと言った。お前を追い払った。愚かだった」


殿下の涙が、地面に落ちる。


「お前を救えなくて、すまなかった。お前の真価を見抜けなくて、すまなかった。お前を——傷つけて、すまなかった」


私は、静かに殿下を見つめた。


(殿下……)


「だから——せめて」


殿下が、私の手を取った。


「俺の涙が、お前の役に立つなら。何度でも泣く。何度でも——」




◆◆◆




——その瞬間、私は気づいた。


殿下の涙が、私の手に落ちた場所が——かすかに、温かく光っている。


(まさか)


「リラ嬢」


レイン様が、静かに私の傍に来た。


「解呪の条件は、『真に理解し、心から愛している者の涙』です」


「……ええ」


「殿下は、あなたを理解していなかった。でも——」


レイン様が、私の頬に手を添えた。


「私は、あなたを理解しています」


「レイン様……」


「そして、あなたを心から愛しています」


彼の琥珀色の瞳が、潤んでいた。


「だから——」


彼の目から、涙がこぼれ落ちた。


「私の涙を、受け取ってください」




◆◆◆




レイン様の涙が、私の頬に落ちた瞬間——体の奥で、何かが弾けた。


温かい光が、全身を包み込む。喉の奥の痛みが、少しずつ消えていく。


「リラ……」


殿下の呆然とした声が聞こえた。


「お前の……体が……」


私の体が、淡い銀色の光に包まれていた。祖母の形見の銀の鈴のペンダントが、共鳴するように輝いている。


(これは……)


「封印の力と、呪いが——解けていく」


レイン様が、驚きの声を上げた。


「リラ嬢、試してみてください。声を——」


私は、恐る恐る口を開いた。


「……あ」


——声が、出た。


かすかだけど、確かに。


「レイン様……」


「リラ嬢……!」


レイン様が、私を抱きしめた。


「声が……戻った……」


私の目から、涙が溢れた。


「完全には戻っていません。でも——」


レイン様が、私の顔を覗き込んだ。


「生きていける。あなたは——生きていけるんです」




◆◆◆




「リラ」


殿下が、立ち尽くしていた。


「お前の声が……俺ではなく、あいつの涙で……」


私は、殿下を見つめた。


「殿下」


私の声は、まだかすかにかすれている。でも、言葉を伝えることはできた。


「あなたを愛していました」


「……ああ」


「でも——」


私は、レイン様の手を握った。


「私は、この人を選びます」


殿下の顔が、苦悶に歪んだ。


「なぜだ。俺だって、お前を——」


「殿下」


私は、静かに言った。


「あなたは私を『愛していた』。でも、『理解していなかった』」


「……」


「愛だけでは、足りないのです。理解がなければ——」


私は、レイン様を見上げた。琥珀色の瞳が、優しく私を見つめ返している。


「本当の愛には、ならないのです」


殿下は、何も言えなかった。ただ、涙を流しながら私たちを見つめていた。


「さようなら、殿下」


私は、深く一礼した。


「どうか、お幸せに」




◆◆◆




王都に戻ったアルディス殿下は、聖女マリエルとの婚約を正式に破棄した。


マリエルとその兄ルシアンは、反逆罪で捕らえられた。王国を欺き、封印の力を奪おうとした罪。彼らは全ての爵位を剥奪され、国外追放となった。


「殿下、お待ちください!」


最後まで、マリエルは殿下に縋りついた。


「私を見捨てないで! 私は——あなたを愛して——」


「触るな」


殿下は、冷たくマリエルを突き放した。


「お前に騙されていた自分が、情けない」


「嘘よ! 私は——」


「連れていけ」


衛兵たちに引きずられていくマリエル。その姿を、殿下は一度も振り返らなかった。




◆◆◆




数ヶ月後。


フォンターナ領に、穏やかな春が訪れていた。


「リラ嬢」


レイン様が、庭園で私を呼んだ。


「はい、レイン様」


私の声は、まだ完全には戻っていない。大きな声は出せないし、歌うこともできない。でも——大切な人と話すには、十分だった。


「手紙が届きました」


「誰から?」


「殿下から」


私は、手紙を受け取った。封を開けると、アルディス殿下の筆跡で、こう書かれていた。


『リラへ』


『俺は、お前に償うことができない。お前を傷つけたことは、一生の後悔として背負っていく』


『でも、お前が幸せであることを願っている。レインは、俺よりもずっとお前を理解している。彼となら——お前は幸せになれる』


『お前が書いた手紙は、全て俺が預かっている。いつか——いつか、お前が「返して」と言ってくれたら、返そうと思う』


『それまで、大切に保管しておく。お前の想いを——忘れないために』


『アルディス』


私は、手紙を折りたたんだ。


「……殿下らしいですね」


「そうですか?」


レイン様が、私の隣に座った。


「あの手紙は、返してもらわなくていいのですか?」


「いいえ」


私は、首を横に振った。


「あれは——私の過去の恋の記録です。殿下に持っていてもらうのが、相応しいでしょう」


「……そうですか」


レイン様が、私の手を取った。


「では、これからは——」


「はい」


私は、彼を見上げて微笑んだ。


「これからは、あなたに手紙を書きます」


「私に?」


「ええ。もちろん——」


私は、彼の手を握り返した。


「ちゃんと届ける手紙を」


レイン様が、不器用に笑った。


「楽しみにしています」




◆◆◆




その夜、私は新しい便箋を取り出した。


『拝啓、レイン様』


『今日は、とても穏やかな一日でした——』


ペンを走らせながら、私は窓の外の月を見上げた。


声は完全には戻らない。以前のように歌うことは、もうできないかもしれない。


でも——声が出せなくても、想いを伝える方法はある。


手紙を書くこと。傍にいること。手を繋ぐこと。


『追伸:明日は、一緒に湖を見に行きませんか?』


便箋を折りたたみ、封筒に入れる。今度は、宛名もちゃんと書く。封もする。


「ニナ」


私は侍女を呼んだ。


「この手紙を、レイン様に届けてくれる?」


「はい、お嬢様!」


ニナが、嬉しそうに駆けていく。


私は窓辺に立ち、夜空を見上げた。


『消えゆく声』は、もう消えない。


届かなかった恋は、新しい愛になった。


そして私は——ようやく、自分の幸せを選ぶことができた。


「レイン様」


かすかにかすれた声で、私は彼の名を呼んだ。


「……ありがとう」




◆◆◆




エピローグ



一年後、王国騎士団長レイン・ヴァルトシュタインと、フォンターナ伯爵令嬢リラの婚約が発表された。


王都では大きな話題となったが、二人は静かに幸せを噛み締めていた。


「リラ」


「はい、レイン様」


「結婚したら——『様』はやめてくれ」


「では、何とお呼びすれば?」


「……レイン、で」


私は、くすりと笑った。


「では——レイン」


彼の顔が、かすかに赤くなった。不器用な人だ。でも、そこが好きだった。


「リラ」


「はい」


「愛している」


私の心臓が、大きく跳ねた。


「……私も」


かすかにかすれた声で、でも——確かに。


「私も、愛しています」


彼が、私を抱きしめた。


声は完全には戻らなかった。でも——大切な人には、ちゃんと届く。


それで、十分だった。




——届かなかった恋文は、新しい愛の物語の始まりになった。


(完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かった。ただ、反逆罪に国を危ぶめたのに罪が軽いように思えてしまう。まぁ、二人が幸せなら別にいいか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