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掲示板の前には、ほどほどの人だかりがあった。
昨日ほどのざわつきはない。順位が貼り出された初日は驚きが支配したが、2日目は整理が始まる。
誰が敵で、誰が脅威で、誰が追える相手なのか。
評価と予測が行き交う、そんな空気だった。
僕はその輪の端に立ち、斜めから紙面を確認した。
最上段の名前は変わらない。
王級3人。
その存在が数字以上にこの場の空気を支配している。
特にアリアとルシアは精霊を実体化こそしていないのに、近づけば温度や光が変わって見えるほどだ。
周りの生徒たちの声も自然とそちらへ向かう。
「やっぱ王級は別格だな」「この学年だけで3体とか異常だろ」
そんな声が耳をすり抜けていく。
僕の視線はそこでは止まらない。
紙の中央より少し上。
そこでようやく、自分の名前に辿り着く。
9位 シオン
昨日、そこは空白だった。
今日は違う。あっさりと、訂正された形でそこにある。
名前が入っただけで、なんとなく“世界のほうが僕を認識し始めた”みたいに感じるのは気のせいだろうか。
(……まあ、変な注目を集めるよりはいい)
昨日のような「誰だ?」という視線が向くよりは、まだましだ。
誤魔化す余地すらない、ただの事実として貼られている方が楽だ。
『ふふ。目に見えるようになったわね、アナタの“場所”。』
ディアナが柔らかい声で囁く。
(もっと低いところでいいんだけど)
『そう思う子ほど、だいたい高いところに立つものよ。』
ディアナに付き合わず、掲示板から少し距離を置こうとした、その瞬間。
「ーーあー。やっぱり嘘やったんやな。」
声の方向を向く前に、誰か分かった。
昨日会ったばかりなのに、声の勢いだけで識別できるのはどういうことなのか。
振り返れば、黄緑の髪が朝日にきらりと揺れていた。
ナギだ。
昨日より表情が読みやすい。
嬉しそうだが、少し得意げでもある。
ナギは掲示板と僕の顔を交互に見て、口角を上げた。
「9位の空白、やっぱりシオンやったんやな。」
決めつけではなく、確認。
でも、返答の余地はない口調。
「……まぁ、結果としてそうなったよ。」
「そうなったって言い方よ。しれっとしてるけどな、普通9位ってすごいで?特にこの学年やと」
周りの会話を聞けば、それも確かに分かる。
この学年は例年より契約者が多いらしい。
その中で9位は、偶然では届かない位置だ。
だが——
(できれば特別扱いにはしないでほしい)
それが本音だった。
ナギは僕の表情を見て、ふっと笑う。
「なんやその顔。“静かにいさせて”って顔しとるな。」
「事実だけど、分かりやすく言わないで。」
「でも昨日の返事は嘘やろ。」
「……否定はしない。」
「せやろなぁ。シオンの嘘って声より空気のほうでバレるタイプや。」
妙な分析力だと思う。
でも、否定できないあたり悔しい。
ナギは掲示板に視線を戻した。
それから、肩の風精霊をちょい、と指先で揺らす。
「で。それで?キミは今、どんな気分なん?」
質問の形は軽い。
でも、聞く姿勢には興味じゃなく尊重が混じっていた。
だから僕も、変に誤魔化さず答える。
「……別に特別な気持ちはないよ。いずれはこうなったはずだから。」
「ほー。なるほどな。」
ナギはうんうんと頷き、満足げに両手を腰に当てた。
「ほなこういうことでええな。」
「……?」
「もうシオンがどういう人かわかってしまったからなぁ。このまま友達でいてもらわなあかんで!」
にかっと笑うナギ。
まとめ方が雑なのに、妙に成立してしまっている。
僕は少し息を吐いた。
「……昨日決めてたでしょ。友達。」
「そうや。確認しただけや。」
『諦めなさい。あの子は風。興味を持ったら離れない。』
(……知ってる)
ナギは掲示板から離れ、軽く手を振る。
「ほなシオン。またあとでな。逃げても追うで?」
「脅し?」
「約束や。」
そして軽やかに廊下を歩き去る。
風精霊がその背中をふわりと押すように浮いてるのが見えた。
その姿を見送りながら、僕はなんとなく思う。
——静かに暮らす予定だったのに。
——どうしてこういう方向だけ進むんだろう。
しかし足取りは重くはなかった。
むしろほんの少しだけ、息が通りやすくなった気がした。
『ねぇ、シオン。』
(何。)
『“普通に生きたい”って願いは、案外叶わないものよ。』
(だろうね)
『でも——』
声が少し柔らかくなる。
『悪いことだけじゃないわ。巻き込まれる人生って、退屈しないもの。』
「僕は退屈でいい。」
『ふふ。言うだけなら自由ね。』
その会話を最後に、僕は掲示板から背を向けた。
視線が少しだけ増えた気がする。
だけど、刺さるほどではない。
9位という数字は、追うには高く、騒ぐには低い。
だからこそ中途半端で、だからこそ静かになれる。
(……悪くない)
小さく、それだけ思った。
ナギの姿が人混みに消えていく。
さっきまでそこにいたはずなのに、風みたいに気配だけ残していく。
ほんの数分話しただけなのに——妙に存在感が強い。
(……ほんと、静かに過ごしたいだけなんだけどな)
願望と現実の距離は、思っていたより遠い。
掲示板の前にはまだ生徒が集まっている。
僕の名前を特別扱う声はないけれど、ちらりと視線が流れるたび、胸の奥がざわついた。
(目立ちたくはないけど……もう、隠れてはいられないってことか)
そんなことを思っていると、ディアナがくすっと笑う。
『シオン、顔。諦めた人の顔してるわよ。』
「……してない。」
『してるわ。とても。』
「……否定しとく。」
『ふふ。そういうところ好きよ。』
軽く肩をすくめて歩き出す。
鐘の音がまだ空気に残っていて、生徒たちは同じ方向へ向かっていた。
向かう先は——今日初めて行われる実技授業の訓練場。
あの広い空間で、また数字が意味を持ち始める。
僕もその流れに混ざる。
周りより少し遅い歩幅。
けれど迷いはない。
(……まあ。なるようになるか。)
空をわずかに吹き抜けた風が、ほんの少しだけ涼しかった。




