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理性を剥ぎ取られた咆哮が、廃工場の屋根を吹き飛ばした。
風帝・ガルガンチュアが吼えれば、不可視の風刃が嵐となって吹き荒れる。
雷帝・ヴォルティノーグが腕を振り下ろせば、紫電が床を走り、触れるものすべてを炭化させる。
かつて、学院の生徒と契約を結び、これから更なる成長を遂げていくはずだった二体の精霊。
本来は上級精霊の上位個体であった彼らが、今は無理やり「王級並」の出力を絞り出され、その負荷に魂を軋ませながら暴れまわっている。
その光景は、まさに天災だった。
「ひ、姫様……ッ!」
瀕死のゲイルが、薄れゆく意識の中でベルクを庇おうと動く。
だが、ベルクはその場から動けなかった。
目の前で暴れ狂うのが、兄の、そして兄の親友の精霊だという事実に、心が追いつかない。
「見てごらんなさい!これこそが私の傑作!本来なら廃棄処分されるはずだった精霊たちを、私の研究で『一時的に』に『王級』にまで昇華させたのです!」
ゾルタンが狂喜乱舞し、指揮棒のように腕を振るう。
「さあ、見せてごらんなさい!リミッターを外した君たちの本当の力を!」
命令と共に、ヴォルティノーグの背中から機械的なスパークが迸る。
限界を超えた魔力放出。
紫電の槍が無数に形成され、ティコへと殺到した。
「……ッ!」
ティコは表情を険しくし、精霊真装に届くともされる精霊装具化による身体強化を展開し、全てを交わす。
バチバチバチッ!!
コンマ数秒前までティコがいた場所には雷撃が殺到し、凄まじい閃光が走る。
「くっ……! なんてデタラメな出力ですか……!」
交わしたはずのティコの足が、衝撃で数センチ後ろへ滑る。
魔力操作の技術ならティコが圧倒的に上だ。だが、相手は自らの肉体が崩壊することすら厭わない、垂れ流しの暴力。
計算された術式を、質量だけで押し潰そうとする奔流だった。
一方、シャルロッテもまた、暴風の中にいた。
ガルガンチュアの放つ風は、ただの空気の流れではない。空間そのものを切り刻むような真空の刃だ。
シャルロッテはこちらも精霊装具化した、鎌を振るい、迫り来る風刃を弾き飛ばすがその数はあまりに多い。
「チッ……! 芸のない攻撃じゃが、重いのう!」
シャルロッテが舌打ちをする。
一撃一撃が、先ほどのギガスよりも重い。
生命力を削りながら放つ特攻攻撃は、確実にシャルロッテの余裕を削ぎ落としていた。
「先程までの威勢はどうしましたか!口ほどにもないですねぇ!所詮は人間、暴走した精霊の前では無力ですか!」
ゾルタンが高笑いする。
ベルクは、その光景に絶望していた。
あの強かったシャルロッテたちが、押されている。
兄の精霊が、彼女たちを殺そうとしている。
「やめて……もうやめてよ……! ガルガンチュア!私よ! 分からないの!?」
ベルクの叫びも、暴風にかき消される。
精霊たちの瞳には、知性の光はない。ただ、ゾルタンの命令に従って敵を殲滅する機能しか残されていないのだ。
「前に出ると危ないですよ、ベルク様」
ティコが雷撃を捌きながら、冷静に、しかし切迫した声で告げる。
「彼らはもう、声を聞く耳を持っていません。……核に刻まれた呪印が、彼らの思考を完全に支配しています」
「そんな……じゃあ、どうすれば……」
「方法は一つ。……彼らを縛る『鎖』だけを断ち切る」
「ですが……」と、ティコがその瞳が、少し俯いたように見えた。
「彼らが元に戻ることはないと思われます。完全に倒し切るか、鎖を断ち切るか。どちらであっても彼らに自由はもう残されていないでしょう」
「そんな……」
絶望するベルクを尻目に、ティコはシャルロッテに応援を求める。
「シャルロッテさん! 時間を!」
「簡単に言うてくれるわ! この暴れ馬二頭を同時に抑えろじゃと!?」
シャルロッテは悪態をつきながらも、その真紅の瞳を燃え上がらせた。
やるしかない。
真正面から力でねじ伏せつづければ、いつかはこちらが砕け散る。
「ええい、面倒じゃ! わらわの本気、少しだけ見せてやるわ!」
シャルロッテが鎌を捨て、両手を広げた。
膨大な魔力が噴き出す。それは周囲の瓦礫を浮き上がらせるほどの重圧。
「漆黒羅檻!!」
地面から漆黒の鎖が無数に伸び、二体の精霊に絡みつく。
ガルガンチュアが暴れ、ヴォルティノーグが雷を放つが、闇の鎖はそれを喰らい、締め上げていく。
精霊たちが声にならない、苦悶の声を上げる。
