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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第7章

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中途半端になっちゃったのでこの話と次の話が少し長いです。

7章もよろしくお願いします

 歓声は、空ではなく石でできた巨大な器の内側を渦巻いていた。


 幾重にも積み上がった観客席。風にはためく色とりどりの旗。競技場を取り囲むように浮かぶ無数の魔導灯は、昼なお白く輝き、中央の円形舞台を祝祭の中心として照らし出している。


 精霊大祭――1年に1度開催される、精霊魔術の『世界大会』。


 精霊契約者であれば、その名を一度は聞く。聞くだけで胸を熱くし、立つことを夢見て、届かぬと知ってなお憧れ続ける最高の舞台。

 その熱気のただ中にあって、シュナは一人、最上層の選手用回廊に立っていた。


 石造りの手すりに指先を添え、眼下を見下ろす。

 人がいる。精霊がいる。数え切れないほどの気配が重なる。息遣いのように絶え間なく流れる魔力の波が、競技場という巨大な器そのものをひたひたに満たしていた。


 濃い。


 学院の選抜戦とは比べ物にならない。ここには、世界各国から集められた様々なカテゴリの代表と、その代表に選ばれた強力な精霊たちの気配が密集しすぎている。精霊たちは高揚し、己の力を誇示し、あるいは極度の緊張を孕み、それぞれの契約者の内側で激しくざわめいていた。


 けれど。


「…………」


 シュナは、わずかに目を細めた。

 右耳の奥で、微かな音が鳴る。


 音、というにはあまりにも静かな反応だった。声ではない。明確な呼びかけでもない。ただ、普段は冷え切った静水のように彼女の深淵に沈んでいる気配が、ほんのわずかに波立ったのだ。


 アリューシアが、反応している。


 その事実だけで、シュナにとっては十分すぎる異常事態だった。

 この場に満ちているのは、所詮は精霊の気配だ。精霊に連なるだけの存在なら、彼女の使徒がこうも明確に揺らぐことはない。アリューシアは、精霊のざわめきなど歯牙にもかけない。相手が高位であるとか、王級であるとか、そんな矮小な物差しにすら興味を示したことはほとんどないのだ。


 なのに今、反応した。

 それも――決して怯えたのではない。


 身を伏せるように気配を殺し、息を潜めながら、なおそこから目を離せない絶対的な存在に向ける、あの特有の反応。


 シュナの白魚のような指先が、手すりを無意識にトントンと叩く。

 視線を落とす。


 出場選手たちが集まるフィールドの一角。カラフルな各国の戦闘服が並ぶ中、その一団は比較的見つけやすかった。学院の代表団。白と黒を基調とした洗練された意匠の制服は、この大舞台にあっても不思議と埋もれず、確かな存在感を放っている。


 シュナ自身も、その中の一員だ。だからこその違和感だった。

 今、シュナの氷のように冷たい目に映っているのは、彼らの輝かしい肩書きでも、大会名簿の並びでもなかった。


 いるべきではないものが、そこにいる。

 正確には、気配があるのに『輪郭』がない。


 周囲の契約者たちは皆、精霊の気配を背後に背負っている。強弱や質の差はあれど、みな等しく同じ世界システムの内側にいる。見ようとすれば魔力の糸を辿れる。感じようとすれば、その属性に触れられる。

 だが、その一人だけは完全に異質だった。


 ひどく静かだ。

 精霊の気配がない、というだけではない。ないこと自体が不自然なほど、そこだけ世界の理から綺麗に切り抜かれている。まるで、最初から何も存在していなかった空白の場所に、人の形だけが不自然に置かれているような――そんな絶対的な虚無。


「あれが……」


 シュナの口の中で紡がれた言葉は、鼓膜を揺らす歓声にかき消されることもなかった。あまりにも小さく、そしてあまりにも重い響きを持っていたからだ。

 ありえない。ここは世界大会だ。世界中の精霊契約者が集う祭典だ。

 だが、アリューシアは確かにあの少年に反応していた。ならば、自分の直感とこの眼差しは見間違いではない。


 シュナは、群衆の向こうに立つその少年を真っ直ぐに見つめた。

 黒髪。どこにでもいそうな平凡な顔立ち。周囲の華やかな熱狂から半歩引き、心底面倒くさそうに姿勢を崩して立っている。あまりにも場違いな、冷めきった温度で世界の大舞台に立っている少年。


