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静寂が、痛いほどにフィールドを支配していた。
(......おかしい。なんで攻撃してこないんだ?カウンターでも狙ってるのか?)
シオンは内心で首を傾げていた。
相手は3年生のタルマ・ネウギ。堅実な戦い方をするとは聞いていたが、まさか開始から数十秒経っても一歩も動かないとは予想外だった。
(警戒心が強いのか? それとも、後輩相手に先手を取るのは大人気ないと思っているのか?)
どちらにせよ、このままでは膠着状態だ。
早く負けて帰りたいシオンとしては、きっかけが必要だった。
(仕方ない。こちらから軽く手を出して、反撃を誘うか)
シオンは足元で大人しくしている猫を見下ろした。
ディアナは退屈そうに前足を舐めている。
「......ディアナ」
シオンは唇を動かさず、極小の声で囁く。
「軽く一発、頼む。相手を傷つけない程度の、一番弱いやつだ。挨拶代わりの牽制って感じで」
『注文が多いわね』
ディアナが面倒くさそうに顔を上げた。
その金色の瞳が、スッと細められる。
『一番弱いのでいいのね? 知らないわよ』
ディアナの周囲に漂っていた金色の粒子が、ふわりと舞い上がった。
それはシオンの指先に集まるわけでもなく、ただディアナの目の前に小さく収束していく。
パチ、パチ......。
静電気のような小さな音が鳴る。
収束した光は、小指の先ほどの大きさもない。
以前、ナギを救うために見せた大規模な力とは比べるべくもない、豆電球のような輝き。
(よし、あれなら当たっても「イテッ」で済むな)
シオンは満足し、心の中でゴーサインを出した。
「――行け」
頼りない音と共に、細い金色の光線が放たれた。
それは真っ直ぐに、しかし矢のような鋭さもなく、タルマへと飛んでいく。
シオンにしてみれば、それは「子供の石投げ」程度の攻撃だった。
――だが。
極限まで神経を研ぎ澄ませていたタルマの目には、それは全く別の「絶望」として映っていた。
(......ッ!? こ、これは......!!)
タルマの色彩感知が、警報を通り越して悲鳴を上げた。
視覚的には、細く頼りない光に見える。
だが、その密度が異常だった。
魔力を極限まで圧縮し、無駄な拡散を一切削ぎ落とした「針」。
広範囲を破壊する爆弾ではなく、一点のみを確実に貫くための収束魔砲。
(圧縮率が桁違いだ......! 俺の『多重鉄壁』は面で受ける防御......あんな針のような高密度攻撃を受ければ、紙のように貫通される!!)
タルマの顔色が青に変わる。
発動が速すぎる。
予備動作なし。詠唱なし。
足元の精霊が瞬きをした瞬間には、もう光線が迫っていた。
(防げない。回避も間に合わない。――死ぬ!?)
死のイメージが脳内を駆け巡る。
心臓を、眉間を、正確無比に貫かれる自分。
光線が、目前に迫る。
「......あっ」
シオンが、間の抜けた声を漏らした。
彼としては「あ、ちょっと狙いが逸れたかな?」程度の反応だった。
そして、光の行方を確認しようと、無造作に一歩、前へ踏み出した。
カツン、と靴音が響く。
その音が、タルマの張り詰めた精神を、プツリと切断した。
(追撃――ッ!?)
一発ですら致死性の攻撃。
それを防ぐ術を持たない状況で、あの化け物はさらに距離を詰めてきたのだ。
これ以上は「試合」ではない。「処刑」だ。
本能が、理性を凌駕した。
「ひっ......!!」
タルマが悲鳴を上げ、地面を転がるように横へ飛んだ。
直後――
金色の光線が、タルマの立っていた場所のすぐ横を通り過ぎ、背後の防御障壁に吸い込まれて消えた。
音もなく。爆発もなく。
ただ、障壁の表面に、黒く焦げた小さな穴だけを残して。
(......い、今、障壁が貫通しなかったか......?)
タルマは腰を抜かしたまま、震える目でその痕跡を見る。
観客席からは見えないほどの小さな穴。だが、学院が誇る最高強度の結界に風穴を開けるなど、学生のレベルではない。
やはり、自分の目に狂いはなかった。
あれは、触れてはいけないモノだ。
シオンが、「あれ? 外した?」という顔で、もう一歩近づいてくる。
「こ、こ......」
タルマの口がわななく。
戦意喪失。
これ以上の対峙は、精神の崩壊を意味する。
「こ、降参!! 降参だぁああああ!!」
タルマが両手を上げ、絶叫した。
会場全体が、凍りついたように静まり返る。
「......は?」
シオンが足を止め、ポカンと口を開けた。
「しょ、勝者、シオン!」
審判の声が、どこか戸惑いを含んで響き渡る。
観客たちは顔を見合わせた。
「え? 今なにかした?」
「精霊が光ったように見えたけど......」
「でも、あんな豆粒みたいな魔法だぜ? なんでタルマ先輩があそこまで怯えるんだ?」
「もしかして、見えない精神攻撃とか......?」
憶測が憶測を呼び、会場はざわめきに包まれる。
だが、事実は一つ。
シオンは無傷のまま、3年生の実力者を退けたのだ。
「......なんで?」
シオンだけが、状況を理解できずに立ち尽くしていた。
手加減した。一番弱いのを撃った。
それなのに、相手は死神でも見たかのような顔で逃げ出した。
「......はぁ。最悪だ」
シオンはガックリと肩を落とす。
負けるつもりが、不気味な圧勝をしてしまった。これでは「無名の1年生」という隠れ蓑が剥がれてしまう。
無欲の勝利。
だがそれは、Fグループにおけるシオンの評価を、「得体の知れない強者」へと決定づける一戦となったのだった。
次に試合を控える1学年序列8位のエドは、審判の声を聞いてにこりと笑う。
「すごいね、シオンくん。先輩相手に勝っちゃった」