凄まじい抵抗。シャルロッテの額に汗が滲む。
「ぐ、ぬ……ッ! 早くせぬかティコ! こやつら、魂ごと燃え尽きる気じゃぞ!」
限界を超えた出力に、精霊たちの肉体に亀裂が入り始めていた。
このままでは、呪縛が解ける前に彼らが自壊してしまう。
「捉えました……!」
そう言うと、ティコは精霊装具化により形作った刀を構える。
暴れ回る精霊の魔力流動、その深奥にある、ドス黒い異物。
ゾルタンが刻み込んだ、強制命令の術式。
「煌剣流第三撃【愚雷怒】」
ティコの刀から、針のように細く、しかし絶対的な貫通力を持った雷撃が放たれた。
それは避雷針のような軌道を描き、ガルガンチュアとヴォルティノーグの眉間へと吸い込まれる。
バチュンと肉を焼く音ではなく、もっと硬質なガラスが割れるような音が二つ、重なって響いた。
精霊たちの動きが止まる。
シャルロッテの鎖が解け、二体の巨体が崩れ落ちるように膝をついた。
全身を覆っていた禍々しい瘴気が霧散し、機械的なスパークが止む。
その瞳から、狂気の赤色が消え――本来の、透き通るような理性の光が戻った。
「ば、馬鹿な……! 私の術式が……ピンポイントで破壊されるなど!?」
ゾルタンが目を見開き、後ずさる。
鎖を断ち切ることには成功した。
だが、代償は大きかった。
無謀な狂化と、限界を超えた戦闘。彼らの霊核は、既に修復不可能なほどにひび割れていた。
「……あ……」
ベルクが息を呑む。
土煙が晴れる中、風帝ガルガンチュアが、ゆっくりと首を巡らせた。
その視線が、ベルクを捉える。
もはや現界する力は残っていない。光の粒子となって崩れ始めている。
それでも、風の賢狼はベルクの前に這うようにして近づき、そっとその巨大な前足を差し出した。
ふわり、と。
優しい風が、ベルクの頬を伝う涙を拭う。
それは、幼い頃に怪我をしたベルクを慰めてくれた、あの懐かしい風だった。
「……兄様を、守れなかったと……謝っているの?」
ベルクの問いに、ガルガンチュアは悲しげに目を細め、そして何かを託すように深く頷いた。
声なき声が、風に乗って届く。
「……うん……うんっ……!分かったわ……!ありがとう、ガルガンチュア……!」
ベルクは泣きじゃくりながら、消えゆく賢狼の前足に自身の額を押し当てた。
一方、雷帝ヴォルティノーグは、静かに虚空を見上げていた。
その体は、ガルガンチュアよりも激しく崩壊が進んでいる。雷の性質ゆえか、激しい戦闘の反動か。
だが、その瞳に後悔の色はなかった。
見ているのは、ここではない何処か。
あの時屠ることができなかったあの『金の粒子を纏う黒猫』
『……すまぬな』
ヴォルティノーグの思念が、微かに響いた。
それは周囲の空気を震わせ、誰あろうティコの耳にも届いた。
『……また会おうと誓ったが、どうやら約束は果たせそうにない』
それは、誰に届くとも知れぬ謝罪。
だが、その顔は晴れやかだった。
最期の瞬間に、汚らわしい呪縛から解き放たれ、誇り高き雷帝として散れることへの安堵。
ヴォルティノーグは、ティコに一瞥をくれた。
介錯への感謝と、自身の力を破った自分以上の雷の使い手への敬意を込めて。
そして。
二つの偉大な魂は、眩い光となって弾けた。
サラサラと、光の粒子が天井のない廃工場から空へと昇っていく。
アーデルハイト公国の夜空へ、彼らは還っていった。
後には、静寂と――腰を抜かした一人の男だけが残された。
「あ、あぁ……嘘です……私の……コレクションが……」
ゾルタンは震える手で空を掴もうとし、へたり込んだ。
理解できなかった。
自身の完璧な術式が破られたことが。
コツ、コツ、コツ……。
絶望する彼の耳に、死神の足音が近づいてくる。
シャルロッテだ。
彼女は肩で息をしながらも、その瞳には凍てつくような殺意を宿していた。
「……疲れたのう。1ヶ月ぶりに骨が折れたわ。あの時は妾がやった訳じゃないがの」
シャルロッテは首をコキリと鳴らし、へたり込むゾルタンを見下ろした。
その視線は、ゴミを見るよりも冷たい。
「他者の誇りを踏みにじり、魂を冒涜した罪。……万死に値するぞ」
「ひ、ひぃッ……! ま、待て! 私は組織の命令で……!」
「言い訳は不要じゃ。……さて、ティコよ」
シャルロッテが背後の相棒に声をかける。
「お主も、だいぶ腹が立っておるじゃろう?」
「ええ。……虫酸が走りますね」
ティコもまた、氷のような表情でゾルタンを見据えていた。
「借り物の力は無くなったようじゃな? ……次はお主自身の力で踊ってみせよ、三流」




