表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/42

30



(……聞いていた話と、全然違う)


 ティコ・グレイは、冷や汗を拭うのも忘れて周囲を見渡した。


 ここは遺跡の最深部、通称「特S区」。

 学院の機密資料には、『単独行動厳禁』『生存率不明』『王級契約者二名以上での探索を推奨』といった、物騒な文言が並んでいたはずだ。


 特S区とは、魔境だ。

 一歩踏み込めば死が待っている、人のことわりが通じない場所。


 ――なのに。


 結界はすでに破られ、凶悪な魔物の痕跡も薄い。

 地面には戦闘の爪痕すらほとんど残っておらず、ただ静寂だけが広がっている。


 道は、あまりにも――普通だった。

 まるで、誰かが丁寧に掃除をした後の廊下のように。


「……あの、エリナ先輩?」


 ティコはたまらず足を止め、前を歩く背中に声をかけた。


「なに?」


 エリナ・クロウリーは、足を止めずに答える。

 その歩調は、散歩でもしているかのように軽い。


「特S区って、もっとこう……阿鼻叫喚的な場所じゃありませんでした?

 空が淀んでて、魔物の咆哮が絶えなくて、一寸先は闇みたいな……」


「以前の調査記録では、そう書かれているな」


 即答だった。


「では、なぜこんなに平然と――」


わらわがいるからじゃ、若いの」


「だから、この人もだれなんですか!」


 反射的にツッコミを入れてから、ティコは後悔した。


 エリナの隣を歩くその少女。

 見た目は十歳前後。豪奢なゴシックドレスに身を包み、日傘を優雅に回している。

 どう見ても、迷い込んだ貴族の令嬢だ。


 だが、振るわれる魔術はどれも規格外だった。


 つい先ほど、上空から襲来したワイバーンの群れ。

 特S区の変異種であり、通常の王級精霊でも手を焼く相手だ。


 それが、一瞬で霧散した。

 詠唱も、溜めもない。

 少女が指先をクイクイと動かしただけで、ワイバーンたちは内側から弾け飛び、血の霧になったのだ。


 ただ――消えた。

 まるで、最初からそこにいなかったかのように。


(……あ、これ触れちゃいけない人だ)


 ティコの生存本能が、激しく警鐘を鳴らす。

 彼女は、そっと視線を逸らした。


 そして、助けを求めるように隊列の最後尾を見る。


 そこには、シオンがいた。

 学院の制服姿。手ぶら。

 とても特S区にいるとは思えない軽装だ。


 周囲を警戒している様子はない。

 だが、無防備とも違う。

 ポケットに手を突っ込み、ただ淡々とついてきている。


 まるで――

 こうなることを、最初から知っていたかのような落ち着き。


(……この生徒も、なんでこんなに平然としてるの?)


 嫌な予感だけが、静かに積もっていく。



 呼び出しは、突然だった。

 数時間前、学院の職員室。

 前置きも、理由の説明もなく、シオンはそこに呼ばれた。


「特S任務に同行してもらう」


 エリナ・クロウリーは、書類から顔も上げずにそれだけを告げた。


「……理由を聞いても?」


 シオンが尋ねると、エリナは一瞬だけペンを止め、視線を伏せる。


「ナギの一件、当事者だから、と思ったか?」


「……多少は」


 その答えに、エリナは小さく首を振った。


「違う。あれは理由の一つに過ぎない」


 そして、顔を上げ、はっきりと言った。


「敵が強い。それに対処できる人間が、必要だ」


 声は静かだった。

 だが、その瞳には拒否を許さない光があった。

 選択肢は、最初から用意されていない。


「エリナ……先生も、十分強いでしょう」


「保険だよ。最悪の場合の」


 一拍置いて、続ける。


「それに――今回は教師としてではない」


 エリナは、真正面からシオンを見る。

 その纏う空気が、教師のそれから、鋭利な刃物のような気配へと変わる。


「エリナ・クロウリーとして任務を遂行する。そのつもりでいてくれ」


 それ以上、説明はなかった。

 シオンも、問い返さなかった。

 彼女がその顔をする時、事態がどれほど面倒かを知っていたからだ。


 静かに暮らしたいという願いが、また一つ、後回しにされた瞬間だった。



(先輩は強いって言ってたけど……この人、まだ生徒でしょ?全然、戦闘に参加してないし……)


