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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
序章

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5


 昨日の訓練場で起きた出来事が、まだ胸の奥に残っている。


 数字が貼り出されただけで、学院の空気はこんなにも変わるのかと思った。

 視線が鋭くなり、足音が神経質になり、精霊たちでさえ落ち着かない。


 その空気の中で、いちばん静かだったのは――

 挑発された当の本人、エルド・ハリオン君だった。


 挑んできた上位生の声は大きく、精霊は火花を散らし、

 結界が反応するほど空気が熱を帯びていったのに。


 エルド君は動じなかった。


(……強い、ってこういうことなのかな)


 エルド君が言った「――」という短い言葉。

 意味は分からなかった。だけど、挑発していた相手の顔色が

 一瞬で変わったことだけは、はっきり覚えている。


 エルド君が見ていたのは、相手じゃなかった。

 もっと遠く、もっと上――

 王級契約者の三人を見据えるような目。


 決して届かない壁ではなく、

 「いつか手を伸ばす場所」を見ているような、そんな眼差しだった。


(……私も、強くなりたい)


 数字を上げたいというよりは、

 あの場に立っていた“選ばれる空気”に、もう一度触れたい。


 そんなことを思いながら、私は教室へ入った。



 教室の中は、妙な緊張感に包まれていた。

 みんな自分の席に座っているけれど、視線だけがある一点を避けている。


 窓際、一番後ろの席。

 そこだけがぽっかりと空いていた。


「……あそこ、例の9位の席だよね」

「誰も座らないのか?」

「座れるわけないだろ、あんな事件起こしたやつの席なんて……」


 ひそひそ声が聞こえる。

 誰も近づこうとしないその机は、まるでそこだけ世界から切り離されているようだった。


 ふと、その机の上に影が見えた気がした。

 小さくて、しなやかな黒い影。

 猫……?


 パチッ、と瞬きをした瞬間、影は消えていた。

 ただの木漏れ日の悪戯だったのかもしれない。


「……?」


 首を傾げていると、ちょうど前の扉からエルド君が入ってきた。


「よ。……昨日は騒がしかったな」


「あ、うん……大丈夫だった?」


「別に。ああいう奴、どこにでもいるしな」


 本人は本当に気にしていない様子だった。

 でも雷精霊は肩の上でピリッと光り、

 風精霊は彼の腕元に寄り添うように揺れている。


 精霊の方が正直だ。


「エルド君って、落ち着いてるよね」


「落ち着いているわけじゃねぇよ。ただ、無駄なことしないだけだ。」


「……かっこいいと思うよ?」


「かっこよくねぇ」


 即答されたけれど、その口調はどこか照れているように聞こえた。



 一限目の実技授業。

 昨日の余波なのか、訓練場の空気は少し張りつめていた。


「今日は二人組で連携だ。隣同士で組め」


 自然とエルド君とペアになる。


「……よろしくね」


「おう」


 それだけで少し安心した。



 最初は全然うまくいかなかった。


 私の蔦の伸びるタイミングと、

 エルド君の風の誘導が噛み合わなくて、

 私の精霊が戸惑って葉を震わせる。


「ご、ごめんね……!」


「いや、俺が強めに出してるな。……ほら、合わせるぞ」


 エルド君は手を軽く払って風精霊と呼吸を合わせる。

 その仕草がなんだか好きだ。


 再挑戦。


 風が流れ、蔦が導かれ、雷が軌跡を走る。


 パシィンッ


「……できた!」


「おー、悪くねぇじゃん」


 エルド君の風精霊が嬉しそうに揺れ、

 雷精霊がちいさな火花を跳ねさせた。


 成功が嬉しくて、会話も自然と増えていく。


「昨日、ほんとにすごかったよ」


「すごくねぇ。やり合っても意味ねぇし」


「意味……?」


「上見ろよ。王級の三人とか、どう考えても化け物だろ」


「……たしかに」


「そこを意識せずに吠えてる時点で、勝負にならねぇよ」


 エルド君は数字ではなく、実力を見ているのだと分かった。


(……やっぱりすごいな)


 そう思うと胸が少し熱くなった。



 最後の課題。二人同時攻撃。


「息合わせるぞ」


「うん!」


 蔦が伸び、風が導き、雷が貫く。


 ドンッ


 的が大きく揺れ、生徒たちがざわめいた。


「……やったぁ!」


「ふっ。まあ、悪くねぇな」


 照れ隠しみたいに目を逸らすエルド君。

 雷精霊は嬉しそうに跳ねていた。


(……かわいい)


 思わず笑みがこぼれた。



 訓練場の出口で、私は少しだけ勇気を出す。


「あ、あのねエルド君……

 もし、よかったら……また一緒に練習できたらなって……」


「まあ、いいけど」


「ほ、ほんと!?」


「『ミナ』とはやりやすいしな。雷と風だけじゃ足りないとこ、補えるし」


「……ありがとう」


 その言葉が嬉しくて、

 私の精霊がポンっと葉を弾いた。



 教室へ戻ると、ひそひそ声が耳に入る。


「9位のやつ、結局来なかったな」

「やっぱり謹慎か?」

「いや、俺聞いたぜ。昨日のボヤ騒ぎ、あいつが検査機に触れた瞬間、中から爆発したらしい……」

「なんだよそれ……」


 噂は尾ひれをつけ、得体の知れない恐怖へと変わっていく。


 エルド君は無表情で聞き流していた。


「……気になる?」


「別に。来られねぇなら来られないでいいだろ。

 名前もないんじゃ、誰なのかもわかんないしな」


 その言葉は淡々としているのに、

 どこか含みがあるように聞こえた。


(……エルド君は、何か感じてるのかな)


 けれど私にはまだ、その理由は分からない。


 

 ただ――


 教室の隅、ぽっかりと空いたままの席だけが、

 静かに私たちを見ている気がした。



 数字が揺れ、誇りが燃え、

 誰かの未来が静かに形を変え始めている。


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