82
「行くぜ!」
「望むところですわ!」
開始の合図と同時に、演習場の空気が裂けた。
観客席の何人かが反射的に目を閉じる。
遅れて、地面を走る紫電が視界に残像を残した。
ユーゴ・グレイスの加速は、もはや“走る”ではない。
爆ぜるような一歩で距離を消し、次の瞬間にはルシアの背後にいた。
短剣の軌道は迷いがない。
首筋へ一直線。
——当たらない。
金属音だけが虚しく残った。
ルシアの身体は、斬撃の直前に半歩だけ横へずれていた。
「……速いですわね」
焦りのない声。
彼女の背に浮かぶ光翼が、ゆっくりと羽ばたく。
その羽ばたきに合わせ、彼女の重心が滑るように移動した。
跳ぶでもなく、走るでもない。地面に貼り付いたまま位置だけが変わる。
「見えてるって顔だな」
「ええ。追えますわ」
ルシアの足元に光の紋様が展開される。
強化術式の重ね掛け。
身体能力の底上げではない。“最適化”に近い調整。
ユーゴが再び踏み込む。
二歩目はさらに速い。
雷を纏った踏み込みで横合いへ回り込む。
連撃。
袈裟、返し、足払い。
すべてが紙一重で空を切る。
回避ではない。
先に“そこにいない”。
(外させられてる……?)
ユーゴの思考がわずかに揺れる。
ルシアは追撃しない。
ただ距離を保つ。
——観客がざわつく。
先ほどの試合の記憶が残っている。
圧倒の後だからこそ分かる。この試合は成立している。
「なら——!」
ユーゴが床を叩いた。
「紫電!」
床石が弾け、雷が地表を這う。
直線ではない。網の目のように広がる導線。
ルシアは跳ばない。
退く方向を選ぶ。
だがその瞬間、ユーゴが踏み込んでいた。
短剣が閃く。光刃が迎撃する。
火花。距離ゼロ。
ユーゴの肩口が裂ける。
ルシアの袖が焦げる。
互いに初めて触れた。
観客席が一斉に息を呑んだ。
ルシアの腕が振られる。
光弾の複数展開。
だが直撃狙いではない。
逃げ道を削る配置。
ユーゴは止まらない。走る。避ける。
しかし攻められない。
それをみて、ルシアが一歩踏み出す。
光翼が大きく広がる。爆発的な加速。
——ここで初めて、ルシアが攻めに転じた。
光刃が横薙ぎに走る。
ユーゴがしゃがみ、すれ違う。
直後、蹴りが入る。
ユーゴの身体が吹き飛ぶ。
床を滑り、止まる。
勝負はこれからと言わんばかりに歓声が上がる。
ユーゴが立ち上がり、息を吐く。
(押されてるな……だが)
ルシアは間合いを詰めない。
追撃しない。
“勝ち急がない”。
「……あの人、急がないな」
シオンの言葉にナギが小さく頷いた。
勝てる形を選んでいる。
力押しではない。
ルシアが腕を高く掲げる。
「これで、終わらせますわ」
光が収束し、闘技場の空気が熱を帯びる。誰が観てもこの一撃で決めに来たと分かる雰囲気。
だが、ユーゴが笑った。
その表情を見て、ルシアの踏み込みがほんの僅かに遅れる。
違和感。
勝負を決めに行った瞬間に見せる顔ではない。
追い詰められた側が浮かべるものでもない。
——狙っている顔だ。
だが、もう止めることはできない。
「『戦乙女の天翼――収束』」
背の光翼が崩れ、光の魔力体へと凝縮される。
周囲の光粒子が吸い込まれ、空気が震える。
逃げ場はない。
面制圧の光。
ユーゴは、動かない。構えもしない。ただ、その場に立ち尽くす。
(……避けるつもりはないと?)
「――『極光砲』!」
閃光がフィールドを塗り潰す。
視界が白に沈む。
観客席の生徒たちが腕で目を覆う。
衝撃が遅れて届いた。
爆風が観客席の制服を揺らし、砂煙が舞い上がる。
直撃。
誰もがそう思った。
だが、シオンだけが目を細める。
「……いや」
白煙の中心。
光の芯が、僅かに“曲がった”。
その瞬間、ルシアの背後で、雷鳴が炸裂した。
「なっ……!?」
振り向くより早い。
衝撃が手首を打ち抜いた。ルシアの体勢が崩れるのに合わせて光も崩れ始める。
維持していた強化術式が、一斉に乱れた。
「っ、屈折……!」
循環が途切れる。重ねた術式の均衡が壊れ、身体の感覚が一瞬遅れる。
その“遅れ”へ、刃が滑り込んだ。
喉元へ迫る切っ先。ルシアは咄嗟に防御を重ねる。
いくつもの防御魔術が展開される。
だが、ユーゴの短剣は止まらない。
「紫電一閃」
刃から走った電流が、光膜を伝う。
防御の魔力を逆流し、術式の制御を揺らす。
「……っ!」
膝が折れる。
立てない。
強化が維持できない。
ルシアは理解した。
(最初から……この瞬間を……)
ユーゴは最初から決めに来ていない。
削っていた。
回避を制限し、選択を誘導し、最大火力を撃たせる位置に立っていた。
そして、撃った瞬間に入る。
光の収束点へ短剣を投げ、雷を落とし、死角へ回り込む。
——選択の誘導。
ユーゴの息が荒い。
「強いよ、君は。さすがは王級。真正面じゃ勝てねぇ」
短剣が、寸前で止まる。
結界が光り、勝負が決した証明をする。
ルシアの身体から力が抜け、地面に手をつく。
「……判断負け、ですわね」
悔しさを滲ませながら、笑う。
「速さも出力も……互角でした。ですが戦い方で負けました。さすがは3年生といったところですわね」
「そりゃどうも」
ユーゴは短剣を下ろし、大きく息を吐く。
観客席は静かだった。
派手な決着ではない。
理解に時間がかかる勝敗。
そして——遅れて、どよめきが広がる。
圧倒ではない。
攻略された勝利。
先ほどの試合とは、別の意味での強さ。
審判が声を上げる。
「勝者、ユーゴ・グレイス!」
歓声が、今度こそ上がった。
恐怖ではない。
興奮のざわめき。
大会の空気が変わる。
ただ踏み潰されるだけの場ではない。
勝負が成立する舞台だと、誰もが理解した。
ユーゴは退場口へ向かいながら、小さく呟く。
「まじ危ねぇ」
その言葉に、今までの緊張がすべて詰め込まれていた。
一方、ルシアは担架を拒み、自力で立ち上がる。
膝は震えているが、それでも顔を上げる。
視線は、次の入場口へ向けられていた。
次の試合。
「これが3年生ですの。私達のエースはどう乗り切るのでしょうか」
観客の期待と不安が、再び混ざり始めていた。




