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足音がやけに響く。
普段なら気にも留めないはずの音が、今は一つ一つ耳に残る。
シオンは、扉の前で立ち止まった。
短く息を吐き、ノックをする。
返事は、すぐに返ってきた。
「……どうぞ」
扉を開ける。
白い病室。
柔らかな光。
ベッドに腰掛けている、見慣れた背中。
ナギは、シオンに気づくと一瞬だけ目を見開き――
すぐに、視線を逸らした。
「……遅いで」
責める声音ではなかった。
むしろ、確かめるような、静かな一言。
シオンは何も言わずにナギの元へ近寄る。
「調子はどうだ?」
「シオンが思ってるほどは悪くないで。」
「ならよかった。」
会話が続かない。
沈黙が、病室に落ちる。
気まずさというより、互いに踏み込む場所を測っているような間だった。
シオンは、ナギの隣ではなく、少し離れた椅子に腰を下ろした。
距離を取ったのは、無意識だった。
ナギは、それに気づいたが、何も言わない。
「……エルドから聞いたで。少し学院から離れてたみたいやな。」
「まぁね。」
シオンはそれ以上何も言わなかった。
ナギも理由を聞かない。あえて踏み込まなかった。
「君の精霊について聞きたいことがある。」
「ピュールのこと?」
ナギは少し前のめりになりながら聞き返す。
「そうだ。悪いことではないから安心していい。僕の精霊が聞きたがっていてね。少し話を聞いてもらってもいいか?」
「……シオンの精霊。」
その瞬間でナギはあの日のことを思い返す。
謎の組織による暗躍。
精霊の暴走。
そして、それらを鎮めた圧倒的な存在を。
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫だよ。ほら。」
険しい顔をするナギに対して、シオンは軽く手をかざす。
すると、金色の粒子を纏った猫がナギの目の前に現れた。
「滅多なことじゃあの姿にはならないさ。だから安心していい。その代わりあの件は伏せといてもらえると助かる。」
コクコクコクとナギは無言で首を縦に振る。
シオンから安心していいとは言われているものの、その表情は緊張のままだった。
『ご機嫌よう。ナギさんでいいかしら?私はディアナ。お互い知らない中ではないから挨拶は省かせていただくわね。』
「……よろしく、お願いします。」
ナギはぎこちなく返す。
ディアナは小さく目を細めた。猫の姿をしているにもかかわらず、その仕草はどこか気品がある。
『いつもの調子で構わないわ。貴方はシオンの大切な友人だもの。少し確認したいことがあるだけ。』
「確認……?」
ナギは指先を落ち着かないように組み直した。
シオンがその様子に気づき、少しだけ声を低くする。
「知っていることだけでいい。思い出したくないことまで無理に話す必要はない。」
「……大丈夫や。なんでも話せるで。」
ナギは、ゆっくりと視線をディアナへ向けた。
『ありがとう。では単刀直入に聞くわ。あなたが“風精霊”と出会ったのは――どこ?』
ナギの呼吸が、一拍だけ止まる。
シオンはその変化を見逃さなかった。
「……やっぱり関係あるんだな。」
『ええ。精霊を“完全に戻す”には、力でも治癒でも届かない領域がある。契約を結んだ場所、心を繋いだ瞬間――そこに踏み込まない限り、子は帰れないわ。』
ディアナの声は、柔らかいが揺るがない。
ナギは、ベッドの端をぎゅっと握りしめた。
「……あそこはな」
言葉が震える。
「……うちにはもう戻れない場所や。」
その言葉に、シオンは視線を落とす。
「けど……うちにとって、一番最初に“家”って思えた場所でもある」
ナギは唇を噛んだ。
『あなたが行きたくないなら、行かなくてもいいのよ。どこかさえ教えてくれればいい。でも――』
ディアナが、シオンを一度見上げ、それからナギへ視線を戻す。
『あなたが“もう一度ピュールに会いたい”と思うのなら、避けては通れないわ。』
ナギは小さく息を吸い込み――吐き出した。
「……そっか。」
「ナギ?」
「なんとなくこうなることはわかってた気がする。それもずっと前から。」
「どういうことだ?」
「うちにもわからへん。でも、ピュールが大変なことになってることも。そして、こうやってシオン達が助けてくれることも。」
ナギの目が揺れる。
息を呑む音すら、部屋に響くほど静かだった。
――戸惑いと、少しの安堵。
その両方が混ざった表情だった。
『アナタが精霊を思う気持ちを忘れなければ、精霊は必ず応えるわ。安心しなさい。』
ディアナが尻尾を揺らす。
ナギは、ぎゅっと目を閉じた。
胸の奥で、何かが軋む。
怖い。
逃げたい。
それでも――
「……うち。」
小さな声。
「ピュールに、ちゃんと会いたい。」
シオンは、ゆっくりと頷いた。
「それでいい。」
それ以上は言わない。
背中も押さない。
ただ、同じ場所に立つ。
『……決まったようね』
ディアナの声が、少しだけ柔らぐ。
『なら、次は――』
ディアナが扉の方向に目を向ける。
シオンとナギもつられて同じ方向を向いた。
『外で聞き耳を立てている、悪い子にも話を聞かなくちゃね。』




