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「アリア様。まもなく目的地の最寄りとなる街に到着いたします」
「分かりました。ありがとう、イオリ」
「いえ。予定ではこの街より先は馬車を降りて移動とのことでしたが、予定通りでよろしいでしょうか?」
「そうですね。予定通りいきましょう。ただ、まもなく日も暮れます。本日は一泊して、英気を養いましょう」
「かしこまりました」
馬車を操縦するイオリがアリアへ声をかける。
朝から一日中移動して、あたりは日も暮れ始めている。
「みなさん、まもなく本日の目的地に到着するようです。本日は宿で一泊してから、翌朝、予定通り徒歩での移動に切り替えます」
アリアの言葉に、車内で一番大きな反応を示したのはアリスだった。
「やったー! やっと着く! お尻痛いしお腹空いたし、限界だったよー!」
アリスが大きく伸びをする。
王級精霊使いといえど、長時間の馬車移動による退屈には勝てないらしい。
「アリス、はしたないですよ」
「だってぇ……シオンだって疲れた顔してるじゃん」
「……否定はしない」
話を振られたシオンは、やれやれと肩を回した。
肉体的な疲労はない。だが、この狭い空間でアリスのハイテンションに付き合い続けるのは、ある意味で魔獣との戦闘以上に精神力を削られる。
「ウチは結構快適やったけどな。こんなフカフカの席、座ったことないわ」
ナギが座席をポンポンと叩く。
フェンリズ家の馬車は、振動吸収の術式が組み込まれている特注品だ。本来なら揺れなど感じないはずだが、アリスの落ち着きのなさが空気を揺らしていたのかもしれない。
やがて、馬車の速度が緩み、石畳を踏む音が変わり始めた。
窓の外には、温かなランプの灯りが並ぶ街並みが見える。
国境付近の宿場町。帝国の文化と公国の文化が混ざり合う、独特の雰囲気を持つ街だ。
「宿は手配済みです。この街で一番料理が美味しいと評判の場所を押さえました」
「さすがアリア! 仕事が早い!」
「当然です。ナギさんの静養も兼ねているのですから、妥協はしません」
アリアが胸を張る。
到着した宿は、シオンの想像していた「宿場町の宿」とは一線を画していた。
石造りの重厚な外観に、手入れの行き届いた庭園。
入り口には制服を着た案内役が待機している。
「……なぁ、ここって学生が泊まるような場所か?」
馬車を降りたシオンが、思わずアリアに尋ねる。
「そうですか? 地域の視察も兼ねているので、セキュリティのしっかりした場所を選んだつもりですが」
「……住んでいる世界の違いを見せつけられた気分だ」
シオンはため息をつき、ナギと顔を見合わせた。
ナギも苦笑いで肩をすくめている。
◆
受付を済ませ、部屋に荷物を置いた一行は、さっそく食堂へと集まった。
テーブルに並ぶのは、この地方特産の川魚を使ったムニエルや、山の幸をふんだんに使った煮込み料理。
湯気と共に立ち上る香ばしい匂いが、空腹を刺激する。
「いっただっきまーす!」
アリスが元気よくナイフとフォークを動かす。
「んんーっ! 美味しい! これ何? お魚?」
「清流魚の香草焼きですね。骨まで柔らかくなるよう、圧力調理されています」
給仕役として控えているシンシアが、おどおどしながらも解説を入れる。
「シンシアもイオリも、座って食べなよ。今日は無礼講だって!」
「い、いえっ! 滅相もありません……! 私たちは後でいただきますので……!」
アリスの誘いに、シンシアが小動物のように首を振る。
一方のイオリは、壁際で無表情のまま周囲を警戒していた。ドライな性格の彼女にとって、食事中こそが最も警戒すべき時間なのだろう。
「……美味しいな」
シオンも一口食べ、素直な感想を漏らす。
素材の味を活かした素朴な味付けが、体に染み渡るようだ。
「せやな。……なんか、久しぶりにちゃんとご飯食べた気がするわ」
ナギが、噛みしめるように呟く。
その言葉に、食卓の空気が少しだけ柔らかくなった。
ここ数日、病院食ばかりだったこともあるが、何より「精神的な余裕」が味覚に戻ってきた証拠だ。
「たくさん食べてくださいね。明日からは山道です。体力勝負になりますから」
アリアが自分の皿から、肉料理をナギの皿に取り分ける。
「ちょ、アリア! そんな食べられへんて!」
「ダメです。ナギさんは少し痩せすぎました。戻る頃には健康的になってもらいます」
「うぅ……飼育係やん……」
文句を言いながらも、ナギの表情は明るい。
アリスが笑い、アリアが微笑み、シオンが静かにそれを見守る。
嵐の前の静けさだと分かっていても、この温かい時間は、今の彼らにとって必要なものだった。
◆
食後、シオンは一人で宿のテラスに出ていた。
夜風が火照った体を冷やしてくれる。
空には満天の星。
学院のある都市部では見られない、圧倒的な光量だ。
「……綺麗な星やな」
背後から声がかかる。
振り返らなくても分かった。
「まだ寝ないのか、ナギ」
「お腹いっぱいで逆に寝られへんわ。アリアのやつ、デザートまで追加しよるんやもん」
ナギが隣に来て、手すりに寄りかかる。
夜風に銀髪が揺れる。
「……明日は……いよいよやな」
「ああ」
「正直、ちょっと怖い」
ナギは隠さずに言った。
「思い出したくないこと、いっぱいある場所やし。ピュールが戻らんかったらどうしようって不安もある」
シオンは、星を見上げたまま答える。
「逃げたいか?」
「……ううん」
ナギは首を横に振った。
「逃げへん。一人やったら逃げてたかもしれんけど、今はみんながおる」
ナギはシオンの方を向き、悪戯っぽく笑った。
「それに、最強の用心棒もついてるしな?」
「……買い被りすぎだよ」
「頼りにしてるで」
ナギはそう言って、大きく伸びをした。
「さて、そろそろ寝るわ。おやすみ、シオン」
「ああ、おやすみ」
パタパタと軽い足音を残して、ナギが部屋へと戻っていく。
一人残されたシオンは、再び夜空を見上げた。
その視線の先。
星空の下に、黒く切り立った巨大な影が見える。
霧の霊峰。
明日、彼らが踏み入る場所。
「……何が起きても、守るさ」
誰に聞かせるわけでもなく呟く。
夜風が、答えを返すように木々を揺らした。
旅の休息は終わり次の舞台へ、風が道を示しているようだった。




