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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第7章

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 祭りの喧騒は、通りを一本隔てるだけでひどく遠くなる。


 中立国ルート王国の王都は、表と裏の切り替わりがひどく極端で、不思議な街だった。世界大会の開催地として完璧に整えられた大通りは、色とりどりの旗と魔導灯の眩い光、そして何万人という人々の歓声に満ちている。各国の紋章が風にはためき、出店からは香ばしい肉の脂や甘い蜜の匂いが流れ、昼なお祝祭の狂熱が街路全体を熱く包み込んでいた。


 けれど、そうした華やかさも、王都の奥に位置する「精霊祭祀区」へ向かう古い石畳の坂を一つ下れば、嘘のように急に薄くなる。


 まず、耳に届く音が変わるのだ。

 先程まで鼓膜を揺らしていた喧騒は、もはや分厚い壁の向こうで鳴るくぐもった海鳴りのようにしか聞こえない。代わりに、自分の靴底が古い石畳を打つ乾いた足音や、歴史ある建物の隙間を縫って吹き抜ける風の音が妙にはっきりと鼓膜を打つ。

 観光客の姿が完全に途切れたわけではない。だが、誰もが無意識に声を潜め、足音を殺して歩くせいで、この一帯だけが世界の時間の流れから切り離されてしまったかのように感じられた。


 シオンは、そのひんやりとした静けさが少しだけ気に入っていた。


 開会式が終わった後、アリアたちと別れて一人になったのは、別に深い理由があったわけではない。ただ単に、あの異常な空間で削られた精神と気力を、これ以上街歩きで消耗したくなかっただけだ。

 

 ルイ会長やアリアといった「本物の化け物」たちに挟まれて直立不動で過ごした開会式は、シオンにとって拷問以外の何物でもなかった。シュナがその場にいなかったのを見る限り、自分もいなくてよかったのではという後悔にも襲われている。

 その後のナギのハイテンションや、食べ歩きに目を輝かせるアリスの姿は容易に想像できたし、それに付き合ってやれるほど今のシオンに余力はない。だったら、ノリの悪い自分がいない方が全員の機嫌もいいだろう。


 我ながら完璧な、そして合理的な判断だった。


『本当に、可愛げのない人ね』


 呆れを含んだ、しかし甘く艶やかな声が、すぐ隣の影から落ちる。

 振り向かなくても誰かは分かる。薄く光を溶かしたような、それでいて深淵のように底知れない気配が、いつも通りシオンの足元に寄り添っていた。


「別にいいだろ。僕は平穏を愛する一般生徒なんだから」

 

『いいけれど。せっかくの世界規模のお祭りだというのに、一人でこんな古びた石畳を眺めながら黄昏ているだなんて、少し陰気すぎるわ。器が知れるというものよ』

 

「ほっとけ。人が多い方が疲れるんだ。それに、お前だってあの人混みは嫌いだろうが」

 

『それはそうね。無象の放つ濁った魔力に当てられるのは御免だわ』


 ディアナはそう言って、影の中でくすりと笑った。

 姿を明確に現しているわけではない。それでも気配だけでどんな表情をしているのかが手に取るように分かるのは、もはや彼女との腐れ縁とも呼べる長い付き合いのせいだろう。シオンは肩を竦め、それ以上言い返す気力もなく歩き続けた。


 祭祀区の建物は、どれもよく似ていた。

 広場に面した白亜の大施設や華美な装飾とは違い、長い年月を耐え抜いた石を無骨に積んだだけのような、簡素な外観のものが多い。壁面には風化した精霊の浮彫りが微かに残り、窓は採光よりも防犯を意識したように細く高い。

 分厚い木扉の上には古いルート王国の文字が刻まれ、その多くが今では意味を失い、半ば意匠や装飾のようになっていた。


 世界大会のために整備された観光路の外れには、一般の立ち入りを制限する太い鎖が渡された場所もいくつかある。祭祀区そのものは観光客に公開されていても、神聖な儀式の場や古い記録の保管庫など、すべてが見学用に開かれているわけではないらしい。


 その厳重な鎖の一つが、少しだけ気になって。

 シオンはふと、足を止めた。


 古い回廊の脇。表通りの案内板のちょうど死角になる、日陰の細い通路の前に、誰かがいた。


 男だった。

 年は三十に届くかどうか。大会関係者の腕章も、正規の警備隊が身につける徽章もつけていない。目立たない灰色の旅装の上に薄い外套を羽織り、周囲の気配をひどく警戒するように、何度も肩越しを振り返っている。

