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シオン達は、石造りで舗装された道を抜けると、開けた草原に出た。
その先には、巨大な森が広がっている。
「……ほんまに静かなもんやな」
ナギが、遠慮のない感想を漏らす。
視界を遮るほどの木々はなく、足元の草も短い。
風は穏やかで、魔物の気配も感じられない。
「遺跡って聞いてたから、もっとこう……薄暗い場所かと思ってました」
ミナが、少し拍子抜けしたように言った。
「C区は外縁部だからな。管理も行き届いている」
エルドは地図を確認しながら答える。
「問題が起きるとすれば、むしろ“想定外”だ」
「不吉なこと言わんといて」
ナギが即座に突っ込む。
そんなやり取りをしながら、四人は森へと足を踏み入れた。
⸻
森の中は、思っていたよりも静かだった。
鳥の声も、虫の羽音もある。
だが、それらがどこか遠く、背景のように感じられる。
「目的地は、この小湖やな」
ナギが地図を指差す。
「水質確認と、周辺の魔力濃度測定。ほんまに調査だけや」
「採水用の容器も指定されてるな」
エルドが任務表を読み上げる。
「湖の水を規定量採取し、拠点へ持ち帰る。滞在時間は最小限、と」
「……簡単、ですね」
ミナはそう言いながらも、測定器を鞄から取り出していた。
水晶盤の針は、今のところ安定している。
「数値も、想定範囲内です」
「ほらな。平和な実習や」
ナギは気楽に笑う。
「安全な区画で、指示通りの情報を正確に持ち帰る。それができなければ、上位区画には行けない」
エルドは気を引き締めるような表情をする。
シオンは、その様子を横目に見ながら、森の奥へ視線を向けた。
(……静かすぎる気もするが)
そう思ったが、口には出さない。
C区。
危険度・低。
魔物出現率・極小。
学院がそう判断した場所だ。
それを疑う理由は、今のところ何もなかった。
⸻
やがて、木々の隙間から、水面が見え始める。
「見えてきました」
ミナが声を上げる。
森に囲まれた、小さな湖。
水は澄んでいて、波一つ立っていない。
――調査地点。
四人は、特に緊張することもなく、その湖へと近づいていった。
◆
「――あれやな」
木々の隙間を抜けた先に、小さな湖が広がっていた。
澄んだ水。風もなく、鏡のように空を映している。
湖畔には倒木がいくつか転がり、苔と湿った土の匂いが漂っていた。
「見た目は、普通ですね」
ミナが一歩前に出る。
鞄から、昨日買った簡易魔力測定器を取り出した。
水晶盤の上で、細い針が静かに揺れている。
「想定魔力値……範囲内です」
ミナはそう告げてから、湖面を覗き込む。
「水質も、透明度は高そうですね」
「じゃあ、ちゃちゃっと汲んで帰ろか」
ナギが屈み込み、採取用ボトルを構えた、その時だった。
――カチ、と。
測定器の針が、ほんのわずかに跳ねた。
「……?」
ミナの動きが止まる。
「どうした?」
エルドがすぐに反応する。
「いえ……」
ミナは水晶盤をもう一度見つめ、針の動きを確認した。
「一瞬だけ、数値がブレました」
「ブレ?」
「はい。でも、今は戻っています。誤差の範囲、だと思います」
ミナはそう言って、首を振った。
「このくらいなら、自然変動でも起きますし……」
「気にしすぎやって」
ナギはあっさり言い、再び湖に向き直る。
「C区やで?何も起きへんって」
エルドは一拍置いてから、頷いた。
「……一応、周囲も見ておこう。採取はそのあとだ」
「了解です」
ミナは測定器を鞄にしまい、周囲の植生へと視線を移す。
シオンは、湖面をじっと見つめていた。
水は静かだ。
波紋一つ立っていない。
『何もないってことはなさそうね。魔力を感じるわ。本当に少しだけど。』
ディアナがシオンの思考に気づき念話を送る。
「なにかあってからでは遅い。念の為周囲は確認したほうがいいだろう。」
エルドも違和感を感じ取ったようで全員に提案する。
「そうですね。あくまで調査ですから!」
「しゃーないな。ほな手分けしようか。」
エルドの判断で、四人は湖の周囲を分担して確認することになった。
「ナギとシオンで、湖の南側」
「俺とミナは、北側を見る」
「了解や」
軽い返事とともに、それぞれが動き出す。
湖畔を回る足取りは穏やかだ。
地面は湿っているが、足を取られるほどではない。
ナギは先を歩きながら、時折草を踏み分け、倒木の裏を覗く。
「何もないなぁ」
「……そうだな」
シオンは相槌を打ちながら、周囲を見渡す。
木々は静かだ。
風はあるが、葉擦れの音は最小限で、まるで音が吸われているようにも感じる。
(さっきから、精霊も静かすぎる)
ディアナは、いつもなら何か一言挟んでくる。
だが今は、珍しく黙ったままだった。
――数分後。
「問題なし、やな。」
ナギが伸びをする。
「そっちも異常なし?」
「ああ。少なくとも、目に見える範囲では」
二人は湖の中央付近で合流する。
そのタイミングで、向こう側からミナの声が聞こえた。
「……エルドさん」
いつもより、少し硬い声。
「どうした?」
エルドとミナが立っているのは、湖の北側。
ミナは測定器を両手で持ち、じっと水晶盤を見つめていた。
「数値が……おかしいです」
「さっきの誤差か?」
「いえ。今度は、はっきりと」
ミナはゆっくりと、測定器をこちらへ向ける。
水晶盤の針が、左右に細かく震えていた。
「想定値の範囲内ではあります。ですが……」
言葉を選ぶように、一度息を吸う。
「“揺れ方”が、不自然です」
「不自然?」
ナギが首を傾げる。
「数値は合っているのに、安定しません。
まるで……何かに引っ張られているみたいで」
エルドの表情が引き締まる。
「方向は?」
「……森の奥です」
ミナが指差した先。
湖を背にした、さらに深い森。
木々が密集し、陽の光がほとんど届かない場所だった。
「一度報告に戻るべきだな」
エルドは即座に判断する。
「C区とはいえ、想定外が出た以上、続行は危険だ」
「えー、もうちょい見てもええんちゃう?」
ナギは軽く言ったが、ミナの表情を見て言葉を止めた。
「……ミナ?」
「……嫌な感じが、します」
はっきりとした理由はない。
だが、その一言には迷いがなかった。
「分かった。戻ろう」
エルドが言う。
エルドを先頭にして、四人は来た道を引き返し始めた。
その時。
――草を踏みしめる、軽い音。
「……?」
シオンが足を止める。
振り返る。
「ナギ?」
返事がない。
「……ナギ?」
もう一度、名を呼ぶ。
視界の中に、先ほどまで確かにあったはずの姿が――ない。
森は、静まり返っていた。
「……え?」
ミナが、小さく声を漏らす。
「……ナギさん?」