 ティコはチラチラとシオンを見る。

 魔力を感じないわけではない。だが、特S区で通用するとは思えなかった。


「なんじゃ、若いの」


 いつの間にか隣にいた少女――シャルロッテが、にやりと笑う。

 赤い瞳が、楽しげに歪む。


「妾に手柄を取られるのが、そんなに不満かの?」


「……え? いや、その……」


「シャルロッテじゃ。自己紹介なら、もう済んでおろう?」


「ええ、もちろん存じてます。ただ……」


 ティコは正直に口にした。


「そんなに高位魔術を連発していて、魔力切れとか大丈夫なんですか?」


「くくっ、愚問じゃな」


 シャルロッテは鼻で笑う。


「問題ない」


 即答したのは、前を歩くエリナだった。


「君も一応“こちら側”の人間だ。あの程度で驚いていては困る。それに、あれくらいなら私でもできる」


「あは……あはは……」


 乾いた笑いしか出なかった。

 “こちら側”と言われても、レベルが違いすぎる。


 エリナとシャルロッテは、まるでピクニックに来たかのように、小蝿を払う動作でSランク級の魔物を消し炭にしていく。

 念のためS区に転移し、そこから歩いてきているが――

 最初から特S区へ直行しても問題なかっただろう。


 前の二人があの調子なため、ティコは仕方なくシオンに声をかけた。

 せめて、常識的な会話ができそうな相手と話したかった。


「シオンくん……で合ってるかな?

 私はティコ・グレイ。君の通う学院の先生。新任だけど」


「シオンです。お手柔らかに」


「……………………」


 会話が、続かない。

 シオンの視線は前方に向いたままだ。


 ティコは必死に話題を探す。


「なにか考え事?

 よかったら先生が相談に――」


「確かに考え事はしてますけど」


 シオンは、淡々と遮った。


「先生には無理な話だと思うんで、大丈夫です」


(ムカッ!)


 ティコの額に青筋が浮かぶ。

 いくらなんでも、生徒にそこまで舐められる謂れはない。


「へ、へぇ……随分な言い方ね。

 言っておくけど、私だって伊達に先生やってないわよ?

 私の契約精霊、王級なんだけど?」


 ティコが少し胸を張る。

 王級。それはこの世界における実力者の証だ。


「あんまり張り合うなよ、ティコ」


 エリナが戦闘の合間に、振り返りもせずに言う。


「お前の精霊程度じゃ、シオンに手も足も出ない」


「なっ……!?」


「そうじゃ、若いの」


 シャルロッテも同意するように頷く。


「自分から死地に踏み込むものではないぞ。

 赤子がドラゴンに噛み付くようなものじゃ」


「……でも、学院の生徒なんですよね?」


 ティコは食い下がる。

 王級としての誇りが、それを認めさせなかった。


「そこまで言われると、私のプライドが――」


「そんな安っぽいもの、今すぐ捨ててしまえ」


 シャルロッテの声が、低く沈んだ。

 冷気のような圧力が、ティコの肌を刺す。


「さもなくば、すぐに自分の言葉を後悔することになる」


「……それはどう――」


 言葉が、途切れた。


 ドサッ、と何かが落ちてくる音がしたわけではない。

 ただ、世界の色が変わった。


 影が、落ちた。

 太陽が遮られたような、巨大な絶望の影。


 地面が、遅れて震える。

 ズズズズズ……と、大地そのものが悲鳴を上げ始めた。


「これは……」


 エリナが、足を止めて前を見る。

 その表情から、余裕が消えていた。


「……予想よりも大きいな。私たちでも倒せなくはないが……かなり消耗する」


 そして、静かに言った。


「シオン。いけるか?」


 ティコは、まだ全体像を理解しきれていなかった。

 ただ、目の前にある“山”を見上げていた。


「ほう。【古代龍エンシェントドラゴン】か」


 シャルロッテだけが、楽しげに笑う。


「これは、なかなかの奴じゃの。数千年は生きておる魔力の塊じゃ」


『貴様ら……よくも我が版図を踏み荒らしてくれたのう』


 空気を震わせる声。

 見上げれば、金色の瞳が四つのゴミを見下ろしていた。

 全身を黒曜石のような鱗で覆った、神話級の怪物。



「ひ、ひぃぃいいい!」


 ティコは腰が抜けそうになるのを必死で堪えた。

 王級? 役に立つわけがない。

 これは、人間が相手にしていい存在ではない。


「狼狽えるな。狙われるぞ」


 エリナが、短く檄を飛ばす。

 すでに臨戦態勢に入っているが、その額には僅かに汗が滲んでいる。


「シオン、いけるかの?」


 シャルロッテは、すぐ隣で様子を見守る。

 彼女もまた、シオンの実力を疑っていない。


 シオンは、古代龍を見上げたまま、ポケットから手を出した。

 そして、一瞬だけ視線を逸らし――


 ボソリと、呟いた。


「……悪い。今、ディアナはいない」


「……なに?」


「なんじゃと!?」


 エリナとシャルロッテの声が重なった。


 ゴオォォォォォォォォォォッ!!


 古代龍が、口を大きく開ける。

 喉の奥で、極大のブレスが輝き始めていた。


 空気が、完全に張りつめた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