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足音が、廊下に響く。
普段なら気にも留めないはずの音が、今のナギには一つ一つ耳に残った。
規則的で、迷いのない足音。
その音が、病室の前で止まる。
コン、コン。
短く、ノックの音がした。
「……どうぞ」
ナギが答えると、扉が開く。
白い病室に、一人の少年が入ってきた。
黒髪に、いつも通りの無愛想な表情。
ナギは、目を見開き――
すぐに、視線を逸らした。
「……遅いで」
責める声音ではなかった。
むしろ、安堵と少しの拗ねた響きが混じった一言。
シオンは何も言わずにナギの元へ近寄る。
「調子はどうだ?」
「シオンが思ってるほどは悪くないで」
「ならよかった」
会話が続かない。
沈黙が、病室に落ちる。
気まずさというより、互いに踏み込む場所を測っているような間だった。
シオンは、ナギの隣ではなく、少し離れた椅子に腰を下ろした。
「……エルドから聞いたで。少し学院から離れてたみたいやな」
「まぁね」
シオンはそれ以上何も言わなかった。
ナギも理由を聞かない。あえて踏み込まなかった。
「……君の精霊について、聞きたいことがある」
シオンが切り出した。
「ピュールのこと?」
ナギは少し前のめりになりながら聞き返す。
「そうだ。悪いことではないから安心していい。僕の精霊が聞きたがっていてね。少し話を聞いてもらってもいいか?」
「……シオンの精霊」
その瞬間、ナギはあの日のことを思い返す。
謎の組織による暗躍。精霊の暴走。
そして、それらを鎮めた圧倒的な存在を。
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫だよ。ほら」
険しい顔をするナギに対して、シオンは軽く手をかざす。
指先から光が零れ落ちる。
すると、金色の粒子を纏った猫がナギの目の前に現れた。
「滅多なことじゃあの姿にはならないさ。だから安心していい。その代わり、この件は他言無用で頼む」
コクコクコクと、ナギは無言で首を縦に振る。
シオンから安心していいとは言われているものの、その表情は緊張したままだった。
『ご機嫌よう。ナギさんでいいかしら? 私はディアナ。お互い知らない仲ではないから、挨拶は省かせていただくわね』
「……よろしく、お願いします」
ナギはぎこちなく返す。
ディアナは小さく目を細めた。猫の姿をしているにもかかわらず、その仕草はどこか気品がある。
『いつもの調子で構わないわ。貴方はシオンの大切な友人だもの。少し確認したいことがあるだけよ』
「確認……?」
ナギは指先を落ち着かないように組み直した。
シオンがその様子に気づき、少しだけ声を低くする。
「知っていることだけでいい。思い出したくないことまで、無理に話す必要はない」
「……大丈夫や。なんでも話せるで」
ナギは、ゆっくりと視線をディアナへ向けた。
『ありがとう。では単刀直入に聞くわ。
あなたが“風精霊”と出会ったのは――どこ?』
ナギの呼吸が、一拍だけ止まる。
シオンはその変化を見逃さなかった。
「……やっぱり、関係あるんだな」
『ええ。精霊を“完全に戻す”には、力でも治癒でも届かない領域がある。契約を結んだ場所、心を繋いだ瞬間――そこに踏み込まない限り、あの子は帰れないわ』
ディアナの声は、柔らかいが揺るがない。
ナギは、ベッドのシーツをぎゅっと握りしめた。
「……あそこはな」
言葉が震える。
「……ウチには、もう戻れない場所や」
その言葉に、シオンは視線を落とす。
「けど……ウチにとって、一番最初に“家”って思えた場所でもある」
ナギは唇を噛んだ。
『あなたが行きたくないなら、行かなくてもいいのよ。場所さえ教えてくれればいい。でも――』
ディアナが、シオンを一度見上げ、それからナギへ視線を戻す。
『あなたが“もう一度ピュールに会いたい”と思うのなら、避けては通れないわ』
ナギは小さく息を吸い込み――吐き出した。
「……そっか」
「ナギ?」
「なんとなく、こうなることは分かってた気がする。ずっと前から」
ナギは顔を上げる。
瞳の揺れが、少しずつ覚悟へと変わっていく。
「ウチにも分からへん。でも、ピュールが大変なことになってることも……そして、こうやってシオンたちが助けてくれることも」
ナギの目が潤む。
けれど、それは涙として零れ落ちることはなかった。
「……ウチ」
小さな声。
「ピュールに、ちゃんと会いたい」
シオンは、ゆっくりと頷いた。
「それでいい」
それ以上は言わない。
背中も押さない。
ただ、同じ場所に立つ。
『……決まったようね』
ディアナの声が、少しだけ和らぐ。
金色の粒子が、ふわりと舞った。
『なら、次は――』
不意に、ディアナが病室の扉の方へ鋭い視線を向けた。
シオンとナギも、釣られて同じ方向を向く。
『外で聞き耳を立てている、“悪い子たち”にも話を聞かなくちゃね』
その言葉と同時に、
ガチャリ、と扉が開いた。




