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「私たちでは無理ですよぉ!!!」
ティコは、雨のように降り注ぐ無数の隕石を回避し続けていた。
回避、といっても余裕はない。
紙一重。
肌がチリチリと焼けるほどの至近距離を、熱の塊が通り過ぎていく。
「あれをやるのは流石に一撃では無理じゃ。頼むぞ若いの。上手く陽動してくれ」
「絶対、私より適任いますって〜!!!」
古代龍の影が、完全に地面を覆った。
翼が一度、ゆっくりと持ち上がる。
それだけで空気が震え、特S区の大地が悲鳴を上げた。
『小さきものどもよ』
低く、重い声が響く。
魔力ではない。圧でもない。
“上位者”としての存在そのものが、空間に命令してくる声だった。
『我の眠りを破り、なお生きて立つか』
エリナは一歩前に出かけて、踏みとどまった。
(……速い)
魔力の膨張がない。
詠唱も、前兆もない。
息をするように、天災を振るっている。
次は、来る。
「ティコ、下がれ」
「え、ちょ――ひぃっ!!!」
ティコの目の前を、音速を超えた隕石が通過する。
風圧だけで体が切れそうになる。
「……っ、これ……!」
ティコの声が震える。
“戦っている”感覚が、まるでなかった。
通り過ぎただけで、『死ねた』。
直撃すれば、塵すら残らない。
◆
「終災。これでどうじゃ」
シャルロッテが闇の王級魔術を放つ。
重力崩壊を伴う黒球が、古代龍の顔面へと迫る――しかし。
『効かぬわ。失せろ』
古代龍は視線だけでそれを霧散させ、意に介さずさらに隕石を送り込んでくる。
「あれが効かないとなると厳しいのう。今の妾では落とせんぞ」
シャルロッテは舌打ちし、一歩後退してエリナの元へ戻る。
「ティコ!! まだいけるか??」
「む〜り〜で〜す〜!!!!」
エリナは、涙目で逃げ回るティコを見て、感嘆の息を漏らした。
「あの若いの、存外よく逃げておるわい」
「ああ。ティコの精霊は雷属性だ。しかも、思考速度すら加速させるスピード特化型。あんななりではあるが、彼女の【精霊装具化】は、すでに【精霊真装】に限りなく近いところまで体得しているよ」
「なるほどのう。純粋な速度なら妾以上じゃ。逃げるだけのあやつなら、古代龍もそう簡単には撃ち落とせんて」
「だが、彼女の魔力も無限ではない。そろそろ手を打たないとまずいぞ」
エリナが視線を巡らせる。
そして、後方で静観している少年に声をかけた。
「シオン! やっぱりなんとかならんかの?」
「うーん。できなくはないけど……」
シオンは歯切れが悪い。
視線が、必死に逃げ回るティコの方を向いている。
エリナは少し考えたあとに、何かに気づいたように声を上げた。
「安心しろシオン。ティコも“こちら側”だ。口止めは私がさせる」
「そういうことかい。シオンが出し渋っておったのは」
シャルロッテも得心がいったように頷く。
それを聞いたシオンは、ふっと肩の力を抜いた。
憑き物が落ちたような、諦めと覚悟が混じった表情。
「――なら、安心だ」
シオンが指を鳴らす。
――刹那。
ティコの元に迫り来る巨大な隕石が、音もなく砕けた。
「……え?」
『……ほう?』
ティコ、そして古代龍は、それぞれ違った驚愕の表情を見せる。
砕けた隕石は、物理的な破片ではなく、黒い砂のような粒子となって辺りに降り注ぐ。
だが、地面に届く前に――まるで重さという概念を失ったかのように、さらさらと霧散した。
ティコは反射的に足を止めた。
(魔力が……感じられない……?)