 観光客にしては明らかに落ち着きがなく、案内係にしては場違いな空気を纏っていた。


 男は、立ち入り禁止の鎖が渡された通路の前でしゃがみこみ、何かをしていた。

 ただの鍵開けではない。鎖の留め具には、魔力を帯びた古い封印札のような紙片が幾重にも巻き付けられていた。男はそれらを強引に破るのではなく、手馴れた手つきで、結界の『目』を掻い潜るように慎重に剥がしていく。

 魔力を使えば探知される。だからこそ、純粋な物理的技術と、結界の構造を熟知した知識だけで突破しようとしているのだ。

 少なくとも、ただの迷子の観光客や、出来心のコソ泥がやるようなまともな用事ではなさそうだった。


 シオンは道の端に身を隠し、深く眉をひそめる。


「……面倒なものを見たな」

 

『そうね』


 ディアナの声は、先程までのからかうような響きから一転して、珍しく少しだけ低く、冷たかった。


 男はさらに周囲を窺い、小さな金属片のような特殊な工具を、鎖の留め具の奥へ差し込んだ。軽く捻る。カチリ、と金属が擦れる微かな音が鳴る。

 表通りの祝祭の喧騒の中なら完全に紛れてしまうほど小さな音が、この静寂に包まれた祭祀区では、ひどく生々しく、耳障りに響いた。


 ほどなくして、重厚な鎖が音もなく外れる。

 男はそれを静かに脇へ寄せ、一切の躊躇いなく、薄暗い通路の奥へとその身を滑り込ませた。


 シオンは、そこで視線を切った。


「関係ないな。行こう」


 踵を返しかける。

 祭祀区の裏側の管理がどうなっていようと、自分の知ったことではない。歴史的価値のある祭器を狙う盗人か、あるいは他国のスパイか。どちらにせよ、関われば致死量の面倒の匂いしかしない。

 これまで、こういう時に好奇心で首を突っ込んで得をした覚えなど、シオンの人生においてただの一度もなかった。


 だから、見なかったことにする。

 警備隊に知らせる手間すら惜しい。それが、平穏を愛する一般生徒としての最適解だ。


 そのはずだった。


『アナタがこれからも、そのちっぽけで退屈な静寂を望むなら。あれは止めた方がいいわね』


 ピタリと。

 シオンの足が、見えない糸で引かれたように止まった。


 シオンはゆっくりと視線だけを足元の影へと向ける。


「……は?」


 ディアナの声色は、いつもの冗談や皮肉を言う時のそれではなかった。

 柔らかい。穏やかですらある。けれど、その声の奥底で蠢くものは妙にはっきりしている。気まぐれでも、からかいでもない。上位存在である彼女が、本気でそう『判断』した時の、底冷えするような声音だった。


「どういう意味だ。あいつが何者か知ってるのか?」


『今は、まだ分からなくていいわ』


 すぐには答えない。

 その代わり、ディアナは鎖の外れた暗い通路の先――男が消えた闇の奥を見つめたまま、静かに続けた。


『でも、あのネズミを見逃すのであれば……きっとアナタはあとで、ひどく後悔することになるわよ』


 祭祀区を吹き抜ける冷たい風が、古い石壁の隙間でヒュウウ、と低く鳴る。


 遠くの歓声は相変わらずだった。王都は今日も祝祭のただ中にある。世界大会は華々しく幕を開け、観客たちは無邪気に歓喜し、各国の代表たちはそれぞれの思惑と誇りを胸に光の当たる舞台へ向かっている。

 なのに、この一角だけが、まるで世界の裏側の時間を流しているみたいだった。


 シオンは苛立たしげに、前髪を掻き毟りながら深い息を吐き出した。


「……最悪だ。本当に最悪だ」

 

『ええ、とても』


 シオンの絶望を他所に、声だけは愉悦に満ちた様子でディアナが応じた。


 シオンはもう一度、男の消えた通路を見た。

 古い石壁の奥は、昼間だというのに不気味なほど薄暗く、向こう側がどうなっているのかすら見通せない。いかにも「死にたくなければ関わるな」と親切に警告してくれているような景色だ。


 だが、ディアナがここまで明確に「後悔する」と忠告してくることなど、滅多にない。あの性格の悪い猫が言うのだから、放置すれば今の面倒の比ではない大惨事が引き起こされるのは確実だった。


 だからこそ、なおさらろくでもない。


 しばらくの重苦しい沈黙の後。

 シオンは深く観念したように、見なかったことにするはずだった薄暗い通路の奥へと、重い足を踏み出した。

 

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