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試合終了のコールが鳴り響くよりも早く、シオンたちは観客席を飛び出していた。
目指す先は、演習場に併設された医務室だ。
コンクリート打ちっぱなしの無機質な通路を、ナギが先頭を切って走る。
いつもの軽口はない。その背中は、焦燥と不安で小さく強張っていた。
シオンもまた、息を切らせながらその後を追う。
シオンの脳裏に、先ほどの光景が焼き付いていた。
生徒会長、3学年序列1位、ルイ・コフィーン。
彼が軽く手を振っただけで、アリスは地面に叩きつけられた。魔術の撃ち合いなどという次元ではない。あれは一方的な「掃除」だった。
「――ここや!」
ナギが勢いよく扉を開ける。
薬品の匂いが鼻をつく白い部屋。
その一番奥のベッドに、アリスは静かに横たわっていた。
「アリス......!」
ナギが駆け寄る。
アリスの体は、存外無事に見えた。
演習場には高精度のダメージ軽減結界が張られている。肉体的な損傷は、試合終了と同時にほぼ完全に修復される仕組みだ。
だから、見た目はただ眠っているようにしか見えない。
規則正しい寝息も聞こえる。
だが、その「何事もなかったかのような姿」こそが、逆にシオンたちの不安を煽った。
「すでに外傷はありません。バイタルも安定しています。命の心配はないでしょう」
近くに控えていた、治癒師がアリスの現状をシオン達に伝える。
しかし、その表情は晴れない。
「ただ、意識は未だ戻りません。おそらく、精神的なショックが大きすぎて、防衛本能が覚醒を拒絶しているのかと」
「精神的ショック......か」
ナギはアリスの顔を覗き込んだ。
苦悶の表情はない。糸が切れた人形のように、深い昏睡状態にある。
無理もない。
アリスは1年生の中で誰よりもプライドが高く、姉と比べられながらも、フェンリズ家としての誇りを背負い、打倒ルイ・コフィーンを掲げていたのだ。
それが、指先一つで否定された。「戦い」にすらならなかったという事実は、肉体の痛みよりも深く、彼女の心をへし折ったに違いない。
「......エグいことしよるわ、あの生徒会長」
ナギが拳を握りしめ、悔しそうに唇を噛む。
「そうだな。だが、戦いとはそういうものだ」
エルドはナギに同調しながらも冷静に努める。
「実際、加減されていたしな。全力で魔術行使をされていたらいくら結界があったとしてもタダでは済まなかったろうな」
シオンも同意し、重い溜息をついた。
シオンから見ても、ルイの戦いは常軌を逸していた。
圧倒的な力の差を見せつけるためだけの、完璧な制圧。
それでいて、見た目以上に難しい出力のコントロール。学院NO1に相応しい力であることには違いない。
「ディアナ」
『……ほっといても心配いらないと思うわよ?』
シオンは小声でディアナに喋りかける。これに応えるように、シオンの脳内でディアナの声が響き渡る。
「念の為だ。もう一度立ち上がれるかどうかはこいつ次第だが、その手伝いをするくらいはいいだろう」
『お人好しね。あなた、ここ数ヶ月で随分変わったわ。そんなところも大好きよ』
「…………」
ディアナは姿を見せることはなく、アリスの精神に干渉し安定を図る。
「ここにいても、治癒の邪魔になるだけだ。無事なのはわかったから観客席に戻ろう。次はアリアの試合だろう?」
ディアナの干渉が完了すると、シオンは3人に声をかける。
「そうですね。アリアさんにもアリスさんの無事は伝えないといけませんし」
ミナが静かに答える。
「次の第2試合が終われば、すぐに第3試合......アリアさんとクレア先輩の試合が始まりますから。今頃、一人で準備をしているはずです」
「......妹があんな目に遭った直後に試合か。キツイな」
シオンは天井を見上げた。
実の妹が壊された直後に、自分も上級生の3年生と戦わなければならない。そのプレッシャーと精神状態は計り知れない。
だが、ここには来ず、試合の準備をしているということが、アリアの覚悟の表れでもあった。
「......行こう。アリスはここで寝てるしかないし、僕らがついてても目が覚めるわけじゃない」
シオンは努めて冷静に言った。
これ以上、この重苦しい空気に浸っていても気が滅入るだけだ。
「せやな......。アリアちゃんの応援もしなアカンし」
ナギが無理やり自分を奮い立たせるように頬を叩く。
エルドも無言で頷いた。
「ミナ、アリスのこと頼めるか? 何かあったら連絡してくれ」
「はい。私はもう少し様子を確認してから戻ります」
ミナを医務室に残し、シオンたちは再びアリーナへと戻る。
通路を歩く足取りは、来る時よりもさらに重かった。
1年3位のアリス・フェンリズですら、手も足も出なかったという事実。
それが、「選抜戦」という舞台のレベルの高さを、嫌というほど突きつけていた。
(......やっぱり、とんでもない場所だ。一刻も早く負けて、こんな殺伐とした世界から抜け出さないと)
シオンは改めて、明日の敗北を固く決意した。
友人の敵討ちなどという熱い感情は湧かない。ただ、自分もあんな風に心を壊される前に、安全圏へ逃げ込みたい。
会場に戻ると、ちょうど爆音が響き渡るところだった。
重苦しい空気を切り裂くように、次の戦いが大詰めを迎えている。