後方にいる誰かからの援護だろう。その程度に思っていたティコは、すぐに猛烈な違和感に襲われた。
今の現象は、魔法による迎撃ではない。
隕石を構成していた“術式”そのものが、ほどけたような感覚。
隙をみて後方を確認すると、先ほどまで戦闘には参加していなかったシオンが、ポケットから手を出して前に出てきていた。
◆
「さっきも言ったけど、ディアナはいないからな。力の加減はこいつ次第だぞ」
「構わん。ここは特S区だ。何が起こっても誰も見ちゃいないよ」
「信じるからな! ――――ラジア!」
シオンが名を呼ぶ。
その瞬間、シオンの影から黄金の粒子が舞い上がった。
光が集束し、一羽の『梟』がその肩に降り立つ。
ただの梟ではない。
全身から神々しい金の粒子を纏い、その瞳には万物を見通すような知性が宿っている。
梟は、目の前の古代龍など意に介さず、シオンへと視線を向けた。
『久しいな、主よ。して、アナディオメネはどうした? あやつの暑苦しい気配が感じられんが』
響いたのは、中性的で、どこか冷ややかな響きを持つ美声だった。
「ディアナは不在だ。色々あってな。今はお前の力が必要だ。頼めるか?」
『なぁに、愛しい我が主の頼みだ。断るわけがなかろう。……吾輩の敵は、あのトカゲか?』
ラジアと呼ばれた梟は、ゆっくりと首を回し、古代龍を見据える。
その姿は、遥か高みから地上の営みを観察するかのような、絶対的な余裕に満ちていた。
◆
「先輩!」
「ティコ。もう大丈夫だ。よくやってくれたな。少し休んでおけ」
「巻き込まれぬように、防御障壁を展開しておくのじゃぞ」
「一体何が……?」
ティコは二人の元へ戻り、戦局を見守る。
視界の端で、シオンと梟が輝いている。
「あれがシオンの力じゃよ。お主も薄々感じておるじゃろうが、彼奴の隣におるのは精霊ではない。正直なところ、妾達もあの力の正体は完全に解明できてはおらんのじゃ」
「私も『あれ』は初めてみるな。いつもは猫だったが、シオンは不在だと言っていた」
「不在ですか?」
ティコの疑問にエリナが答える。
「あぁ。シャルロッテが言う通り、あれは精霊じゃない。我々にはよく分からないが、精霊達はそうでもないらしい」
「……え?」
ここでティコは気づく。
自身の内にある契約精霊が、ガタガタと震えていることに。
恐怖ではない。
もっと根源的な――“格”の違いに対する畏怖。
「気づいたか」
「精霊が……怯えている?」
ティコの精霊だけではなかった。
エリナの契約精霊も、シャルロッテの使い魔も、例外なくシオンの肩に乗る“それ”に対して平伏していた。
「精霊にとっての上位存在であることは間違いないじゃろう。ただ、いくら聞いてもシオンは答えてくれなくての。今日こそはと思って来たのじゃが……」
「……想像と全く違う力だったと」
「そういうことじゃ。ただ、系統は同じじゃ。精霊の反応を見る限りじゃがな」
◆
古代龍は、沈黙していた。
否――
観測していた。
『……ほう』
低く、空気を震わせる声。
『……貴様――“世界の理”に触れておるな』
巨大な金色の瞳が、シオンではなく――ラジアを捉える。
『精霊ではない。神でもない。
それでいて――秩序の内側に立っている』
翼が、ゆっくりと広がる。
その動きだけで、空間の密度が変わった。
『何者だ』
重圧が、一直線にラジアへ向けられる。
『貴様如きに教えることは一つもない。その力は飾りか? 力づくで聞けばいいだろう』
煽るようにラジアが返す。
梟の瞳が、侮蔑を含んで細められた。
『……なるほど』
次の瞬間。
――世界が、落ちた。
上でも下でもない。
左右でもない。
空間そのものが“沈む”。
「……っ!」
ティコが思わず膝をつく。
エリナとシャルロッテでさえ、表情を歪めて足元を踏みしめた。
地面がミシミシと悲鳴を上げ、円状に陥没していく。
「これは……!」
「重力じゃない……概念圧じゃ! 空間ごと押し潰す気か!」
古代龍が、咆哮する。
『ならば試そうぞ!
貴様が、どこまで耐えうるかを!』
翼が振り下ろされる。
隕石ではない。
魔力弾でもない。
“そこに存在する”という定義そのものを圧殺する、不可避の破壊。
だが。
シオンは一歩、前へ出た。
「ラジア」
『承知』
梟の瞳が、解析の光を帯びて金色に輝いた。




