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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第7章

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 広場に面した屋台通りは、まるごと一つの祭りになっていた。


 王都の大通りから枝分かれするように伸びた石畳の一帯に、色とりどりの天幕がびっしりと並んでいる。焼き物の香り、甘い蜜の匂い、果実酒の香り、香辛料の刺激。どこを見ても人、人、人で、耳を澄まさなくても笑い声と呼び込みが飛び込んできた。


「すご……ほんまに全部大会仕様やな」


 ナギは目移りしながら、あちこちの屋台を見回した。串焼き、菓子、織物、装飾具、各国の記念品。食べ物だけではない。世界大会の記念章や、契約精霊を模した細工物まである。歩いているだけで楽しい。


「期間限定の出店が多いみたいです。各国の商人も集まるって書いてありましたし……」


 ミナはそう言いながらも、自分もかなり目を奪われているらしかった。手元の資料を見るより、屋台の方へ視線が行っている時間の方が長い。


「見るだけにしとけよ。まだ宿へ戻る時間もある」


 エルドはそう言ったが、ナギは聞いていない。


「これ見てるだけで済むわけないやろ」


 即答だった。


 エルドが深く溜息をつく横で、ナギはさっそく最初の屋台へ突っ込んでいった。生地の中に肉と野菜を詰めて焼いたものらしい。見たことのない料理だったが、匂いが美味そうだったので問題ない。


「ミナも食べるやろ?」


「えっ、あ、わ、わたしは……」


「食べるよな」


「……食べます」


 押し切られたミナが小さく頷く。そうしている間に、ナギはすでに店主へ人数分を頼んでいた。


 エルドは呆れ顔のまま金額を確認し、結局自分の分まで受け取っている。文句を言いながら付き合うあたりが、いかにもエルドらしかった。


 三人で焼きたてを頬張りながら屋台通りを進む。


 異国の味は面白かった。香辛料の利いた肉は少し辛く、生地はもっちりしていて、学院近くでは食べたことがない。ナギが「うまっ」と声を上げると、ミナも目を丸くして「ほんとですね」と頷いた。


「こういうの、世界大会って感じしますね……」


「せやろ? 大会っていうか旅行っていうか、もう全部まとめてすごいわ」


「お前、試合観戦より食い歩きの方が楽しそうだな」


「両方楽しいに決まっとるやん」


 ナギが言い返した、その時だった。


「やっぱり、ここにいたんですね」


 涼やかな声が、雑踏の向こうから届いた。


 振り向くと、人混みを縫ってこちらへ歩いてくる四人組が見えた。見覚えのある白と黒の意匠。先頭のアリアは人波の中でも不思議と埋もれず、その隣でアリスが大きく手を振っている。少し後ろにはイオリとシンシアもいた。


「アリア!アリスも!」


 ナギがぱっと顔を明るくする。


 合流したアリスは、ナギの手元を一目見るなりすぐに反応した。


「ちょっと待って、それ絶対おいしいやつでしょ」


「めっちゃうまいで」


「はい買う!」


「お嬢様、せめて一度落ち着いてくださいませ」


 イオリが即座に手綱を引こうとするが、アリスはまったく止まらない。シンシアはその横で、すでに「並ぶならどこからですか」と半分諦めた顔をしていた。


 アリアは苦笑しながら一歩遅れて足を止める。


「まったく……あなたたちは本当に楽しそうですね」


「だって楽しいやん」


 ナギが悪びれずに言うと、アリアの表情も少し緩んだ。


 王級契約者として、学院代表として、開会式の場では張り詰めていたのだろう。だが今は、その肩から少し力が抜けているように見えた。


「開会式、おつかれさまです」


 ミナがそう声をかけると、アリアは頷いた。


「ありがとうございます。予想以上に長くて、少し疲れました」


「せやろなあ。うちらは外から見ただけでも『長そうやな』ってなっとったし。アリスなんか絶対じっとしてへんかったやろ」


 ナギがそう言うと、アリスはすぐにむっとした。


「してたもん。ちゃんとしてたもん」


「途中でイオリさんに何回止められたんです?」


「……二回」


「してへんやん」


 ナギが即座につっこみ、周囲に小さな笑いが起きる。


 そんな中で、エルドが周囲を見回して一つ気づいたように言った。


「シオンは一緒じゃないのか」


 その一言で、ナギも改めて気づく。


 たしかにいない。開会式帰りなら、選手であるアリアとてっきり一緒だと思っていたからだ。


 アリスが「あー」と気の抜けた声を出した。


「シオンなら途中でいなくなったよ。式が終わって合流した直後くらいかな。『人が多い』とかなんとか言って」


「言いそう……」


 ナギは妙に納得してしまった。


「一応、あとで戻るとは言っていました」


 アリアが補足する。


「ですが、あの様子だと、寄り道せずに宿舎へ戻ったかもしれませんね」


「ほっといて大丈夫なんですか?」


 ミナが少し不安そうに尋ねる。


 アリアは少しだけ考え、それから静かに頷いた。


「少なくとも、迷うことはないでしょう。あの人はそういうところだけ妙にしっかりしていますから」


「褒めてるんか微妙なラインですね、それ」


「事実です」


 きっぱり言われてしまい、ナギは思わず笑った。


 たしかに、シオンは放っておくと勝手にどこかへ消える。けれど同時に、完全に見失うわけでもない。こちらが困る頃には、妙に何事もなかった顔で戻ってくる。そういう意味では、変に心配するより、今は今で楽しんでおく方がいいのかもしれない。


