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訓練場の喧騒から少し離れた高台にある、貴賓用観覧席。
そこには、眼下の熱気とは隔絶された静謐な空気が流れていた。
一般生徒は立ち入れないその場所に、三つの影があった。
「……やはり、違和感がありますね」
最初に口を開いたのは、アリアだった。
視線は訓練場の中央。昨日の模擬戦が行われた場所を見つめている。
『あの時』の余韻が、まだ肌に残っているのだ。
『違和感、というより――“欠落”でしょう』
アリアの背後で淡く光る水の粒子が集まり、セレスティアの輪郭を形作る。
王級精霊の声は静かだが、いつもより慎重な響きを含んでいた。
「ええ。
魔力量、制御、反応速度……どれも高水準ですが、王級が驚くほどではありません。
ですが、“結果”だけが、理屈に合いません」
その言葉に、隣で手すりに腰掛けていた少女が、つまらなそうに足をぶらつかせた。
「なるほどねぇ。
アリアの水龍が“効かなかった”わけじゃない、と」
燃えるような赤髪に、勝気な瞳。
火の魔力を当然のように纏うその少女は、アリス・フェンリズ。
アリアの双子の妹にして、同じく火の王級契約者だ。
「効いたはずなのに、“効いた事実が消えた”。
……そういうことでしょう?」
「ええ。アリスの言う通りです」
アリアが頷くと、もう一人の少女――ルシアが静かに口を挟んだ。
「……たしか、アリアさんは彼と同じ班になったのでしたね。近くで見て、何か気づいたことは?」
アリアは即答しなかった。
代わりに、セレスティアが低く告げる。
『彼の精霊です。
精霊としての“位階”が、曖昧すぎます』
「曖昧?」
『上級精霊に見えるよう擬態している、と言えば簡単ですが……それにしては“引き算”が綺麗すぎるのです』
王級精霊が、言葉を選んでいる。
それ自体が、異常事態だった。
「盛ってない。
余分な出力を、極限まで“削っている”……って感じ?」
アリスの言葉に、セレスティアは肯定の気配を返す。
『はい。
“出さない”のではなく、“消している”。
それも、自然界の法則に干渉するレベルで』
その瞬間、場の空気がピリリと引き締まった。
風が吹き、演習場の砂が小さく舞い上がる。
「……それは」
アリアが息を呑む。
それが意味することは、王級精霊による偽装と同等か――あるいはそれ以上か。
「でもさ」
アリスが、重くなった空気を払うように軽い口調で言った。
「だからって、彼がアタシ達に牙を剥くわけじゃないでしょ?」
アリアは頷く。
「ええ。
彼は戦うことを選ばず、退くことを選びました。
あそこで演技をしてでも試合を終わらせたのは、周囲への被害を防ぐため……“壊さない選択”をしたのです」
「ふーん。優しいねぇ、9位くん」
アリスは口角を上げて笑う。
「それだけで、今は十分だと思うけどな。敵じゃないなら、無理に暴く必要もないでしょ」
『ただ――
序列戦で、同じ判断ができるかは別問題です』
セレスティアが冷ややかに告げた。
『相手はライゼル・ヴォルトレイグ。
彼が“演技”で済ませてくれる相手ではありません』
アリアは一度、目を閉じた。
「……ええ。
だからこそ、見守りましょう」
視線の先では、メインイベントの準備が進んでいる。
やがて――避けてきた舞台に、彼自身が立つことになる。
「彼が“静かにいたい”と願うなら」
アリアは、祈るように、けれど確信を持って呟いた。
「なおさら、世界は放っておかないでしょうね」
◆
正直に言えば、気に入らない。
演習場に集まる視線。その大半が、自分ではなく――対面の“9位”に向けられていることが。
(なぜだ)
ライゼル・ヴォルトレイグは、ゆっくりと息を吐き出し、苛立ちを抑え込んだ。
序列第八位。
ヴォルトレイグ帝国第三皇子。
学院においても、立場も実力も十分すぎるほどだ。
本来なら、歓声も注目も、すべては自分のためにあるはずだった。
だが今日に限って、空気が違う。
観客たちの興味は、「皇子が勝つか」ではなく、「あの9位は何をするのか」に向けられている。
「……9位、か」
視線の先に立つ少年――シオン。
気負いはない。
威圧もない。
こちらを意識している様子すら、ほとんど感じられない。
まるで、休日の公園にでも立っているかのような無防備さ。
(舐めているのか?)
いや、違う。
ライゼルは鋭い視線で観察する。
(“測っている”わけでもない)
ただ、そこにいるだけだ。
剣も構えず、殺気も出さず、ただ時間が過ぎるのを待っている。
それが、どうにも癇に障った。
(王級とやり合って、無傷の状態で降参した男)
本人はダメージを負ったと喚いていたらしいが、自分の目は誤魔化せない。
あれは演技だ。それも、三流の。
実力があるのか。ないのか。
あるなら、なぜ隠す。
ないなら、なぜ周囲が騒ぐ。
「……くだらん」
ライゼルは、体内の魔力を解放する。
バチッ。
黄色い雷光が全身を走り、周囲の空気が焦げ付く匂いがした。
(どのみち、序列戦は結果がすべてだ)
勝てばいい。
叩き潰せばいい。
相手が何を隠していようが、どんな理由で退こうが。
(俺の前に立った以上、関係ない)
何より、この状況を作り出したのは自分だ。
気に入らない視線も、不可解な評価も、すべて力でねじ伏せる。
それが、ライゼル・ヴォルトレイグの流儀だ。
教師の声が、演習場に響き渡る。
「――序列第八位、ライゼル・ヴォルトレイグ。前へ」
ライゼルは一歩、強く踏み出した。
その瞳には、明確な殺意が宿っている。
(せいぜい、足掻けよ)
心の中で、そう吐き捨てる。
この一戦は、ただの試合ではない。
学院に蔓延る“勘違い”を終わらせ、王族の威光を知らしめるための処刑だ。
少なくとも――
ライゼルは、そう信じて疑わなかった。




