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アリアの合図により放たれた蒼い魔力の奔流が、巨大な顎となって空間を喰らい尽くす。
――蒼牙水龍。
王級精霊の魔力が乗った一撃。
術式自体の難易度は中級上位程度だが、込められた魔力の「質」と「量」が桁外れだ。
直撃すれば、学生の訓練レベルなど容易に超える破壊力を生む。
轟音が走り、龍がディアナの小さな身体を飲み込んだ。
水柱が砂地に叩きつけられるように弾け、結界が悲鳴を上げて振動する。
観客の息が止まる。
「……っ、やば……あれは無理やろ……」
ナギの乾いた声は、周囲の生徒たちの本音そのものだった。
模擬戦で出していい火力ではない。
水煙が舞い、視界が白く霞む。
砂地のあちこちに水たまりが広がり、王級の威圧感が余韻となって空気を震わせていた。
誰がどう見ても“決まった”一撃。
しかし。
水煙の奥から、
ぴちゃ、と。
水を弾く軽い足音が響いた。
「…………え?」
アリアでさえ、小さく声を漏らす。
現れたのは――
まったくの無傷で、水気すら帯びていない金色の猫。
尻尾をふわりと揺らしながら、まるで午後の散歩から帰ってきたような顔で歩み出てきた。
『にゃぁ〜……いい水だったわねぇ。
ほんのり冷たくて気持ち良かったわ』
ディアナは悠然と座り込むと、前足を舐め、優雅に毛づくろいを始めた。
一拍の静寂の後、観客のざわめきが一気に爆発する。
「……無傷……?」
「今の、直撃したよな!?」
「結界が揺れるレベルだったぞ……意味がわからん……!」
アリアの瞳が、かすかに揺らぐ。
(効いていない……? 並の防御魔術ではありませんね。単なる属性相性の問題でもなければ、説明がつかない……)
その思考の隙に、アリアの背後の空気が微かに震えた。
主の動揺を察知し、水王級精霊セレスティアが低く囁く。
『アリア。少々、気になることがあります。
私たちも【精霊実体化戦闘】で戦いましょう』
「……気になること?」
『あの猫……底が見えません。こちらの姿でなければ、不測の事態に対応できない可能性があります』
アリアは目を伏せ、すぐに決断した。
王級精霊の警告を無視する愚は犯さない。
「わかりました。セレスティアの言う通りに」
アリアの全身から白い魔力が噴き上がる。
それは水が光へと昇華したような神聖さを纏い、人の形に近い精霊の姿を現世に固定していく。
圧倒的な魔力の顕現。見ている者全てを魅了し、ひれ伏させるような「王」の気配。
『アリア、油断は禁物です。
“あの精霊”……普通ではありません』
「……はい」
アリアは気を引き締めて構え直す。
一方その頃、ディアナは――。
『ふふん♪ 本気ってこと?
いいわねぇ……空気が美味しくなってきたじゃない』
毛づくろいをやめ、尻尾をピンと立てる。
その瞳は、猫という愛玩動物のものではなく、“狩りの獣”の光を宿していた。
(あっ……だめだ。これは……)
シオンの脳裏に、最悪の未来図が鮮明に浮かぶ。
王級とディアナが全力でぶつかり合う光景。
学院の演習場が消し飛び、新聞の一面に「新入生、地図を書き換える」と載る未来。
そして、「謎の9位」の正体が完全に露見し、静かな生活が永遠に失われる未来。
(止めるしかない!!
でも自然に! 9位の実力不足だと思わせて! 自然に……!)
ディアナが金色の光を帯びはじめる。
セレスティアも迎撃態勢に入る。
空気が軋み、臨界点を超えようとした――その瞬間。
シオンは肺の空気をすべて使い、叫んだ。
「──あーーっ!!
だ、だめだ! 僕の精霊が大怪我だーーー!!」
シオンは頭を抱え、大根役者も裸足で逃げ出すほどの棒読みで続けた。
「うわぁーーこれはもう戦えないやつだーー!!
内側! 内側にダメージがいってる!!
アリアさん! 本気出しすぎですよぉーー参った参った!!」
……静寂。
生徒一同。
「「「は?」」」
「えっ……どこが……どこが怪我……?」
「いや濡れてへんし……毛ヅヤめっちゃいいけど……?」
「なんのつもりだ?」
当然の疑問視線が突き刺さる。
だが、シオンは必死だった。恥など捨てた。ここで止めなければ人生が終わる。
そんな空気の中でも、アリアはぴたりと動きを止めた。
彼女はきょとんとして、シオンと、元気そうな猫を交互に見る。
「…………そ、そうですか。
……では、ここで終了ということで」
セレスティアも静かに頷き、実体化を解いた。
『アリア、賢明な判断です。これ以上深入りすれば、訓練の範疇を超えるところでした』
アリアは一瞬だけシオンに鋭い視線を投げ――しかし深くは追求せず、静かに微笑んだ。
(たすかったぁぁぁ……!! 最低の演技だったけど、止まった……!!)
シオンは心の底で膝から崩れ落ちた。
精神的な疲労が、肉体のそれを遥かに超えている。
『怪我なんてしてないわよ!! 今からだったのに!!』
にゃあにゃあ抗議するディアナの声をすべて無視し、シオンは大きく、重いため息をついた。
こうして、学院を物理的に揺るがしかねなかった模擬戦は、
何も壊れず、誰も傷つかず――
ただし、とてつもなく大きな「困惑」だけを残して幕を閉じた。
◆
「では……ミナさんはどういたしましょうか?」
場の空気をリセットするように、アリアがまだ模擬戦を行なっていないミナへ水を向けた。
「あ、あの! も、もしよかったらエルドくんと組ませてもらってもいいですか?
昨日すこし特訓したんです! 私の実力だと、アリアさんには一人じゃ敵いませんし……」
「確かに。アリアもまだ余力があるだろうし、俺は賛成だ。勝ち負けではない、自分がどれだけやれるかを測る訓練としては最善だろう」
エルドが頷き、アリアに視線を送る。
エルド・ミナ組 vs アリア。
変則的だが、実力差を考えれば良いハンデ戦だ。
「いいんじゃないか? 僕の精霊は……ほら、大怪我で回復に時間がかかるしね」
「ウチも賛成や! ウチを倒したエルドがどれだけ1位と戦えるのか見てみたいしな!」
シオンも(冷や汗を拭いながら)ナギも首を縦に振る。
「わかりました。では、お二人のお相手をさせていただきますね」
アリアは穏やかな顔つきで了承し、再びフィールドへ向かう。
(……先程のシオンさんの精霊。とても気になりますが、機会はいくらでもあるでしょう。セレスティアがあそこまで警戒するのには、何かあるはずです)
アリアの中で、シオンへの警戒レベルが「要注意」へと静かに引き上げられたことを、シオンはまだ知らない。
いつのまにか増えていたギャラリーも少し落ち着きを取り戻しているが、1位の戦いに対して引き続き興味を示している。
この学院は順位が全てだ。だれもがトップを目指し、その背中を目に焼き付けようとする。
だが、その熱気の中に一人。
アリアではなく、戦線離脱したシオンを見つめる冷ややかな視線があった。
「はっ! 9位があのザマかよ!ビビって演技で逃げ出すとはな……こりゃ俺が直接叩くまでもねぇな」




