14
演習場の中央で、三人が向かい合っていた。
アリア・フェンリズ。
そして――エルド・ハリオンとミナ・ローレン。
先ほどまでの模擬戦とは空気が違う。
これは順位の確認でも、力試しでもない。
“王級”という絶対的な壁に対し、自分たちの現在地がどこなのか。
それを肌で理解するための、過酷な挑戦だ。
「では、準備はよろしいですか?」
アリアは変わらぬ柔らかな声音で問いかける。
その佇まいは、戦場に立つ戦士というより、庭園を歩く貴婦人のように自然だ。
エルドは一歩前に出て、大剣の柄に手をかけ静かに頷いた。
「問題ない。
俺とミナで行く」
「……はい。よろしくお願いします……!」
ミナは少し緊張した様子で、それでも逃げずに前を見据える。
次の瞬間。
世界の色が変わった。
アリアが纏う魔力が水の性質を帯び、演習場全体の湿度が一段階跳ね上がる。
肌にまとわりつくような濃密な魔力。呼吸をするだけで肺が冷たくなるような感覚。
(……これが、1位)
エルドは一瞬で悟る。
魔力の総量ではない。
制御の緻密さと密度が、根本的に違う。
「「いきます!」」
ミナとアリアが、同時に動いた。
アリアが流水のように滑らかに走り出すのと同時に、ミナが高速で詠唱を完了させる。
「大地よ――捕縛して!」
ミナの地属性魔術が発動する。
アリアの足元の砂が隆起し、植物の蔦が蛇のように絡みつこうと迫る。
単純な攻撃ではない。空間を制限し、足を止めるための選択。
中級者、それも非戦闘系のミナにしては、極めて冷静で的確な判断だ。
だが――相手が悪すぎた。
アリアは足を止めない。
減速すらしない。
足元から迫る蔦に対し、彼女は水を纏った足先で優しく触れただけだ。
それだけで、剛直なはずの蔦が水の流れに逆らえず、アリアを避けるように軌道を逸らされた。
“受け流し”。
最小限の魔力で、相手の力を無効化する高等技術。
「……っ」
ミナの拘束が破られた瞬間、エルドが前に出る。
雷精霊の魔力で身体能力を極限までブーストする【精霊魔力行使】。
さらに風精霊による【精霊装具化】で風の大剣を形成し、一気に間合いを詰める。
バチバチと雷光を纏った一撃。
速い。重い。
アリアが無防備に見えるその一瞬を狙った、完璧なカウンター。
しかし。
アリアは、そのすべてを見ていた。
踏み込みの瞬間、エルドの足元の砂地がわずかに濡れていることに、彼は気づけなかった。
ツルッ。
エルドの軸足が、ありえない方向に滑る。
地面に薄く張られた水膜。
アリアが走った軌跡に残された、見えない罠。
わずかな体勢のズレ。
それだけで、必殺の雷撃は空を切った。
「……っ、しまっ――」
「いい判断でした。ですが、足元がお留守ですよ?」
アリアの声は、驚くほど近かった。
次の瞬間。
エルドとミナの間を、巨大な“水の壁”が隔てた。
ドォォォォン!
