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ドアベルの音が、張り詰めた店内の空気を切り裂く。
古びて煤けた内装の店内に、場違いな二つの足音が響く。
一人は、豪奢な外套で身を包んでいても隠しきれない気品を持つ少女。
もう一人は、その少女を背に庇うように立つ、屈強な剣士。
店内に残っていた数少ない客たちは、彼らの姿を見た瞬間に顔を伏せ、あるいは勘定を置いて逃げるように裏口から出て行った。
本能が告げているのだ。
これからここで始まるのは、酔っ払いの喧嘩などではない。もっと致命的な何かだと。
「……お待たせしたかしら」
ベルクは、逃げ惑う客たちには目もくれず、店の最奥へと進んだ。
その視線の先には、テーブルに頬杖をつき、退屈そうに酒瓶を傾ける幼い少女がいる。
「よいよい。役者が揃わねば芝居も始まらぬ。……座れ」
シャルロッテが顎で対面の椅子をしゃくる。
だが、ゲイルは動かなかった。その手は剣の柄にかかり、殺気を隠そうともしない。
「……座る前に、確認させてもらう。貴様らが昨夜、私の部下を襲った二人組か」
「襲った? 人聞きが悪いな。じゃれついたのはそっちの犬じゃろうに」
シャルロッテはケラケラと笑い、隣のティコを見る。
ティコは眼鏡の位置を直し、淡々と答えた。
「正当防衛です。彼がいきなり剣を抜いてきたので、少し抵抗しただけですよ。……五体満足で帰したのですから問題はないでしょう」
「貴様ッ……!」
ゲイルの殺気が膨れ上がる。
だが、ベルクがその腕に手を添えて制した。
「やめて、ゲイル。喧嘩をしに来たわけじゃないわ」
「しかし、姫様!」
「座りましょう。……話はそれからよ」
ベルクは毅然とした態度で告げ、シャルロッテの正面に腰を下ろした。
仕方なく、ゲイルもその隣に立つ。座るつもりはないらしい。いつでも主君を連れて逃げ出せるよう、筋肉がバネのように張り詰めている。
「……まあよいわ。……して、単刀直入に聞くが」
シャルロッテは酒瓶を置き、その真紅の瞳でベルクを見据えた。
「お主、本当に覚悟があるのか?」
ベルクの肩がピクリと跳ねる。
テーブルの下で、ドレスの生地を握りしめる手に力が入った。
「勿体ぶらないで。そのためにここへ来たのよ」
「よかろう。……奴らの名は『原相方舟』」
「原相……方舟?」
聞き慣れない単語に、ベルクは眉をひそめる。
隣のティコが補足するように口を開いた。
「大陸全土で暗躍する組織です。精霊に関する禁忌の研究を行っています。表に出てくるような組織ではないらしいのですが……」
「どうやら、狙いは貴族……いや王族の精霊使いといったところかの。今のところは中級か上級の精霊使いに用があるようじゃな」
ベルクの脳裏に、兄の顔が浮かぶ。
「……証拠は?」
「証拠?そんなもの、あるわけなかろう」
シャルロッテは鼻で笑った。
「ですが……」
ティコが代わって、一拍あける。
「ロイ殿下以外にも被害者はいます。私達で把握しているだけで殿下含め3人。いずれも王族。亡くなられたのは殿下だけですが、把握している方の1人は再起不能かと。もっと被害者がいる可能性もあります」
それは半分真実で、半分は誘導だった。
ナギ・ハイデンシュロームやライゼル・ヴォルトレイグの件は決して嘘ではない。だが、それ以上の被害者がいるかはわからない。
しかし、ベルクを動かすには十分な餌だ。
「……つまり、兄様は王族かつ精霊使いだから狙われたと?」
「そういうことじゃ。そして、次はお主の可能性だって考えられようぞ。ベルク・アーデルハイト」
シャルロッテが指先を突きつける。
「兄と同じ血を引き、同じく精霊使いである皇女。再現性を求めるならば、奴らにとってこれほど極上の『実験材料』はおらぬ」
「なっ……!?」
ゲイルが色めき立つ。
「姫様が狙われているだと!? 馬鹿な、そんな情報、諜報部からは上がっていない!」
「諜報部? 奴らがそんなものに引っかかるものか。それにこれは推測じゃ。狙われたのが王族かつ上級、中級の精霊使い。お主もそれに含まれるであろう?と話をしておる」
シャルロッテの言葉は堂々としすぎていて、ベルクやゲイルにとって偽りを感じることができない。
ベルクは息を呑んだ。恐怖がないと言えば嘘になる。だが、それ以上に湧き上がってきたのは、好機だという直感だった。
「……なるほどね。状況は分かったわ」
ベルクは震える声を抑え込み、シャルロッテを見返す。
「それで? 貴女たちは私に何を求めているの? まさか、親切心で忠告しに来たわけじゃないでしょう」
「さすがじゃの。話が早くて助かるわい」
シャルロッテは愉しげに目を細めた。
獲物は罠にかかった。あとは、引くだけだ。
「我々の目的もまた、原相方舟の壊滅じゃ。奴らには少々、借りがあってな」
「利害が一致している、と言いたいのね」
「左様。そこで提案じゃ。……手を貸せ。妾たち2人では絶対的な数が足りん。その代わりお主らには妾たちの力を貸すとしよう」
シャルロッテはテーブルの上に身を乗り出した。
「我々には力がある。奴らを鏖にできるだけの力がな。じゃが、奴らの居場所が分からん。ネズミのように隠れるのが上手くてのう」
「……」
「一方、お主には数を動かす力、そして奴らが欲しがる『血』がある。……どうじゃ? お主が我々に協力するならば、兄の仇討ち、手伝ってやらんでもないぞ」
それは、実質的な「囮になれ」という要求だった。
だが、シャルロッテはそれを巧みに「協力」という言葉で包み込んだ。
ゲイルはその危険な匂いを敏感に感じ取ったようだ。
「断る!得体の分からぬ連中と手を組むなど……それに、姫様を危険に晒すような真似ができるか!」
「ゲイル、黙って」
「しかし!」
「……できるのね?」
ベルクはゲイルを制し、真っ直ぐにシャルロッテを見た。
その瞳に、迷いはない。
「奴らを見つけ出し、兄様の無念を晴らすことが……本当にできるのね?」
「約束しよう。妾の目の前に奴らが現れれば、骨も残さず押し潰してやるとしよう」
シャルロッテの言葉には、絶対強者特有の傲慢さと、それに見合うだけの説得力があった。
ベルクは深呼吸を一つし、決断を下す。
「いいわ。乗りましょう」
「姫様ッ!!」
「ゲイル。これは私の戦いよ。城で震えて待っているくらいなら、私は自ら戦場へ出る」
ベルクはテーブルに身を乗り出し、シャルロッテに手を差し出した。
「アーデルハイト公国皇女、ベルク・アーデルハイトよ。……貴女たちの力を、買わせてもらうわ」
シャルロッテはその小さな手を見つめ、口元を三日月のように歪めた。
悪魔的な笑み。
だが、ベルクは目を逸らさない。
「よき覚悟じゃ。……契約成立じゃな」
シャルロッテはその手を握り返さず、代わりに自身の鎌を軽く撫でた。
「では、早速仕事といこうか。……お主には少々、派手に動いてもらう必要があるからの」
「ええ。望むところよ」
ベルクは知らなかった。
自分が握ったその手が、救いの手なのか、それとも地獄への招待状なのかを。
ただ確かなのは、公国の皇女が今、修羅の道へと足を踏み入れたという事実だけだった。




