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中立国ルート王国の王都。
世界大会のメイン会場に隣接する大広場は、むせ返るような熱気と、屋台から漂う香辛料の匂いに包まれている。
パラソルが並ぶオープンテラスの一角。
そこだけが、周囲の喧騒から少し浮いたような空気を放っていた。
「――で、あのバカはどこ行ったんや」
ストローを噛み潰さんばかりの勢いで、ナギがテーブルに身を乗り出す。
彼女の視線の先には、空のグラスと、広げられたままの大会パンフレット。
そして、一緒にテーブルを囲む見知った顔ぶれ。
ミナ、エルド。さらには、フェンリズ家の令嬢であるアリアとアリス、その後ろに控えるメイドのイオリとシンシア。
「……十中八九、どこかの木陰で昼寝でもしてるんだろうな」
エルドが腕を組み、呆れたようにため息を吐く。
「試合をすっぽかして無断棄権。いかにもあいつらしいといえばらしいが……」
「でも、シオン君がそんなに無計画なことするでしょうか?」
ミナが心配そうに首を傾げた。
「棄権するにしても、事前の申請くらいはすると思うんです。無断棄権なんて、逆に一番目立っちゃうじゃないですか」
「あー、確かに。シオンのやつ、『目立ちたくない』が口癖だもんね」
アリスが山盛りのクレープを頬張りながら同意する。
「てことは、寝坊? それとも、迷子?」
「あのシオンさんが、ですか? ……考えにくいですね」
アリアが、静かに紅茶のカップを置いた。
その碧眼には、冷静な分析の光が宿っている。
「彼の実力と、あの黒猫……精霊がいれば、迷子や不測の事故などあり得ません。だとすれば、理由は一つ」
アリアの言葉に、全員の視線が集まる。
「……誰かに、用事を押し付けられた」
「「「あー……」」」
ナギ、ミナ、エルドの三人の声が見事にハモった。
シオンの「巻き込まれ体質」は、今や彼らの間では共通認識だ。
「しかも、なにか公式なルートではなく、裏から。以前もシオンさんが学院で姿を見なかった期間がありましたよね。その時も何があったかははぐらかされましたが、おおよそエリナ先生あたりから厄介事を頼まれたのではないでしょうか」
アリアの推測は、恐ろしいほどに的を射ていた。
「ありえるわ。めっちゃありえる」
ナギが深く頷く。
「あの人、シオンのこと便利使いしとるフシあるし。シオンもシオンで、文句言いつつ結局は断りきれんからな」
「……つまり、また私たちの知らないところで、なにか危険なことをさせられてるってことですか?」
「それは許せへんな」
ナギが立ち上がった。
「せっかくの世界大会や。うちらだけ楽しんで、あいつだけ裏でコソコソしてるんは気に食わん。見つけ出して、無理やり祭りに引きずり回したる!」
◆
「なら、手分けをして探しましょう」
アリアも優雅に立ち上がる。
「私たちフェンリズ家は、運営本部や教師陣のテント周辺を当たります。エリナ先生の動向を掴めれば、シオンさんの居場所も分かるはずです」
「えー、アタシもシオン探しに行きたいのにー」
「アリス様は顔が広すぎます。変に人混みを歩けば、他国の選手に絡まれて余計な時間を食うでしょう」
イオリがすかさずアリスを牽制し、シンシアも「そ、そうですぅ!」と続く。
「分かった。じゃあ、そっちはアリアたちに任せるわ」
ナギがポンと手を打つ。
「うちらは足使って、会場の周りとか選手用のキャンプエリアを探してみる。あいつのことや、どうせ人混みを避けて、日陰とか裏路地みたいな暗ぁーいとこにおるんやろ」
「了解だ。何かあれば、これで連絡を取り合おう」
エルドが通信用の小型魔道具を掲げて見せたあと、アリアに一つ手渡す。
「見つけたら、絶対に逃がすなよ」
「当たり前や。首根っこ掴んででも連行したるわ」
方針は決まった。
「では、後ほど」
アリアが美しく一礼し、アリスたちと共に本部棟の方角へ歩き出す。
それを見送ったナギは、ミナとエルドに向き直った。
「よし、うちらも行くで! シオン捕獲作戦、開始や!」
◆
メイン会場から少し離れた、選手用のキャンプエリア。
各国の代表たちが設営した大小様々なテントが立ち並び、様々な言語と、属性の異なる精霊の魔力が複雑に交差している。
熱気。喧騒。そして、むせ返るような魔力の匂い。
「……おらんなぁ」
ナギは額の汗を拭いながら、辺りを見回した。
「すみませーん、この辺で黒髪で、いかにも『帰りたい』って顔した男子生徒見んかった? あ、足元に黒猫おったかもしれんのやけど」
通りすがりの商人や、他校の生徒に声をかけるが、皆一様に首を振る。
世界中から人が集まるこの王都で、黒髪の少年一人を見つけるのは、砂漠に落とした針を探すようなものだ。
「やっぱり、こんな人が多い場所にはいないんじゃないか?」
エルドが周囲を警戒しながら言う。
「あいつの性格なら、大会の熱気が届かないような、もっと静かな場所を選ぶはずだ」
「静かな場所……」
ミナが手元のガイドマップを広げる。
「この周辺で人が少なそうなのは……裏通りの旧市街か、もしくは……『祭祀区』の方でしょうか。あちらは観光客は入れますけど、お祭り騒ぎをするような場所じゃないですから」
「祭祀区か。確かに、あいつなら行きそうやな。よし、そっちに行ってみよ――」
ナギが言いかけた、その時だった。
ピタ、と。
ミナの足が止まった。
「……ミナ?」
ミナは、何も言わずに立ち尽くしている。
その顔から、すっと血の気が引いていた。
彼女の視線は、人混みの向こう……まさに今、名前が挙がった『祭祀区』の方角へと向けられている。
「……気のせい、でしょうか」
震える声。
「なんだ? 何か感じたのか?」
エルドの問いに、ミナは自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
そこには、彼女の契約精霊がいる。
普段は穏やかな地属性の精霊が、今は微かに、しかし確実に「震え」を伝えてきていた。
「分かりません。魔力とか、そういうものを感じたわけではないんですが。というより何も感じないんです。でも……」
ミナは、乾いた唇を舐める。
「なんだか、とても……『嫌な予感』がします。あの時…… 外部実習で感じたような……」
その言葉に、ナギとエルドの空気が一変した。
あの、遺跡での出来事。
精霊の暴走。そして、あの規格外の力。
「……冗談やろ」
ナギが低く呟く。
「シオン、お前……またなんか、とんでもないモンに足突っ込んどるんちゃうやろな」
見上げた空は、変わらず青い。
だが、その青空の向こう側に、目に見えない巨大な「影」が落ち始めているような、そんな錯覚を三人は同時に覚えていた。




