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学院の朝は静かだった。
しかしその静けさの奥では、確かなざわめきが満ちている。
学生たちの鼓動、期待、焦燥――それらが空気に重さを与えていた。
今日は、属性検査の日。
この学院に入学した一年生は約五百名。
全員が、契約している精霊・魔力量・制御精度・伸びしろを測定され、
その結果が数字として記録される。
その数字は、初期の序列として掲示される。
順位は一年を通して変動するが、
最初の評価ほど影響力があるものはない。
私は歩きながら、廊下の空気の張りつめた質感を感じていた。
精霊たちは落ち着かない。
囁くように揺れ、視界の端で小さく光る。
それだけで、今日が特別だとわかる。
「おはよう、アリア」
背後から赤い揺らぎと声。アリスだ。
制服は規則通りのはずなのに、纏う空気が自由で野性味がある。
「今日は退屈な日だよね。数字に価値を決められるなんてさ」
「価値ではなく基準です。感情とは区別すべきでしょう」
「……ほんとそういうところだよね」
アリスは笑う。火精が揺れた。
「二人とも、時間です。行きましょう」
ルシアが静かに近づいてきた。
光精の気配が柔らかく漂う。
歩き出すと、周囲の生徒たちが小さく道を空けた。
避けるのではなく――距離を保つ。
◆
検査室に入ると、空気の密度が変わった。
魔力の匂い。精霊のざわつき。
緊張と期待が混ざり、空間そのものが膨らんでいるようだった。
視線が集まる。驚き、畏れ、憧れ――色がある。
だがその中に、ただまっすぐ見る視線があった。
茶髪の少年。エルド・ハリオン。
怯えるでも、挑むでもない。
観察する目。自身の立ち位置を理解しようとする者の目。
その後ろに、小柄な少女が立つ。
制服の袖をぎゅっと握り締めながら。
ミナ・ローレン。
彼女の緊張は明らかだった。
だが、それでも逃げる気配がなかった。
そこに、小さな強さを感じる。
「静粛に」
教師の声が広間に響いた。
いや、その声にはわずかに焦りが混じっていたかもしれない。
ホールの端、第三レーンの検査機から、うっすらと黒い煙が上がっているのが見えた。
焦げ臭い匂いが漂い、数名の魔術師が慌ただしく駆け寄っていく。
「……故障か?」
「さあな。誰かやらかしたんじゃないか」
「おい見ろよ、あの魔術回路、完全に焼き切れてるぞ……」
生徒たちのざわめき。
だが、教師はそれを手で制し、努めて冷静に告げた。
「第三レーンは使用停止とする。以降の生徒は第一、第二レーンへ回るように。
……ハプニングに動じるな。自身の測定に集中しろ」
トラブルの原因となった生徒の姿は、もうそこにはなかった。
ただ、壊れた機械だけが不気味な沈黙を守っていた。
「これより番号二百四十番台以降の測定に入る」
◆
「次、二百四十三番──エルド・ハリオン」
エルドが歩み出る。
魔術陣が展開し、蒼白い雷光が弾けた。
直後、風の気配が絡む。
生徒たちが小さく息を呑む。
「雷精、風精……二重契約」
教師が淡々と告げ、数値を記入する。
「適性評価:A-
制御精度:中位
潜在伸び幅:高」
短い沈黙のあと、周囲から低いざわめきが起きた。
エルドは淡く頭を下げ、静かに列に戻る。
満足でも慢心でもない、受け止めるための呼吸。
そういう態度だった。
「次、二百五十八番──ミナ・ローレン」
ミナが震える指先を握りしめて歩く。
魔術陣が緑に染まった。
土と湿り気、生命の匂い。
「地精」
教師が紙をめくり、魔力値を読み取る。
「適性評価:D+
制御未成熟・反応過敏。伸び代評価は保留」
ミナは唇を噛み、一瞬だけ俯く。
しかしすぐに顔を上げた。
その表情には――まだ折れていない意志があった。
地精が小さく光り、寄り添う。
◆
検査は続いた。
だが――
私たち三人の番号が呼ばれることはなかった。
理由は明白。
王級契約者は別室測定。
通常の魔術陣では耐えられない。
「当然だね。
普通の検査枠で測られたくないし」
アリスが肩をすくめる。
「形式はどうあれ、結果は明日すべての形になります」
ルシアは淡々と告げる。
◆
「――以上で検査終了とする!」
教師の声音と同時に、広間がざわめき始める。
別の教師が、長い巻物を抱えて入ってきた。
生徒たちの視線が吸い寄せられる。
これは明日の朝、掲示される順位表──。
私は何気なく視線を掲示板へ向けた。
そこには、
名前はあるのに、姿の見えない生徒がひとり。
番号は割り振られている。
しかし検査にも、広間にもいなかった。
「誰か欠席か?」「転入?」「いや記録上は最初からいる」
小さな会話が流れる。
だがすぐに別の話題に飲まれた。
教師たちも説明はしない。
気に留める者もほとんどいない。
その違和感だけが、静かに空気に残った。
◆
「……明日が楽しみですね。」
息を吐く。
「順位はただの数字です。
ですが──数字は世界の形を示す」
ルシアが答える。
私は最後にもう一度、掲示板を見た。
名だけある生徒。
不在のまま、名簿だけ存在する影。
それに意味があるかどうかは、
この時点では、まだ誰も知らなかった。




