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「では、次は私たちの番ですね。よろしくお願いします」
「お、お手柔らかに……」
シオンは顔面の筋肉を総動員して、ぎこちない笑顔を貼り付けた。
目の前に立つのは、アリア・フェンリズ。
水の王級精霊契約者にして、今年の新入生序列1位。
名前も、実力も、美貌も、この場にいる誰よりも注目されている少女。
(もちろん相手にとって不足はない……いや、不足はないんだけど!)
『いいじゃない。せっかくなんだからちょっとくらい楽しみなさいよ?』
ディアナが脳内でくすくすと楽しげな声を漏らす。
(楽しめるわけないだろ。こっちは実戦経験ゼロの一般人(設定)なんだぞ)
シオンは内心で悲鳴を上げた。
過去を振り返っても、ここまで逃げ場のない山場はそうそうない。
相手は正真正銘の王級。対する自分は、機材トラブルの事故で祭り上げられた、中身スカスカ(ということにしておきたい)暫定9位。
注目されないわけがない。
先ほどのエルドとナギの戦いがハイレベルだったこともあり、加えて「1位の初戦闘」というイベントも重なり、他班の生徒たちまでもが手を止めてこちらを見ている。
そんなシオンの葛藤を悟ったのか、それとも単なる強者の余裕か、アリアは柔らかく微笑んだ。
「緊張なさっていますか? 大丈夫ですよ。ただの模擬戦ですから」
落ち着いていて、澄んだ声。
その気遣いに少し驚いて、シオンは反射的に返してしまった。
「……ああ、そうだね。胸を借りるつもりで行かせてもらうよ」
アリアはわずかに瞬きして、微笑みを深めた。
表面上は取り繕って冷静に見えるシオンだが、その内面では冷や汗の滝が流れている。
このまま無策で戦えば、瞬殺されて恥をかくか、逆にディアナが暴走してまた「爆破」することになる。
どちらも地獄だ。
(ど、どどどうしよう。ディアナ。頼む、あとで何でも言うこと聞くから、なんとか上手く収めてくれ……!)
『言ったわね、シオン!』
ディアナの声が弾んだ。
『任せなさい! アナタが私にそこまで言うなんて、随分と太っ腹じゃない! 悪いようにはしないわ!』
(……あ、しまった)
言った直後に強烈な後悔が襲ってきたが、もう遅い。背に腹はかえられない。
シオンは腹を括った。
だがその決意(とディアナの歓喜)は、対峙するアリアには別の意味で伝わっていた。
「……シオンさんの精霊も、やる気のようですね」
アリアの瞳がすっと細められる。
「姿は見えませんが、随分と高揚した魔力を感じます。……良い闘志です」
「……へ? あ、やべ……! そ、そそそうなんだよ、僕の精霊はやる気みたいでね。お手柔らかにお願いするよ」
弁解する間もなく、視線が集まる。
もはや引けない。
アリアが一歩、砂を踏みしめて前に出た。
その瞬間、空気の密度が変わった。
静かで落ち着いているのに、こちらへ向けて放たれる圧の“質”が違う。
水の魔力が場を包み、温度がほんのわずかに下がる。
(……強い)
シンプルにそう思った。
これが王級。世界が違う。
アリアは手を上げ、淡い光の粒を散らせる。
「では、始めましょう──セレスティア」
アリアの声に合わせて魔力が集まる。
姿こそ見えないが、そこに「王」がいることは誰の目にも明らかだった。
「……」
エルドもナギも、息を呑んで見入っている。
聞き耳を立てていた他班の生徒たちも静まり返った。
「ナギさん、よろしければ開始の合図をいただけますか?」
「う、うん。ほな……はじめ!」
アリアに声をかけられ、我に返ったナギが合図を送る。
「先制はシオンさんにお譲りします。遠慮なくどうぞ」
『それなら遠慮なく行かせてもらうわ!』
(お、おい! 目立ちすぎるなよ……!?)
シオンの制止は間に合わなかった。
アリアの声に反応したディアナが、シオンの中から飛び出し、実体化した。
「ね、猫ちゃん?」
誰かが呟いた。
金色の粒子を纏って現れたそれは、小さく可愛らしい、黒い猫の姿だった。
だが、次の瞬間、場の空気がどよめきに変わる。
「――おい待て、あれ」
「具現化してるのか……? 独立して?」
エルドが目を見開いた。
アリアもまた、その表情に驚きの色を浮かべる。
「随分可愛らしい精霊ですね。それにしても……【精霊実体化戦闘】ですか」
アリアの声色が、一段階真剣なものに変わった。
【精霊実体化戦闘】。
本来魔力の塊である精霊を、術者の制御下で実体化させ、自律的に戦わせる高等技術。
術者本人と精霊の高度な二重思考が必要であり、上級以上の精霊使いでも扱える者は少ない。
それを、この9位の少年は、初手で、無詠唱で行ったのだ。
「可愛い姿でも、油断はできませんね」
(違うんだ! 僕はただ基礎魔法を使おうとしただけで……!)
シオンの心の叫びは届かない。
周囲の評価が「可愛い」から「とんでもない実力者」へと、勝手に爆上がりしていく。
『それじゃ行くわよ!』
「にゃーーん!」と可愛らしく、しかし衝撃波を伴う声を上げながらディアナがアリアに迫る。
速い。
ものすごい速度で肉薄するディアナに、アリアは感嘆の表情を浮かべた。
「やはり、ただの猫ではありませんね。フェンリズ家の者として、負けるわけにはまいりません!」
常人には目で追うのがやっとの速度で、アリアはディアナの攻撃を回避する。
金色の粒子が宙を舞い、戦いの中で幻想的な軌跡を描く。小柄な見た目とは裏腹に、ディアナの攻撃軌道は鋭く、狙いは寸分の狂いもない。
しかしアリアは、わずかな足さばきでそれをいなす。
風も砂も乱れず、ただ“回避したという結果”だけがそこにある。
その動きは――学生レベルのそれではなかった。
王級契約者の、“格そのもの”。
(たのむぞディアナ……。うまくやってくれよ……。あまり派手にしないで……)
一人だけ場違いなテンションで胃を押さえているシオンをよそに、戦いは加速する。
細かなステップで攻撃を躱すアリアには、まだ余裕があるように見えた。
「なかなかのスピードです。シオンさんとの思考リンクも完璧。ここまでの精度にするには、さぞ苦労されたことでしょう」
(苦労しかないよ! 別の意味で!)
「ですが、そちらもまだまだ本気ではないはず。……私からも仕掛けさせていただきますね!」
アリアが、ふわりと後ろへ跳んだ。
大振りになったディアナの爪撃を、大きな動作で避ける。
それは回避ではなく、予備動作だった。
「――蒼牙水龍《サファイア•ファング•レヴィアタン》!」
刹那。
アリアを纏う清浄な魔力が、凶暴なまでの水気を帯びた。
膨れ上がった水流は瞬く間に巨大な顎となり、龍の姿へと変化する。
「あれが、王級の力……」
ナギ、エルド、ミナを含め、この戦いを見ている全員が息を呑んだ。
たかが模擬戦で出す規模ではない。
それでもアリアは、まだ本気ではないと言わんばかりに涼しい顔をしている。
彼女は巨大な水龍を背負い、微笑みながらシオンに対して手をかざした。
「では、シオンさんの力。……『ここまで』届くか、拝見させていただきますね?」
(……無理無理無理! 届かないし届きたくないから!!)




