44
霧の霊峰を目指す一行は、朝から登山を開始していた。
道こそあるが普段は使われていないことが簡単にわかるくらいには荒れた道だった。
「そう言えば、具体的な場所はわかっているのか?」
「……わからへん」
「じゃあどうやって向かえばいいんだ?」
「これがある」
シオンの問いかけにナギはカバンから小さな石のようなものを取り出した。
その石は青白い微細な光を放っていた。
「なんだそれ」
「昔、師匠に貰ったんよ。霊峰を守る結界に入るための魔道具。結界に近づくほど光が強くなるんやって」
「時間かかりそうだなぁ」
「体力がないんだな、シオンは」
シオンとナギの会話にアリスも混ざってくる。
アリアはナギが取り出した石を見つめ、少し考えるような仕草を見せる。
「その石が光る仕組み、恐らく魔力濃度に反応して指向性を持たせているのでしょうね」
アリアは石から視線を外し、鬱蒼と茂る森の奥を見据えた。
「なら、わざわざこの曲がりくねった獣道に従う必要はありません」
「……どういう意味だ?」
嫌な予感がしたシオンが尋ねる。
アリアは涼しい顔で、とんでもないことを口にした。
「直進しましょう。石の光が最も強くなる方向へ、最短距離で突き進みます」
「本気か? 道がない場所を行くんだぞ。足場も悪いし、野生の魔獣との遭遇率も上がる。リスクが高すぎる」
シオンが至極真っ当な指摘をする。
この山はただでさえ険しい。整備された道を外れるのは、遭難しに行くようなものだ。
「問題ありません。そのために彼女たちがいますから」
アリアが指を鳴らすと、後ろに控えていたイオリが一歩前に出た。
「私の結界術で足場を形成し、道なき道を作ります。地形ごとならしますので、歩きやすさは今の比ではありません」
「索敵は私が担当しますぅ……! 半径一キロ圏内なら、蟲一匹見逃しませんから……!」
シンシアもフルフルと首を縦に振る。
つまり、土木工事とレーダーを完備した状態で突っ切るというわけだ。
「……なるほど。確かにそれなら早そうだ」
シオンは空を見上げた。
このままダラダラと獣道を歩けば、到着は夜になるかもしれない。それどころか野宿の可能性すらある。
それに比べて、アリアの提案は魔力消費こそ激しそうだが、時間効率は段違いだ。
(……楽な方でいいか)
シオンの判断基準は、いつだってシンプルだ。
「採用。頼めるか、二人とも」
「お任せください」
「は、はいぃ……!」
こうして、簡易的な作戦会議を終えた六人は早速移動を開始する。
先頭を行くのはイオリだ。
魔術を発動したイオリの手から淡い青色の光が地面を覆っていく。ゴツゴツとした岩場や、絡みつく木の根が、見えない膜によって平坦にならされていくのだ。
「……見事だな。燃費は悪そうだが」
最後尾を歩くシオンが、感心したように呟く。
ただ平らにしているだけではない。歩行者が滑らないように適度な摩擦を残しつつ、最小限の魔力で結界を維持している。
序列70位という数字以上の技量を感じさせた。
「……恐縮です」
地獄耳なのか、前を行くイオリが眼鏡の位置を直しながら答える。
「アリス様の足元を支えるのが私の役目ですので。これくらいは造作もありません」
「へぇー! イオリすごーい! 滑り台とか作れたりしない?」
「アリス様、今は遊んでいる場合ではありません。……ですが、帰りは検討します」
「やった!」
クールな対応の中に、主への甘さを滲ませるイオリ。
一方、シンシアは常に周囲をキョロキョロと見回し、小動物のように耳を澄ませている。
「あ、あのっ! 右前方、300メートル先にワイルドボアの群れがいますっ。……左に迂回すれば、気づかれずに進めますぅ」
「了解しました。進路修正します」
シンシアの怯えた報告を、イオリが即座に実行に移す。
完璧な連携だ。
これなら、確かにシオンが出る幕はないかもしれない。
(アリアが連れてきた理由が分かるな。……これなら僕は、荷物持ちに専念できそうだ)
シオンは内心で安堵しつつ、少しだけ軽くなった足取りで山道を進んでいった。
◆
太陽が真上に昇る頃。
一行は、少し開けた場所で休憩を取ることにした。
「ふーっ! 疲れたー! お腹すいたー!」
アリスが倒木の上に座り込み、足をぶらぶらさせる。
先頭をきって歩いていたわけでもないのに、一番エネルギーを使っているのは間違いなく彼女だ。
「はい、アリス様。サンドイッチとお茶です」
「ありがとイオリ! 生き返る~!」
イオリが手際よく広げたランチバスケットに、アリスが飛びつく。
アリアやシオンたちにも軽食が配られた。
「……ん、美味い」
シオンはハムとチーズのサンドイッチを頬張りながら、周囲の気配を探った。
だいぶ登ってきた。空気は薄く、肌寒さを感じる。
「光、強なってきたわ」
ナギが手元の石を見つめながら言う。
青白い光は、朝よりも明らかに輝きを増していた。
「もうすぐなんやと思う。この光の感じやと、あと少しで結界の境目や」
「ペースは順調ですね」
アリアが紅茶を啜りながら同意する。
そして、ふと思い出したように尋ねた。
「そういえばナギさん。その『お師匠様』というのは、どのような方なのですか?」
「え?」
ナギの手が止まる。
サンドイッチを持つ手が、微かに震えたように見えた。
「師匠、か……。一言で言えば……『台風』みたいな人やな」
「台風?」
「うん。気まぐれで、理不尽で、でも絶対的なんや。機嫌損ねたら山ごと吹き飛ばされる勢いで怒られるし……正直、魔獣より怖い」
ナギが遠い目をする。
その言葉に、アリスが興味津々といった様子で食いついた。
「へぇー! 強そうな人だね! アタシ気が合いそうかも!」
「……アリス、やめとき。師匠の前で『強そう』なんて言ったら、死ぬほどしごかれるで」
「えっ、怖っ」
ナギの真剣な忠告に、アリスが少しだけ引く。
どうやら、ただの優しいお婆ちゃんというわけではないらしい。
「シンシア、周囲の状況は?」
アリアが話題を切り替え、侍女に問う。
「は、はいっ。今のところ大型の魔獣の反応はありません。ただ……」
シンシアが少し不安げに森の奥を見る。
「少し、静かすぎる気がしますぅ……。鳥や虫の声が、急になくなったような……」
「……」
シオンもサンドイッチを飲み込み、目を細めた。
確かに、静かだ。
風の音以外、何も聞こえない。
あまりにも順調すぎる道中。
だが、シオンの中にある微かな警鐘だけは、鳴り止んでいなかった。
(……嵐の前の静けさ、か)
最後の一口を飲み込み、シオンは立ち上がった。
「早めに出よう。長居は無用だ」
「そうですね。行きましょう」
石の明かりが増すのと対照的に、霧は濃くなっていく。
それは、明るい兆しだけではないことを示唆しているようだった。