 なのに。

 どうしても目を離せない。


 使徒の沈黙が、逆に雄弁に告げている。あれは精霊ではない。上位存在ですらない。もっと、根の違う恐ろしい何かだと。


 ふいに、少年が顔を上げた。

 距離がある。物理的に視線が交わったわけではない。そう思った。

 それでも一瞬、シュナの胸の奥が、氷の魔術とは違う種類のもので芯から冷えた。


「……」


 アリューシアはなお沈黙したまま、ただシオンの影の一点を見つめている。

 その重苦しい沈黙をかき消すように、競技場の中央で開会の鐘が高らかに鳴り響いた。


 重く、澄んだ音が世界大会の始まりを告げ、観客の熱狂はさらに高まっていく。拍手と歓声が渦を巻き、精霊たちの気配も波立って、祝祭はまさに頂点へ向かって膨れ上がる。

 なのにシュナには、その世界の全てが急に遠い作り物のように感じられた。


 始まるのだ、と彼女は思う。

 そのガラス玉のような眼差しは、華やかな大会の行方などではなく、ただ一つの深い『深淵』へと向けられていた。



 ◆



 中立国、ルート王国の王都は、世界大会の開催地という巨大な肩書きにまったく負けていなかった。


 中立国らしく、街並みそのものは整然と洗練されている。石造りの建物は落ち着いた色味で揃えられ、馬車がすれ違えるほど道幅も広い。だが、その端正さを覆い隠すように、今は街のどこもかしこも祝祭の熱気に包まれていた。

 大通りには色とりどりの旗がアーチ状に渡され、広場には仮設の案内板や屋台がいくつも立ち並び、各国から集まった人々が絶え間なく行き交っている。


 その凄まじい人波と活気の中で、ナギは隠しきれずに目をキラキラと輝かせていた。


「うわぁ、ほんまにすご……」


 広場の向こうに見える白亜の競技場を見上げ、思わず足が止まる。

 学院の演習場とは比べものにならないスケールだ。円形の巨大な施設が城壁のようにそびえ立ち、その周囲にも、用途や規模の異なるサブ会場がいくつも併設されている。

 視線を巡らせるたびに、世界大会という言葉がただの大仰な看板ではなく、本物の『世界』なのだと嫌でも理解させられる。


「資料で写真や図面は見ていましたけど、やっぱり実際に来ると空気感が全然違いますね……」


 ミナもまた、少し緊張したように首から下げたカメラと分厚いノートの入った鞄を抱え直しながら、周囲をキョロキョロと見回していた。興奮を全身で表現するナギとは対照的に控えめな反応ではあるが、その声には確かな高揚と知的好奇心が混じっている。


「お前ら、きょろきょろしすぎだ。田舎者丸出しだぞ」


 エルドが呆れたようにため息を吐いた。もっとも、彼自身も歩みを緩め、目線だけはしっかりと会場の配置や観客の導線、警備の配置などを鋭く確認している。浮かれてはいないが、武人としてこの空気に何も感じていないわけではないのだろう。


 ナギはすぐさまむくれて反論した。


「いや、するやろ普通! 世界大会やで!? しかも毎年このルート王国でやっとるから、街の作りからして大会に特化して慣れとる感じあるし。あっちもこっちも大会仕様の完全なお祭り騒ぎやん!」


「それはそうです。中立国だから開催地にしやすい、という政治的な理由だけじゃなくて、運営設備も毎年莫大な予算をかけて整備されていくみたいですし」

 

 ミナがノートを開きながらすぐに補足する。


「選手用の高級宿舎、複数の予選会場、観客のスムーズな動線、各国の騎士団が協力する警備体制、そして最高峰の治癒師が集まる治療区画まで、全部含めてこの国が主体となって受け持ってるそうです。世界大会の期間だけで、この街の人口も普段の数倍に膨れ上がるらしくて……」


「さすがミナ、情報通やな」

 

「一応、公開されている資料は全部読んできたので……」

 

「全部!?」


 ナギが素で目を丸くすると、ミナは少しだけ気まずそうに眼鏡を押し上げ、視線を逸らした。

 

「その……せっかく本場の空気を味わいに来るなら、基礎知識として知っておいた方がより深く分析できるかなって……」


「偉いなあ。うちなんか、ルート王国って名前見た時点で『あー、中立国なんや、へえ』で思考停止して終わったわ」

 

「お前はもう少し、自分の身を置く環境に危機感を持て」


 エルドの容赦ないツッコミが飛ぶ。だが、ナギはまったく堪えていない様子でへへっと笑った。


「せやかて、エルドも馬車降りる前からちょっとピリッとしとったやん?」

 

「……俺は、見知らぬ強者が集まる環境に少し緊張していただけだ」

 