「じゃ、シオン抜きで回ろか」


 ナギがそう言うと、アリスは嬉々として頷いた。


「さんせーい!ていうかあたしまだ全然見てないし!」


「お嬢様はまず食べ歩きを一周で済ませてくださいませ」


「無理!」


 イオリが額を押さえ、シンシアが苦笑する。アリアはそのやり取りに肩を竦めたあと、ふと屋台通りの奥へ視線を向けた。


「せっかくですし、この先の祭祀区まで行ってみませんか」


「祭祀区?」


「この王都でも古い礼拝施設や記念堂が集まっている区画です。世界大会の時期は、見学できる施設も多いとか」


 ミナがすぐに反応する。


「精霊祭祀殿、ですか?」


「知ってるの?」


「資料に少しだけ……」


 ミナが頷くのを見て、ナギはにやりと笑った。


「よっしゃ、行こ。せっかくやし、世界大会の街を端から端まで楽しんだる」


 そうして一行は、屋台の熱気を抜け、少しずつ落ち着いた石造りの通りへと歩き出した。


 その途中で、ナギは一度だけ人混みの向こうを振り返った。


 白い旗が揺れ、歓声が遠くに重なる。その中に黒髪の姿を探したわけではなかったが、それでもほんの少しだけ、妙な引っかかりが残った。


 シオンは今、どこにいるのか。


 考えたのは、それだけだった。

 


 屋台通りを抜けた先で、通りの喧騒がふっと薄くなった。


 賑やかな広場から一本外れただけなのに、空気の密度が違う。石畳はより古び、道の両脇に並ぶ建物も、装飾の華やかさより歴史の重みを感じさせる造りに変わっていた。観光客の姿はあるが、先ほどまでのような浮き立つ喧騒はない。声を潜めるほどではないにせよ、誰もが自然と足取りを静めてしまうような一角だった。


「なんや、急に静かやな」


 ナギが辺りを見回しながら言うと、ミナが抱えた資料束の端を押さえ直した。


「この辺りは“精霊祭祀区”って呼ばれてるみたいです。世界大会の開催地になってから整備された区画じゃなくて、もっと昔から残ってる礼拝施設とか記念堂とかが集まってる場所で……」


「へえ。つまり、古いもんがいっぱいあるってことやな」


「ざっくり言えばそうだな」


 エルドが短く補足する。


 通りの奥には、広場に面した白い大施設とはまるで趣の違う建物が見えていた。低く、横に長く、壁面の大半を古い石が占めている。正面の柱には風化しかけた浮き彫りが残り、その奥に半ば屋外のように開かれた回廊が続いていた。


 入口の上には、ルート王国の古い文字と現代語の両方でこう刻まれている。


 ――精霊祭祀殿。


「おお……なんか、急にそれっぽい」


 ナギが思わず声を落とす。


 中へ入ると、外の光はそのまま届いているのに、空気だけが少し冷たかった。礼拝堂というほど閉ざされてはいない。むしろ広い回廊の先に、展示室と祈祷のための空間がゆるやかに繋がっているような、不思議な造りだった。


 壁際には古い祭器や碑文の写しが並び、中央にはこの国に残る精霊信仰の変遷を示す年表が置かれている。世界大会の観光客向けに整えられてはいるが、根にあるものはもっと古い。そう感じさせる静けさがあった。


「ルート王国って、もともと精霊信仰がかなり強い国やったん?」


 ナギが何気なく問うと、ミナがすぐに頷いた。


「強い、というより……この国が中立を保ってきた理由の一つとして、“古い精霊との盟約を尊ぶ土地柄”があった、みたいな書き方をされることが多いです。各国の間で大きな戦があった時代にも、この一帯だけは“祭祀の地”として侵されなかった、とか」


「ほんまかいな」


「伝承込みだろうけどな」


 エルドが壁の案内文を流し見しながら言う。


「ただ、少なくともこの国が精霊を“戦うための力”としてだけじゃなく、“世界を鎮めるもの”として扱ってきたのは本当らしい」


「へえ……」


 ナギは感心しながら歩を進め、それから自然と足を止めた。


 回廊の最奥、一面の壁を使った巨大な壁画が、そこにあった。


 他の展示とは明らかに格が違う。説明板も、祭器も、周囲の展示も、すべてこの壁画のための前置きのように思えるほどだった。


 描かれているのは、戦だ。


 地を埋める兵。空を焦がす炎。崩れた城壁。槍と旗、折れた剣、倒れ伏す人影。ひとつの国とひとつの国の戦ではない。いくつもの軍勢が入り乱れ、世界そのものが裂けそうなほどの混乱が、壁一面に描き出されていた。


