65
戦いが終わった。
そして、その場所に残された爪痕はあまりにも深かった。
天井を失った廃工場には、月明かりが冷たく降り注いでいる。瓦礫の山と化したかつての実験場には、硝煙とオゾン、そして血の匂いが混じり合った独特の異臭が漂っていた。
「ひ、ひぃぃ……! た、助けてください……!」
静寂の中、情けない悲鳴だけが響く。
先程まで狂気的な笑みを浮かべていたゾルタンは、今や見る影もなく怯えきっていた。
彼は埃まみれの地面に額を擦り付け、這いつくばっている。その視線の先には、死神のような目でゾルタンを見つめるシャルロッテが立っていた。
「金ならあります!研究費に充てていたものがかなり余ってます!全部です!全部差し上げましょう!研究データもです!原相方舟に関することだって話せます!だから、だから命だけは……ッ!」
唾を飛ばしながら命乞いをするその姿は、あまりにも醜悪だった。
他者の命を「素材」と呼び、弄び、壊してきた男が、いざ自分の番になればこの体たらくである。
「……五月蝿いのう」
シャルロッテは、ゴミを見るような、あるいは道端の石ころを見るような無関心な瞳で見下ろした。
「お主が弄んだ精霊たちも、実験台にされた人々も、最期はそう叫んでおったかもしれんのう。……だが、お主は耳を貸さなんだろう?」
「あ、あぁ……そ、それは……研究のためで……悪意があったわけでは……」
「黙りなさい」
ティコが刀の切先をゾルタンの喉元に突きつける。
肌を裂くような殺気に、ゾルタンは「ヒッ」と喉を鳴らして硬直した。
「言い訳など聞いておらぬ。なにより、貴様が自分から何か情報を話す必要などない。そもそも貴様が話すことなど信用できぬしな。洗脳系の魔法で後からいくらでも拾えるわ」
「な、何をする気です……?」
「黙りなさいと言っているでしょう?」
ティコの指先から、バチバチと青白い電流が走る。
それは攻撃魔法ではない。神経系に直接干渉し、記憶領域を強制的にスキャンする精神感応系の雷魔術。
当然、対象者の脳には焼きごてを当てられるような激痛が走る。
「ギャアアアアアアアアアッ!?」
ゾルタンが白目を剥き、激しく痙攣する。
口から泡を吹き、手足がバタつくが、ティコは表情一つ変えずに作業を続けた。
「……汚らわしい記憶ですね。欲望と、自己顕示欲と、サディズムの掃き溜め……。吐き気がします」
数秒後、ティコはパッと手を離した。
ゾルタンはドサリと地面に倒れ込み、ピクピクと痙攣しながら失神した。
ティコはハンカチで念入りに手を拭きながら、シャルロッテとベルクに向き直った。
「有益な情報が見つかりました」
「ほう?」
「他国にあるアジトの情報。それも、ナギ・ハイデンシュロームを誘拐したとされる男の情報です」
ティコの言葉に、ベルクが息を呑んで一歩前へ出る。
「……ハイデンシュロームですか?」
「ええ、被害者はあなたの兄君だけではないと、お会いした時伝えていた通りです。今回情報を得たその男が、今回の件もハイデンシュロームの件も全て関わっている可能性が高い」
「ティコ。それ以上はよい」
「……そうですね。失礼致しました」
その国名に、ベルクは衝撃を受けた。
ハイデンシュローム王国といえば、アーデルハイト公国の同盟国であり、つい最近まで後継者争いが行われていたとされている。
「……と言うことは、ハイデンシュロームの第二王子が狙われた?」
「…………」
ティコはそれ以上答えなかった。だが、シャルロッテが口添えする。
「死にかけさせてしもうた詫びじゃ。最後にそのくらいは話してもよいじゃろう。アーデルハイトの皇女よ、他言無用じゃ。頼むぞ」
その言葉にベルクは無言で頷く。
「わかりました。……狙われたのは第二王子ではありません。ハイデンシュロームの『第二王子派閥』。……王位継承権を持つ弟とその母親が、現第一王位継承者である姉――ナギ王女を失脚させるために『原相方舟』と手を組んだようです」
「そんな……」
ベルクは絶句した。
王族が、私欲のために国を売り、他国の組織を引き入れたというのか。
ナギ王女とは昔ながらに面識がある。聡明で心優しい彼女を陥れるために、これほどの悲劇が引き起こされたという事実に、目眩を覚える。
「なるほどのう……エリナが言っておったわ。なぜナギ・ハイデンシュロームが学院内で身分を隠しているにも関わらずあれほど周到に狙われたのか、謎が解けたのじゃ」
「それは、学院内にスパイが入り込んでいることを意味します。実際ロイ殿下、ライゼル殿下が狙われたのですから当たり前ではありますが、早急に対処しなければなりません。私はすぐに戻ってエリナ先輩に報告してきます」
そういうとティコは足早にその場から姿を消す。
「ティコのスピードには妾でも敵わんな」
シャルロッテは心底つまらなそうに吐き捨て、気絶したゾルタンの脇腹を爪先で軽く蹴った。
「権力争いに組織を利用するとは、浅はかな。……で、こやつはどうする?情報は抜いたのじゃから、ここでミンチにしてやってもよいが」
「いえ。……その男は、私に預けていただけますか」
ベルクが進み出る。
ドレスは汚れ、涙の跡も乾いていない。だが、その瞳に宿る光は、かつての守られるだけの少女のものではなかった。
「この男は、兄様を殺し、公国に仇なした大罪人です。ここで楽に死なせるわけにはいきません」
ベルクは冷徹な眼差しで、動かなくなったゾルタンを見下ろした。
「公国の法の下、洗いざらい全てを吐かせた上で……彼が犯した罪の重さを、その身に刻み込ませてから裁きます」
それは、単なる処刑よりも重い、「公国の闇」による断罪を意味していた。
拷問に近い尋問、そして公開処刑。
王族としての責務と、兄への供養を、彼女自身の決断で行うという宣言だった。
シャルロッテは口元を歪め、ニヤリと笑った。
「よかろう。好きにせよ」
「感謝申し上げます」
ベルクは深く頭を下げた。
これが、彼女の戦いの終わりであり、新たな戦いの始まりだった。