「それを世間ではピリッとしとるって言うんやろ」


 軽口を叩き合いながら石畳を歩くうちに、三人は会場案内の巨大な掲示板の前に差しかかった。王都の中心部に近いだけあって、人通りもひときわ多く、様々な言語が飛び交っている。案内の下には、いくつかの競技会場の割り当てと、日程の大枠が分かりやすく記されていた。


 ナギはそれを見上げて首を傾げる。


「結局、この大会の予選ってどんな感じなんやったっけ。学院の選抜戦みたいに、最初からグループ分けされてどんどん当たってく感じ?」


「人数が多いので、まずは大規模なトーナメント戦ですね……」

 

 ミナが控えめに言いながら、記憶をたどるように指を折った。


「まず、各国の代表が全員集まって、ランダムに振り分けられたブロックで予選をするのは決まってます。今年の参加人数は150人前後。会場もこの周辺の施設を複数使うみたいですね。そこから、激戦を勝ち抜いて『本戦』に進めるのは、たったの32人だけです」


「150から32……」

 

 ナギは思わず顔をしかめた。

 

「思ったよりえげつなく削るなあ……。シオンたちも大変や」


「削るだろ。むしろ、あのレベルの猛者が集まる中で本戦32枠もあると考えるべきだ」

 

 エルドが掲示板を見つめながら淡々と言う。

 

「国単位で厳しい予選を抜けてきた連中が集まるんだ。全員が各地の『一番星』か、あるいは歴戦の兵だと思った方がいい。……すれ違う連中を見てみろ。学生なんて、ほとんどいないぞ」


「うちらの代表が例外ってやつやな」

 

「そういうことだ」


 ナギはもう一度、会場へ向かう人波の方へ目を向けた。

 たしかに、すれ違う者たちの気配の重さが、学院の生徒たちとは明らかに違う。大人ばかりだ。各国の騎士団章をつけた屈強な男、貴族然とした高慢な態度の魔術師、見るからに修羅場をくぐり抜けてきたと分かる歴戦の傭兵風の者。

 年齢も、纏う空気も、場数も、自分たち学生とは根本的に違う。


 学院の選抜戦を観戦していた時は、彼らが「世界大会の代表になった」という実感よりも、「目の前の理不尽な試合をなんとか生き抜いた」という感覚の方が強かった。だが、こうして現地に来て、本物の強者たちのプレッシャーに当てられてみると、嫌でも分かる。


 ここは、本当に『世界』なのだ。


「……なんか、急に実感出てきたわ」

 

 ナギがぽつりと呟くと、ミナも小さく頷いた。

 

「わたしもです……。シオン君やアリアさん、本当にこんな場所で戦うんですね」


「今さらビビるなよ。俺たちは応援と観戦に来ただけだ」

 

 エルドはそう言ったが、その声音はいつもより少しだけ柔らかかった。彼自身、完全に平静というわけではなく、この場の熱気に当てられているのだろう。


 ナギはふっと笑って、わざと明るく言った。


「いやでも、逆に燃えるやろ! うちらの学院の代表やで? 学生の身分でここまで来たんやったら、大人たち相手にちょっとくらい派手にかましてやりたいやん!」

 

「だから、お前が戦うわけじゃないだろ」

 

「いいやんか! そう言う気分に浸って応援するだけでも楽しいやん!」


 ナギが口を尖らせ、ミナがくすりと笑う。


 ――その時だった。


 ふいに、ナギの肩先に寄り添っていた中級精霊ピュールの気配が、ぴたりと止まった。


 ナギの足が止まる。

 

「……え?」


 ほんの一瞬のことだった。けれど、長年契約しているナギが見間違えるはずがない。さっきまで大会の熱気に当てられていつも通り軽やかに揺れていたピュールの気配が、まるで何かに怯えて耳を澄ますように、不自然に静まり返ったのだ。


「ナギさん?」

 

 急に立ち止まった友人に、ミナが不思議そうに振り返る。


 ナギはすぐには答えられなかった。ピュールはすぐに平静を装い、再び肩先で揺れ始めている。だが、あれは確かに自然な揺らぎではなかった。何か途方もない『異物』の気配を察知したかのような、本能的な硬直。


「今、ピュールが……」

 

 そこまで言いかけて、ナギは口をつぐんだ。

 人混みを見渡しても、怪しい者は見当たらない。


「なんでもない。気のせいや」

 

「そ、そうですか?」

 

 ミナは戸惑ったまま、そっと答える。


 ナギは無意識に、巨大な競技場の方を見つめた。

 

(……気のせいや。心配あらへん)

 

 そう自分に言い聞かせるように、ナギは再び歩き出した。だが、胸の奥に落ちた冷たい水滴のような違和感は、祝祭の熱気の中でも消えることはなかった。

 

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