 そして、その上に。


「……八人?」


 ミナが小さく呟く。


 戦場を見下ろすように、いや、包み込むように、八つの人影が描かれていた。


 どれも人の姿をしている。だが、ただの人間には見えない。輪郭はやわらかく発光するように縁取られ、長衣とも羽衣ともつかないものを纏い、足元は雲とも光ともつかない流れの中に溶けている。


 翼は、ない。


 少なくとも、はっきり翼と呼べるものは描かれていない。だが背後には放射状の意匠があり、見る角度によっては羽ばたきの残像にも見える。


 八柱はそれぞれ姿が違った。


 一柱は長い衣を垂らし、手を差し伸べるだけで戦場の炎を鎮めているように見える。

 一柱は剣ではなく細い杖を掲げ、その先に星のような光を散らしていた。

 一柱は地に手を触れ、大地そのものを押し留めるような姿勢を取っている。

 一柱は目を閉じたまま、ただ祈るように佇んでいる。

 そして残る柱たちも、それぞれ違う仕草で、違う形で、下の戦を止めようとしていた。


 共通しているのは、誰一人として“戦って”いないことだった。


「すご……」


 ナギがぽつりと漏らす。


 単に大きいからではない。壁画そのものが持つ気配に、思わず言葉を失ったのだ。


 ミナが案内板を読み上げるように目を走らせた。


「“八柱の高位精霊、戦乱の時代に降り立ち、争う諸国を沈黙させた”……」


「降り立ち、ってまた仰々しいな」


 エルドが腕を組む。


「伝説らしく盛ってるんだろ。実際は王級級の契約者が複数いて、後世で神話化されたとか、そういう線の方がありそうだ」


「でも、壁画やとほんまに神様みたいやで?」


 ナギが見上げたまま言う。


 たしかに、そうだった。


 精霊の壁画はこの国にいくらでもあるのだろうが、ここに描かれている八柱はどこか異質だ。王級精霊の荘厳さとも少し違う。もっと静かで、もっと完成されていて、どこか人に近いのに、人ではない。


 見ているだけで、不思議と胸の奥が静まる。


 それなのに、同時に落ち着かないものもあった。


「ルート王国じゃ、この八柱が国を守った、みたいな感じなんかな」


 ナギの問いに、ミナは首を傾げた。


「守った、というより……戦争を終わらせた、が近いみたいです。争っていた諸国の前に現れて、“八柱が空を覆った時、誰も剣を振れなくなった”っていう記述もあります」


「急に盛り方がすごいな」


「神話や伝承って、だいたいそういうものだろ」


 エルドはそう言ったが、声音にはわずかに慎重さが混じっていた。


 ナギはなんとなく、その理由が分かった気がした。


 この壁画は、たしかに伝説めいている。

 でも、ただ大袈裟に作られた昔話を見る時の感覚とは違うのだ。妙に生々しい。大昔の人間が、何か自分たちの理解を超えたものを見て、それを必死で壁の上に残そうとした――そんな感じがある。


「……なんか、精霊って感じせえへんな」


 気づけば、そんな言葉が口をついていた。


 ミナが驚いたようにナギを見る。


「え?」


「いや、ほら。うまく言えへんけど、もっとこう……王級とか上級とか、そういう感じとも違うやん。すごいのは分かるんやけど、“精霊”っていうにはちょっと――」


 そこまで言って、ナギは肩先に触れる。


 さっき街中で一度だけ見せた、あの不自然な沈黙。

 それとまったく同じではない。けれど、ここに来てからずっと、ピュールは妙に大人しい。


「ナギさん?」


 ミナが心配そうに覗き込む。


「……ううん」


 ナギは壁画から目を離せないまま、小さく首を振った。


「なんでもない」


 そう答えた瞬間だった。


 背後で、誰かの足音が止まった。


「すごい、壮大ですよね」


 よく通る、落ち着いた声。振り返るより先に、ナギの口元が緩む。


「アリアもそう思う?」


 回廊の入口には、少し遅れてやってきたアリア、アリス、イオリ、シンシアの四人が立っていた。騒がしい広場の方から来たはずなのに、その場に立つだけで空気が少し整うような感覚がある。


 アリスは壁画を見上げるなり、素直に目を丸くした。


「うわ、なにこれ。でっか……!」


「お前も同じ反応か」


 エルドが少しだけ肩の力を抜く。


 アリアは壁画の前まで歩み寄り、静かに八柱を見上げた。その碧眼の瞳が、わずかに細められる。


「……綺麗ですね」


 その一言は、単なる感想以上の響きを持っていた。


 ナギは何とはなしに、もう一度壁画を見る。


 八柱は変わらず、戦乱の上に静かに立っていた。


 祈るでもなく、裁くでもなく、ただそこに在るだけで、すべてを押し留めたような姿で。


 その壁画の先で、ピュールがまたわずかに身を固くした。

 

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