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翌朝。
まだ夜明け前の薄暗い中、ナギ、シオン、アリア、アリスの4人はミナモに連れられ、里のさらに奥へと足を踏み入れていた。
道中はずっと、湿った風が吹き抜ける狭い洞窟だった。
明かりもなく、ただミナモの背中を追って進むこと数十分。
「……着いたで」
先頭を歩くミナモが立ち止まり、目の前の闇を扇子で払うような仕草を見せた。
すると、出口から強烈な光が差し込み、ナギたちの視界を一気に白く染め上げる。
「うわっ……」
思わず目を細め、やがて視界が慣れてきた頃――ナギは息を呑んだ。
そこは、巨大な岩山の内部をくり抜いたような空間だった。
頭上遥か高くにある天井は崩れ落ちており、そこから朝の光が神々しいカーテンのように降り注いでいる。
苔むした石柱。崩れかけたアーチ状の回廊。
長い年月の中で風化し、自然と一体化した古代の遺跡。
そして何より特筆すべきは、「風」だ。
天井の穴から吹き込む風が、複雑な回廊を巡ることで増幅され、まるでパイプオルガンのように荘厳な音色を奏でている。
「ここは『風鳴りの回廊』。この霊峰で一番、風の精霊に近い場所や」
ミナモが回廊の中心にある、一段高くなった祭壇へと歩を進める。
そこには、風化した石畳の上に古い魔法陣が刻まれていた。
「ナギ、そこに立て」
「はい」
ナギが祭壇に立つと、足元の魔法陣が淡く緑色に発光し始めた。
緊張に心臓が早鐘を打つ。
アリアとアリス、そしてシオンは、祭壇の下で見守る位置につく。
「ええか、ナギ。今からお前の魔力回路を強制的に開いて、奥に眠るピュールに呼びかける。相当な負荷がかかるはずや」
「覚悟の上です」
「よし。……ほな、始めるで」
ミナモが扇子を広げ、舞うように空気を撹拌する。
ゴオオオオオオッ!!
回廊を吹き抜ける風が、一点――ナギの胸元へと収束し始めた。
凄まじい風圧。だが、不思議と痛みはない。
ナギは目を閉じ、意識を自身の内側、深く深くへと潜らせていく。
……暗い、水の底のような場所。
ナギの意識は、心の最深部にある「扉」の前へとたどり着いた。
誘拐されたあの日以来、ずっと閉ざされていた扉。
ナギはずっと、この扉に何者かが鍵をかけたのだと思っていた。
(……ピュール!)
ナギは必死に扉を押し開けようとする。
だが、開かない。
鍵がかかっているのではない。
向こう側から、誰かが必死に押さえているのだ。
(ピュール、なんで……!?)
呼びかけると、扉越しに痛いほどの感情が流れ込んできた。
――拒絶。
――恐怖。
――そして、深い深い愛情。
『開けないで』と、相棒が叫んでいる気がした。
自分が外に出れば、ナギを傷つけてしまう。
自分の中に埋め込まれた「悪いモノ」が、ナギを壊してしまう。
だからピュールは、その身一つで内側から扉を押さえ込み、呪いを封じ込めていたのだ。
(そんな……私のために、ずっと一人で……!)
ナギの目から涙が溢れる。
だが、その感情の高ぶりが引き金となった。
◆
「あかん!」
ミナモの鋭い声が響く。
「ナギ、意識を保て! 何か変なモンが出てくるぞ!」
ドクンッ!!
ナギの胸から、どす黒い霧が噴き出した。
それはピュールの意思を無視して溢れ出した、実験の後遺症。
『原相方舟』の実験による負の遺産。
黒い霧は瞬く間に質量を持ち、幾何学模様の鎖が絡み合ったような、不気味な泥の巨人へと変貌する。
巨人は咆哮もなく、ただ無機質な殺意を持って、目の前の宿主を飲み込もうと腕を振り上げた。
「くっ、パスが繋がったままで動けん! 誰かナギを守れぇ!」
ミナモが叫ぶ。彼女はナギとピュールの精神的な繋がりを維持するだけで手一杯だ。今、術を解けばナギの精神が砕けてしまう。
「させません!セレスティア!」
誰よりも早く反応したのは、アリアだった。
彼女は自身の相棒に声をかけ、素早くナギと怪物の間に割って入った。
「水龍の障壁!」
ザバァァァァァッ!!
虚空から激流が出現し、トグロを巻く龍となってナギを包み込む。
泥の巨人の拳が障壁に激突するが、水龍は揺らぎもしない。
アリアの得意とする、鉄壁の防御魔法。
「アリス、今のうちに!」
「分かってる! 焼き尽くせ!」
アリスが跳躍し、真紅の長槍を振りかぶる。
穂先に宿るのは、すべてを灰にする極大の劫火。
「業火滅槍!!」
ドォォォォォォン!!
槍の一撃が巨人の肩口を抉り、紅蓮の炎が黒い泥を蒸発させていく。
だが。
「……うそ、再生してる!?」
アリスが驚愕に目を見開く。
焼き払ったはずの腕が、黒い霧を集めて瞬時に再生したのだ。
それどころか、巨人はアリスの炎を喰らい、さらに巨大化していく。
「物理的な攻撃も、魔力による攻撃も吸収するつもりですか……っ!」
アリアが歯噛みする。
巨人が再び腕を振り下ろす。今度は質量が違う。
ズガンッ!!
激しい衝撃音と共に、水龍の障壁にピキリと亀裂が入った。
「ぐぅっ……!」
「アリア!」
「いけません……このままでは、ジリ貧です……!」
敵は、ナギの内側から湧き出る「呪い」そのもの。
倒そうにも、ナギとパスが繋がっている以上、強力な攻撃はナギ自身をも傷つけかねない。
手詰まりだ。
巨人が、三度目の拳を振り上げる。
障壁の限界は近い。
(もう、これまでですか……っ!)
アリアが覚悟を決めた、その時。
「――下がっていろ」
静かな、場違いなほど落ち着いた声が響いた。
アリアとアリスの間を抜け、一人の少年が悠然と歩み出る。
「シオン、さん……?」
アリアが呆然と呟く。
彼は武器を持っていない。構えすらとっていない。
ただ、その肩に乗った黒猫だけが、金色の瞳で巨人を退屈そうに見上げていた。
「少しは手ごたえがありそうだな。……ディアナ」
シオンが短く名を呼ぶ。
『派手に戦ったら汚れそうよ。終わったら綺麗にして頂戴ね』
黒猫がシオンの肩から飛び降りると、遺跡の空気が凍りついた。




