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朝の鐘が鳴るより前に、学院はもう目を覚ましていた。
普段なら静まり返っているはずの廊下には、生徒たちの小さな足音や囁き声が満ちている。
精霊たちでさえ、今日は羽や光を落ち着きなく揺らし、主の肩でそわそわしていた。
理由は言うまでもない。
序列――昨日の属性検査を元にした順位の公開。
1学年500名もの生徒を抱えるこの学院で、数字は単なる記録ではない。
立場であり、評価であり、未来を形づくる“序文”だ。
掲示板前に着くと、人の波ができていた。
だが私たちが近づくと、空気がわずかに動き、列が割れた。
生徒たちは下がるのではなく、距離を取る。
自然反応。理解ではなく本能。
「……見られてるね。視線が刺さってる」
アリスが息を吐き、肩に宿る火精がぱちりと音を立てた。
「今日は特に、でしょうね。
数字は、普段より想像を簡単にしますから」
ルシアの声は柔らかいが、その意味は鋭い。
私は返答せず、紙へ視線を向けた。
一番上に、自分の名前があった。
1位 アリア・フェンリズ(王級/水)
次に続く二つの名前も、見慣れたもの。
2位 ルシア・アルステッド(王級/光)
3位 アリス・フェンリズ(王級/火)
周囲の空気が変わる。
驚きではない。諦めでも、嫉妬でもない。
納得。
数字が、それを証明していた。
視線を下へ滑らせていくうちに、
周囲から漏れる細かな反応と息遣いが耳に触れた。
「やっぱり……」
「この三人は別格だよ」
「王級が三人なんて……歴史でもほぼ前例がない」
会話の温度は低くても、その奥には熱がある。
42位 エルド・ハリオン(中級/雷、下級/風)
その数字を見た瞬間、私は昨日の検査室での彼の佇まいを思い出した。
無駄な動作も、誇張された自信もなく、ただ静かに立っていた。
戦う者の姿勢。
数字が彼を肯定している。
さらに下へ。
193位 ミナ・ローレン(下位/地派生:植物)
順位だけ見れば目立たない。
しかし、紙の前で彼女の肩に宿る植物精がそっと光り、寄り添っていた。
まるで「数字だけで判断するな」と言うように。
そして――ふと、視線が止まる。
不可解な行が、ひとつあった。
9位。
名前がない。
いや、まるでインクが定着するのを拒んだかのように、そこだけが不自然な空白になっている。
備考欄には、事務的な文字で一言だけ記されていた。
『測定時エラー(機材破損により推定値を算出)』
「……誰だ?」
「おい、これ……昨日のボヤ騒ぎのやつじゃないか?」
「ああ、あの第三レーンを爆破した……」
「機材を壊して、測定不能で、それでも9位に入ったっていうのか?」
小さく、しかし決して無視できないざわめき。
精霊たちでさえ、その欄を避けるように漂っていた。
◆
「静粛に。」
鋭い声が空間をひと息で締め上げた。
視線が教師へと集まる。
「これより一年課程を正式に開始する。
序列は仮であり、絶対ではない。
だが忘れるな――数字は、現在のお前たちそのものだ。」
誰かが唾を飲む音が聞こえた。
「次に、本学院の制度について伝える。」
教師が巻物を開くと、淡い魔力光が走った。
――《序列戦》
「序列戦は二ヶ月に一度、学院側の判断で組み合わせを決定する。
戦いの形式は自由。武器、魔法、精霊――いずれも制限はない。」
周囲で精霊たちがざわめく。
主ではなく、戦いの概念に反応している。
「上位者が勝てば順位は維持。
しかし――下位者が上位者を倒した場合、その順位は入れ替わる。」
ざわめきが弾けた。
誰かが息を震わせ、誰かが拳を握り、誰かが笑った。
「死傷行為は認めない。
危険判定に達した場合、結界と教員が介入する。
だが――事故は、記録として残る。」
最後に、教師の視線がこちらへ向いた。
「王級契約者三名は原則免除だ。
ただし、双方合意のうえ学院が承認する場合、例外は成立する。」
アリスが静かに笑い、
ルシアが目を伏せ、
私は教師から視線を逸らさなかった。
◆
そのあと学院案内が始まったが、
生徒の心はすでに別の場所へ向いていた。
掲示板。
数字。
勝ち負け。
次の戦い。
そして――煙の匂いを残した、空白の9位。
精霊たちの光が廊下に淡く散りながら流れていく。
私たちはゆっくり歩きながら、それぞれの視線を未来へ伸ばした。
この学院では、数字はただの結果ではない。
数字こそが、扉を開く鍵であり、閉ざす壁だ。
まだ戦いは始まっていない。
それでも世界は静かに熱を帯びていく。
そして学院は、序列という名前の運命を抱えたまま動き始める。




