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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第4章

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 休憩を終え、一行は再び歩き出した。

 だが、進めば進むほどに霧は濃度を増し、乳白色の闇となって視界を遮り始める。

 イオリの結界が放つ淡い光だけが、唯一の道標だった。


「……変やな」


 ナギが手元の石を見つめ、呟く。

 青白い輝きは増しているものの、その明滅は不規則で、まるで呼吸が乱れているかのようだった。


「光り方が、乱れてる。点滅してるみたいや」


「シンシア、周囲の反応は?」


 アリアが鋭く問う。


「そ、それが……!」


 シンシアが青ざめた顔で声を震わせる。

 常に小刻みに動いていた彼女の耳が、今は硬直していた。


「わかりません……! さっきまでクリアだったのに、急にノイズが走って……前後左右、全部真っ白です!」


「なんですって?」


「アリス様、下がってください!」


 イオリが警告を発した瞬間、キィィンという不快な高音が響き渡った。

 空間そのものが軋むような音。

 足元を支えていたはずの魔術的な平面が、ぐにゃりと歪む。


「ッ、結界が――!」


 イオリの悲鳴ごとき声は、瞬く間に白い奔流にかき消された。

 足元の感覚が消失する。

 上下左右すら曖昧になる浮遊感。


「ナギ、離れるな!」


 シオンが即座に手を伸ばす。

 だが、その指先が触れるよりも早く、世界は白一色に塗りつぶされた。


 

 ◆



 三半規管を直接揺さぶられるような、強烈な吐き気。

 天地が逆転する浮遊感を経て、唐突に重力が戻ってくる。


「……ッ」


 アリアは優雅さを保ちつつも、片膝をつく形で着地した。

 肺に満ちる空気は冷たく、湿り気を帯びている。


 視界が晴れると、そこは針葉樹が立ち並ぶ深い森の中だった。

 漂う霧は相変わらず濃いが、先ほどのような平衡感覚を狂わせる濃密な魔力は薄れている。


「アリア様、ご無事ですか」


 冷静な声が、背後から響く。

 アリアが振り返ると、眼鏡の位置を直しながら周囲を警戒するイオリの姿があった。

 その表情は平然としているが、呼吸がわずかに乱れている。


「ええ、なんとか。……どうやら飛ばされてしまったようですね」


 アリアは短く溜息をつき、スカートについた砂を払って立ち上がる。

 最悪の事態だ。

 周囲に他のメンバーの気配はない。


「イオリ、他のみんなは?」


「……反応なし、です。私の結界のマーキングも遮断されています。おそらく、この霧が魔力を阻害しているのかと」


「そうですか……」


 アリアの表情が曇る。

 アリスやシオンの実力は信頼している。だが、ナギは違う。

 彼女はまだ怪我の療養中であり、精霊の声も聞こえていない。そんな状態で、この得体の知れない森に放り出されたとしたら――。


「……申し訳ありません」


 不意に、イオリが悔しげに唇を噛んだ。


「私がついていながら、アリス様を見失うなど……従者失格です」


 彼女にとって、アリスは絶対の主だ。その守護を全うできなかった事実は、冷静な彼女の心を揺さぶるには十分だった。


「自分を責めるのは後になさい。今は合流が最優先です」


 アリアは諭すように言う。


「あの子のことです。きっと今頃、能天気に騒いでいるか、あるいは――」


 アリアは言葉を切り、冷ややかな視線を霧の奥へと向けた。


「――襲ってきた相手を、返り討ちにしようとしている頃でしょう」


 フゴォォ……ッ。


 アリアの言葉に呼応するように、霧の奥から荒い鼻息が漏れた。


 ズズッ、と地面を踏みしめる音。

 現れたのは、巨大なワイルドボアだった。

 だが、ただの魔獣ではない。全身に青白い霧が纏わりつき、輪郭が揺らいでいる。

 その瞳は赤く充血し、異常な興奮状態にあることが見て取れた。


「先ほどシンシアが探知した群れでしょう。ですが、様子がおかしいですね」


「実体が霧と同化しかけています」


 イオリが数枚の呪符を取り出し、指に挟む。


「物理干渉をすり抜ける可能性があります。アリア様の氷魔術で足止めを」


「ええ。ですが――足止め程度で済ませるつもりはありませんよ」


 アリアが片手を上げる。

 その周囲の大気中の水分が、異常な速度で収束していく。

 ピキピキと空間が凍てつく音が響き、頭上に巨大な水塊が形成された。


「ナギさんの元へ急ぎたいのです。……最大火力で道を開きます」


 アリアの瞳が、サファイアのように青く輝く。

 イオリは一瞬目を見開き、すぐに口元を緩めて眼鏡を押し上げた。


「……承知いたしました。では、魔力回路を全開に」


「援護します。身体強化ブースト・魔力収束」


 イオリがアリアの背に手を触れる。

 淡い光がアリアを包み込み、ただでさえ強大な魔力が、爆発的に膨れ上がる。


 霧を纏ったボアたちが、本能的な恐怖を感じて一斉に地面を蹴った。

 だが、もう遅い。


『穿て、紺碧の顎』


 アリアが詠唱する。

 それは、以前シオンとの模擬戦で使用し、精霊ディアナによって“何事もなかったかのように”防がれた大魔術。

 だが、それがどれほど異常なことだったのか、この森の魔獣たちは身を持って知ることになる。


蒼牙水龍サファイア・ファング・レヴィアタン!!』


 アリアが腕を振り下ろす。


 瞬間、頭上の水塊が龍の形を成して咆哮した。

 高密度の水流が、全てを噛み砕く巨大な顎となって襲いかかる。


 ゴォォォォォォォォッ!!


 轟音と共に、森の一部が消し飛んだ。

 突進していたボアたちは、霧の防御ごと水圧でねじ切られ、断末魔を上げる暇もなく消滅する。

 地面は抉れ、木々はなぎ倒され、後には更地となった一直線の道だけが残されていた。


 圧倒的な破壊力。

 これこそが、学院の1学年序列一位、アリア・フェンリズの実力だ。


「……ふぅ」


 アリアが乱れた前髪を払いながら息を吐く。

 周囲に敵の気配は微塵も残っていない。


「お見事です、アリア様。相変わらず、素晴らしい威力で」


「イオリの支援があったおかげですよ。……さぁ、行きますよ」


 アリアは抉れた大地を一瞥もせず、歩き出す。

 その背中は、頼もしく、そして少しだけ急いているようだった。


「待っていてください、ナギさん、アリス。今すぐ迎えに行きますから」

 

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