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――特S区の奥は、異様なほど静かだった。
戦争跡地の最奥であるため、岩は砕け、地面は抉れている。
だが、それだけだ。
あまりにも“何もない”。
「ここらで間違いないか」
「ここが……?」
エリナはしゃがみ込み、極薄い魔力の痕跡を地面から辿る。
「そうだ。かなり荒れているが、最近のものではない。何より、魔力の残滓が綺麗すぎる。逆に目立つな」
「敵組織のアジトだったということですね」
ティコが反応する。
シャルロッテが、少し離れた岩壁を見て声を上げた。
「……ほれ。こっちじゃ」
二人が近づくと、そこには半ば崩れた地下構造が露出していた。
遺跡というには新しい。
施設というには簡素。
だが、明らかに“人の手”による補強が入っている。
「……これ、学院の様式じゃないですよね?」
「違う」
エリナは即答した。
「王国の研究所でもない。精霊庁のものでもない」
内部に足を踏み入れた瞬間、ティコは小さく息を呑んだ。
「……何も、ない」
装置は破壊されている。
資料も、魔石も、記録媒体の欠片さえ存在しない。
まるで――
最初から何もなかったかのように、徹底的に“掃除”されている。
「徹底しているな」
シャルロッテが、指先で壁をなぞりながら低く呟く。
「痕跡は残すが、証拠は残さぬ。
妾の知る限り……この陰湿なやり口は一つしかない」
エリナは、壁面に刻まれた微細な術式の焼け跡を見つめていた。
ほとんど消えかけている。
だが、構文の癖が――熟練者にははっきりと読み取れた。
「……やはり、か」
静かに、名を口にする。
「【原相方舟】」
ティコの背筋が、ぞくりと震えた。
「それ……先輩が言ってた……」
「ああ」
エリナは立ち上がる。
「噂や仮説の段階じゃない。
ここは、間違いなく“あいつらの実験場跡”だ」
「……何者なんですか?」
ティコの問いに、すぐには答えなかった。
エリナは、一度だけ重く息を吐く。
「とんでもないやつらさ、昔から。その目的は一貫している。そして――先日の【ナギ・ハイデンシュローム】の一件とも、辻褄が合う」
「ハイデンシュロームじゃと?」
シャルロッテがぴくりと眉を動かす。
その反応を見て、シオンの脳裏に、あの時のナギの悲痛な声がよぎった。
『白衣着た男や……全部知っとった……名前も、家も……!』
――精霊の暴走。
――王級に近い出力への強制進化。
シオンの中で、断片的な事実が一本の線に繋がる。
「……奴らに、ナギが狙われたということか」
「そういうことだ。護衛のついていない王族なんて、奴らにとっては格好の実験材料だろうからね」
「その、原相方舟ってなにが目的なんですか?」
ティコが尋ねる。
エリナは一拍おいて、冷たく言い放った。
「人工的に『王級契約者』を量産することさ」
「……えっ」
「精霊の選別を無視し、相性をねじ伏せ、人間側の都合で無理やり“王級”を成立させる」
エリナの声は低い。
そこには、研究者としての嫌悪と、戦士としての警戒が混じっていた。
「……戦争でも起こそうというのですか?」
「そうかもしれないな。いや――」
「…………」
「正確には、戦争を起こした上で『勝てる未来』を確定させようとしているのかもしれない」
沈黙が落ちる。
乾いた風の音だけが、遺構を抜けていった。
シャルロッテが、腕を組んだまま天井を見上げる。
「……して、何故ここで実験していた」
「人目につかず、失敗しても問題にならない場所だからだ」
エリナは即答した。
「特S区。
“何が起きてもおかしくない”と、最初から世間が決めつけている場所だ」
「なるほどの」
シャルロッテが、乾いた笑みを浮かべる。
「失敗は事故にできる。
成功だけを、持ち帰れる」
ティコは、思わず拳を握りしめた。
吐き気がするほど合理的だった。
「……じゃあ、次は?」
エリナは、振り返らなかった。
ただ、出口の光を見据えていた。
「次は――」
一拍。
「もっと効率のいい場所だろうね」
「効率、ですか?」
「人が集まる。
力が集まる。
王級が“見世物”になり、異変が起きても『熱狂』で誤魔化せる場所だ」
風が、遺構を抜けていく。
誰もが、同じ光景を思い浮かべていた。
だが、その名を口にする者はいなかった。
(……狙われているな)
エリナは、確信していた。
事故ではない。
偶然でもない。
これは――次の舞台が、決まったという合図だ。
◆
学院は、少し浮き足立っていた。
今年の新入生の中から、王級契約者が序列戦に登場する。
そのニュースは、瞬く間に校内を駆け巡った。
「さて、そろそろアタシの出番かな」
控室でストレッチをしながら、その少女は笑った。
序列第三位、アリス・フェンリズ。
王級精霊《Ignifer/アーク=ヴォルカ》を従え、戦場へと赴く天才。
「何度も言っていますが、油断は禁物ですよ。相手は全力です。王級じゃなくても、必ず隙を見つけてきます」
忠告するのは、同じく王級契約者であり、アリスの姉である序列第一位、アリア・フェンリズ。
双子でありながら共に王級契約者という、奇跡のような出自を持つ二人。
だが、その性格は対照的だった。
「アリアは心配性すぎるんだよ。固すぎるのも良くないと思うよ?」
心配をするアリアをよそに、アリスはマイペースを保つ。
赤い髪を揺らし、鏡の前でポーズを決める。
「せっかく観客もいるんだしさ、少しは派手にやらないと。エンターテインメントもアタシ達の務めじゃない?」
「派手にやる場ではありません」
即座に返すアリアの声は、冷徹なまでに冷静だった。
「序列戦は、見せるためのものではなく、
“測られるため”のものです」
その言葉の意味を、アリスは聞き流す。
あるいは、分かった上で無視した。
観戦席はすでに埋まりつつあった。
ざわめきは期待と興奮に満ちている。
誰もが、この一戦を“見世物”だと思っていた。
王級契約者が、どれほど違うのか。
その圧倒的な差を、安全圏から楽しむために。
その熱狂的な空気の中で、
アリスは一度だけ、闘技場を見下ろした。
「ま、それならそれで構わないよ」
その瞳には、純粋な戦意と、
ほんの少しの慢心が宿っていた。




