87
選抜戦4日目の全日程が終了し、熱狂と疲労が入り混じった空気が学院を包み込んでいた。
夕闇が迫る頃、学内食堂の喧騒の中で、いつもの四人はテーブルを囲んでいた。
「――で? 『一歩も動かずに先輩を絶望させる』のが、あんたの言う『平和裏な敗北』なん?」
ナギが、フォークに刺したハンバーグを振り回しながら、意地の悪いニヤニヤ笑いをシオンに向けた。
「……違う。あれは事故だ」
シオンは目の前のパスタをフォークで力なく巻きながら、心底うんざりした顔でため息を吐いた。
「事故で2年生の上位ランカーが泣きそうになりながら降参するか! しかも防壁すら張らんと、水が勝手に消滅したんやろ? 観客席から見とって寒気がしたわ」
「僕がやったんじゃない。足元のバカ猫が勝手に機嫌を損ねて、相手の魔術を消し飛ばしたんだ。僕はむしろ当たりに行こうとしたんだぞ」
「当たりに行こうとしたって……端から見たら、ただの余裕ぶった化け物にしか見えませんよ、シオン君」
ミナが、手元の分厚いノートをパタンと閉じながら、やれやれと首を振った。
「事実、食堂に入ってからずっと、周りの生徒たちがシオン君を見てヒソヒソと噂しています。『あいつがエラーの怪物だ』『絶対領域を持ってるらしい』とか……」
「やめてくれ、胃が痛くなる」
シオンは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
確かに、周囲の視線は初日の頃よりも明らかに刺々しく、そして畏怖に満ちている。目立たず平穏に生きたいというシオンの切実な願いは、見事に逆方向へと爆走していた。
「自業自得だな。そもそもお前が本気を出せば、あんな目立つ勝ち方にならずに済んだんじゃないのか?」
向かいの席で冷静にコーヒーを飲んでいたエルドが、呆れたような視線を送る。
「本気を出したら、それこそ演習場ごと吹き飛ぶだろ……」
「……なんだと?」
「いや、なんでもない」
シオンはボソッと漏らした本音をごまかすように、冷めたパスタを口に放り込んだ。
結局のところ、タルマとナービィに連勝(しかも無傷で圧勝)してしまった以上、明日のエド戦がどうであれ、シオンのグループF上位通過は揺るぎないものとなっている。
「ま、これでシオンの選抜戦突破はほぼ確定やな。他のグループはまだ混戦やから、明日も気張らなアカンけど」
ナギが全体のグループの星取表を思い浮かべながら、ハンバーグを平らげる。
「アリアも、明日は正念場だな」
「ああ。彼女なら大丈夫だとは思うが、相手も上級生の上位ランカーだ。油断はできないな」
エルドの言葉に、シオンは少しだけ救われた気がした。アリアのような「常識的な努力」こそが、本来の学生らしい姿なのだ。自分のようなイレギュラーは、やはり隅っこで大人しくしているべきなのだと、シオンは固く心に誓った。
◆
「皆さん、お待たせいたしました」
そんな四人のテーブルに、少し疲れた様子の、しかしどこかホッとした表情のアリアが歩み寄ってきた。
「おー、アリア! お疲れさん。こっち座りぃ」
ナギが隣の席をポンポンと叩く。アリアは小さく会釈をしてから、そこに腰を下ろした。
「アリスの容態はどうだ?」
シオンが真っ先に尋ねると、テーブルの空気が少しだけ張り詰める。アリアはふっと口元を緩めた。
「ええ、先ほどようやく意識が戻りました」
「ほんまか!? よかったぁ……」
ナギが胸を撫で下ろし、ミナとエルドも安堵の息を吐く。
「ただ、会長の『重力結界』による肉体的な負荷と、精神的なショックが大きかったようで、体はまだ鉛のように重くて指先一つ動かせない状態です。ベッドの上で『悔しい、体が動かない!』と涙目で叫んでいましたから、元気といえば元気なのですが」
アリアの言葉に、シオンは苦笑した。
「アリスらしいな。体が動かなくても口は元気なのか」
「はい。治癒師の方によれば、結界のおかげで内臓や骨に異常はなく、魔力枯渇による一時的な麻痺状態とのことです。後遺症も一切残らないと太鼓判を押していただきました。数日安静にしていれば、元通り暴れ回るでしょう」
「それ聞いて安心したわ。一時はどうなることかと思ったけど、さすがはアリスやな」
「ご心配をおかけしました。……それで」
アリアはホッとした顔から一転、少しだけジト目をシオンに向けた。