攻撃ではない。
ただの分断。
だが、連携を断たれた二人にもはや勝ち目はない。
それだけで、勝負は決まった。
「ここまでにしましょう」
水壁が霧散し、演習場に静寂が戻る。
エルドは歯を食いしばり、ミナは悔しそうに拳を握った。
手も足も出なかった。
だが、そこに絶望的な敗北感はない。
見えた壁の高さが、むしろ彼らの闘志に火をつけていた。
「……ありがとうございます」
ミナが深く頭を下げる。
アリアは微笑み、ふわりと魔力を解いた。
「こちらこそ。
お二人とも、とても良い動きでした。特にミナさんの蔦、タイミングは完璧でしたよ」
そのやり取りを、少し離れた場所からシオンは見ていた。
(……これが、1位の戦い方か)
派手な魔法でねじ伏せるのではない。
力を誇示もしない。
ただ、相手の力すら利用し、完璧にコントロールして制する。
圧倒的な「格」の違い。
そして同時にシオンは思う。
彼女が1位でいるうちは、自分に余計な火の粉が降りかかることはないだろう、と。
最強の盾として、このままトップを走り続けてほしいと切に願った。
◆
模擬戦が終わった演習場には、まだ熱が残っていた。
水の魔力が蒸発しきらず、砂地はところどころ湿っている。
歓声とざわめきは徐々に薄れ、生徒たちは自分たちの班や別の模擬戦の観戦へと散っていった。
けれど――完全に元の空気へ戻ることは、なかった。
理由は単純だ。
今日の訓練で、“想定外”がいくつも露呈したからだ。
「……すごかったな」
ぽつりと、ナギが呟いた。
視線の先には、片付けをしているアリアたちの背中がある。
「1位って、やっぱ別格やわ。
ウチらが必死で追いかける“上”に、普通に涼しい顔して立っとる」
ナギの声には、悔しさよりも納得があった。
エルドも黙って頷く。
「順位は伊達じゃない。
力量も判断も、戦いの組み立ても……一段違う」
「……でも」
ミナが小さく言葉を継いだ。
「それだけじゃ、なかった気がします」
二人がミナを見る。
ミナは少し迷ってから、視線をシオンのほうへ向けた。
「シオンさん、あなたも……本気ではなかった気がします」
空気が、わずかに張りつめた。
「……え?」
シオンは一瞬、反応が遅れた。
(やば)
『あら、あの子。気弱そうに見えて随分鋭いのね』
「い、いや、そんなことないって! あそこで止めてもらわなければ、今頃どうなってたか……」
必死に否定するが、語気が揺れる。
ナギはじっとシオンを見てから、にやっと笑った。
「なぁシオン。シオンが本気を出していてもいなくても、しっかりと強さは伝わったで。少なくともウチよりは確実に強い」
「……それは」
「嘘ついたわけやないんやろ?」
責める声ではない。
ただ、事実を確かめるような口調。
ナギは続けた。
「でもな、ウチ思うねん。
ちゃんと理由もあるんやろ?」
核心を突く一言。
シオンは返事をせず、視線を逸らした。
答えないことが、答えになってしまうタイプの沈黙。
「まあ、ええわ」
ナギはそれ以上踏み込まなかった。
「人には人の事情があるしな。
ウチも、あんまり家の話とかせぇへんし」
そう言って、肩をすくめる。
彼女の中にも、触れられたくない何かがあるのだろう。
「ただ一つだけ言うとくわ」
ナギは悪戯っぽく笑った。
「シオンは、
“目立たんようにするんが下手”やで」
「……それ、今日一番きつい」
エルドが小さく吹き出し、ミナもくすっと声を漏らす。
その温かい空気に、シオンはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
『いいじゃない。
ちゃんと“人の輪”に入れてるわよ』
茶化すように煽るディアナに、シオンは心の中で悪態をつきつつも、その表情は先ほどよりも穏やかだった。
◆
少し離れた場所。
演習場の端で、腕を組みながらその様子を見ている生徒がいた。
雷属性の精霊を従えた、鋭い目つきの青年。
――ライゼル・ヴォルトレイグ。
学院序列8位。
「はっ……」
彼は鼻で笑った。
「9位があのザマかよ。
こりゃ俺が直接叩くまでもないな」
周囲にはそう聞こえるように吐き捨てた。
だが、その瞳の奥には、周囲のモブとは違う色が宿っていた。
侮蔑ではない。苛立ちと、疑念だ。
(……精霊を庇って試合放棄、か)
ライゼルは無意識に舌打ちをした。
(理由がわからねぇな)
あれが本当にただの上級精霊なら、蒼牙水龍をあそこまで無傷でやり過ごせるはずがない。
あの猫は、王級の一撃を完全に無効化したのだ。
そして何より。
(あのタイミングで降参する理由もわからねぇ)
力負けではない。
精霊の限界でもない。
あれは――まるで「事故」を避けるような、冷静すぎる判断だった。
「……面白ぇ」
ライゼルの口角が、凶暴に吊り上がった。
獲物を見つけた獣の笑み。
「まずは、お前から潰して化けの皮を剥いでやるよ」
8位の男の殺意が、9位の少年に向けられた瞬間だった。




