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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第1章

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7



 朝の空気は軽かった。

 ……軽いのは空気だけで、シオンの胃はまったく軽くないのだけれど。


 ディアナはまだ喋っている。「今日も何か起こるわよ」とか「アナタはトラブルの磁石よ」とか、相変わらず不吉な未来を勝手に断言してくる。


 シオンはそれを無視して廊下を歩いた。

 誰にも見つからず、誰の印象にも残らず、ひっそりと座学教室へたどり着けるならそれでいい。


 そう思って曲がり角を抜けようとした、その瞬間だった。


『来たわよ』


「来たって何が……?」


『“風”』


 シオンが「頼むから通り過ぎてくれ」と願う間もなく、その人物は目の前に現れた。


「ーーなんやキミ!」


 第一声が、物理的な衝撃を伴ってぶつかってきた。

 声が大きい。明るい。押しが強い。

 そして距離感が決定的にバグっている。


 黄緑の髪をふわっと揺らし、パッと花火のように笑う少女。

 肩には小さな風精霊がちょこんと座り、主のテンションに合わせてくるくると回っている。


(……あ、これ一番ダメなタイプだ)


 シオンの直感がけたたましく警鐘を鳴らした。

 静寂を愛し、平穏を望む彼にとって、この手合いは天敵である。


「なんやキミ。ひとりで歩いとって、めちゃくちゃ寂しそうやん。……おねーさんが、友達なったろか?」


 少女はぐいっと顔を近づけてくる。

 まつ毛の本数が数えられそうな距離だ。


(……お姉さん? 同級生だろ?)


 シオンが困惑して呟くと、彼女は胸を張った。


「細かいことはええねん! 自己紹介するで!

 ウチ、ナギ! 風精霊と一緒に世界かけ回るのが夢やねん!」


 精霊が「ぴゅるるっ」と可愛い音で鳴く。

 嵐のような自己紹介だ。悪意はないようだが、圧が強い。癖も強い。


 シオンはどうやって穏便に立ち去るかを高速で計算し始めたが、ナギの次の言葉がそれを無慈悲に打ち砕いた。


「なぁ……キミ、昨日の検査の時……おった?」


 心臓が跳ねた。

 今、もっとも聞かれたくない質問ランキング不動の1位。


「……いや、その……」


 シオンの目が泳ぐ。

『言い訳考えた?』とディアナが意地悪く聞いてくるが、返す余裕もない。


 あの“記録不能爆破事件”の犯人だとバレれば、平穏な学園生活は終了だ。「弁償」と「説教」と「注目」のトリプルコンボが待っている。

 僕の平穏が死ぬ。


 しかしナギは、シオンの反応などお構いなしに目を輝かせた。


「あっ! もしかして、空白になってた“あれ”がキミちゃう!?」


 ばちーーん! と指をさされる。

 シオンは冷や汗を流しながら、必死に首を振った。


(終わった……!)


 いや、まだだ。否定しなければ――。


「……ち、違う、と思うよ? 多分」


 自分でも弱いと思う否定だった。

 だが、ナギの反応は予想外のものだった。


「ふーん……ま、ええわ!」


 彼女はあっさりと興味を失ったように手を振ったのだ。


(……え、いいの?)


 拍子抜けするシオンの前で、ナギはニカっと笑う。切り替えが早い。早すぎる。


「キミ、誰とも話してへんやろ?

 ウチが友達なったる。ほら、うるさいやつが近くにおったら目立たんやろ?」


(いや絶対目立つんだけど!?)


 シオンは心の中で叫んだ。

 だが、彼女の笑顔には一点の曇りもない。純粋な人助けのつもりなのだ。


『諦めたほうがいいわよ。あの子、アナタみたいな“静かな子”を放っとけないタイプだわ』


(いや、放っといてほしいんだけど!?)


 ディアナが楽しげに囁く。

 シオンもまた、それを否定できなかった。

 風のように近づき、勝手に懐に入ってくる。その強引さが、不思議と不快ではない。


「で、キミ、名前なんなん?」


 ど直球だ。逃げ道はない。

 ……まあ、名前くらいはいいか。


「……シオン」


「シオン! ええ名前やん!

 ほな今日からウチとシオンは友達や!」


 決定事項のように宣言され、シオンは曖昧に頷くしかなかった。心の準備も何もない。


「シオン、掲示板見に行ったん? 順位とか気にならへん?」


「……まあ、それなりには」


(気にならないどころか、自分の名前が消えてる異常事態なんだけど)


 そんな内心を隠していると、ナギは不思議そうに首を傾げて言った。


「ほんまに空白やなぁ……なんでなんやろな?」


「……さぁ。よく分からないけど」


 下手に答えて墓穴を掘りたくない。シオンが黙り込んでいると、ナギはポンと手を叩いた。


「名前長すぎて入らんかったとか!?」


「……ぶっ」


 シオンは思わず吹き出しそうになった。

 周囲があれだけ「不気味だ」「怪物がいる」と噂している空白を、「名前が長すぎた」と解釈する。

 その発想の自由さが、今のシオンには救いだった。


『扱いが雑なほうが楽でしょ?』

(確かに今は助かってる……)


「……そうかもね。そうだといいな」


「せやろ! 絶対そうや!」


 ナギは満足げに頷くと、手をパッと上げた。


「じゃ! シオン! また会おな!」


「……うん。また。ははっ」


 軽すぎる別れの言葉。

 だけど、不思議と“また会う”ことが確定している気がした。


 ナギは風のように去っていった。

 黄緑の髪が廊下を駆けるように遠ざかり、そのまま角で消える。

 嵐が過ぎ去った後のような静寂が戻ってくる。


 だが、シオンの胸中には、先ほどまでとは違う温かいものが残っていた。


『あの子、良い子だったわね。アナタは苦手でしょうけど』


「……ああ。苦手なタイプだけど、悪い気はしなかった」


『ふふっ。案外、シオンも悪くない表情してるわよ』


「気のせいだ」


『気のせいじゃないわ』


(……気のせい、だと思いたい)


 シオンは自覚が芽生える前に話を打ち切るように、掲示板に背を向けた。

 人が増え始めている。

 シオンは人混みが苦手だ。


 だから寮へ戻るか、中庭の静かなほうへ逃げるか——少し迷ってから、中庭へ向かった。

 ここなら精霊も人も少ない。


『ねぇシオン。予言しておくわ』


「またか」


『あの子、また来るわよ。間違いなく』


「なんで断言するんだよ」


『あれは“風”の性質よ。気になったらまた吹いてくる。……残念ながら、アナタの平穏はもう揺らいでいるわね』


「……縁起でもないこと言うな」


 シオンは空を見上げた。

 小さな風が、校舎の旗を揺らしている。

 凪のような風だと思ったが――。


 静かに暮らしたい。

 その願いとは裏腹に、運命の歯車は――主に、備品破壊と風の少女によって――回り始めていた。


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