「シオンさん。アリスの看病をしながらモニターで拝見していましたが……随分と、派手な勝ち方をされたようですね?」
「うぐっ……」
「あれで『平和裏に負ける』つもりだったとは、到底思えないのですが?」
「だから、あれは僕の意思じゃなくて……!」
シオンの悲痛な弁明は、アリアの「ふふっ」という上品な笑い声にかき消された。
「冗談です。ですが、シオンさんが無傷で勝ち残ってくれて嬉しいです。これで、心置きなく私も明日の試合に臨めます」
妹の無事が確認できたことで、アリアの瞳には本来の「王級」としての強い光が戻っていた。
「あら、皆様お揃いで。ごきげんよう」
和やかな空気に包まれていたテーブルに、今度は優雅な足音と共にルシアが現れた。
相変わらずの縦ロールの金髪を揺らし、一切の隙を感じさせない令嬢の佇まいで、アリアの向かいの空席に腰を下ろす。
「ルシアさん。ごきげんよう。明日はついに、Aグループの最終戦ですね」
アリアが言葉をかけると、ルシアはふうっと小さく息を吐いた。
Aグループ。生徒会長ルイ・コフィーンが君臨する、絶望の「死のグループ」。
現在、ルイが2勝。ルシアとユーゴが1勝1敗。そしてアリスが2敗で戦線離脱状態にある。
「ええ、そうですわね。明日は私と会長の試合、そしてユーゴ先輩とアリスさんの試合が組まれておりますが……」
ルシアはそこで言葉を区切り、テーブルの四人をぐるりと見渡した。
「私、明日の会長戦は棄権いたしますわ」
「……え?」
ナギが間の抜けた声を出し、エルドとミナも目を丸くした。シオンですら、少しだけ意外そうな顔でルシアを見る。
「棄権、ですか? ルシアさんなら、戦い方次第で……」
「いいえ、アリアさん。無理ですわ」
ルシアは静かに、しかし断固として首を横に振った。
「私は光の支援職ですの。私の真髄は、味方を強化し、戦況をコントロールすること。単独での戦闘力は本来、アリスさんやアリアさんには劣ります。そして何より……」
ルシアは目を細め、初日のルイとユーゴの試合、そしてアリスが一瞬で沈められた光景を思い出すように視線を落とした。
「あの『絶対的な暴力』の前に、小手先の強化や戦術が通用するとは思えません。負けが決まっている試合にわざわざ出向いて、アリスさんのように体を壊して後遺症のリスクを背負うなんて、たまりませんもの。私は合理主義者ですのよ」
その言葉には、逃げの姿勢というよりは、己の立ち位置と実力を正確に測った上での冷徹な判断があった。
「……確かに、ルシアの言う通りかもしれんな」
エルドが腕を組んで頷く。
「勝機が万に一つもないと分かっているなら、無駄な負傷を避けるのは戦士として正しい判断だ」
「それに、アリスさんの欠場も確定しておりますからね」
ルシアが続ける。
「アリスさんが戦えない以上、ユーゴ先輩の不戦勝が確定します。つまり、ユーゴ先輩は2勝1敗。私が明日棄権すれば1勝2敗となり……Aグループの2位通過は、ユーゴ先輩で確定いたしますわ」
「なるほど……Aグループはもう、順位が決まったようなもんか」
ナギが納得したように呟く。ルシアの予選敗退は確定してしまうが、本人は全く気にした様子もなく、優雅に紅茶を口に運んでいた。
「私はもとより、この選抜戦で1位になろうなどという野心はありませんの。王級としての最低限の体面は保てましたし、これで十分ですわ。……それよりも」
ルシアの視線が、アリアへと向けられる。
「明日はアリアさんのBグループ最終戦。勝てば全勝でトップ通過ですわね?」
「はい。相手は2学年序列5位のウェルズ先輩ですが、油断するつもりはありません」
アリアが背筋を伸ばし、力強く頷く。
「アリアなら絶対いけるって! アリスの分まで、きっちり1位抜け決めてきいな!」
「ええ。私たちの学年のトップとして、期待しているぞ」
「私も応援しています、アリアさん!」
ナギ、エルド、ミナからの激励に、アリアは嬉しそうに微笑んだ。
「……頑張れよ」
シオンも、目立たないように小声でエールを送る。
「ありがとうございます、皆様。アリスの無念を晴らすためにも、そしてフェンリズの名にかけても、必ず勝ち上がってみせます」
アリアの碧眼に、揺るぎない決意の炎が宿る。
選抜戦もいよいよ大詰め。それぞれの思惑と決意が交錯する中、運命の5日目が幕を開けようとしていた。




