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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
第7章

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王都の喧騒が、分厚い石壁の向こう側へと遠ざかっていく。

シオンは薄暗い祭祀区の裏通路を、重い足取りで歩いていた。

昨日、あの小悪党の男が鍵を差し込もうとしていた石碑のある前室へ。

経路は頭に入っている。迷うことはない。


隣を歩くのは、2学年序列1位『氷の魔女』シュナ。

彼女の歩みは、まるで幽霊のように音がない。

白銀の髪が薄闇の中で淡く発光しているように見え、彼女自身がこの古い遺跡の一部であるかのような錯覚さえ覚える。


会話はない。

シオンから話しかける気はないし、シュナも口を開かない。

ただ、ひんやりとした冷気だけが、彼女の存在を主張していた。


(……どうしてこうなった)


シオンは内心で、本日何度目かわからないため息を吐く。

表通りでは、世界大会の熱狂が続いている。世界の精鋭や学院の選抜たちが純粋に頂点を目指し、あるいは一喜一憂している光景が、今はひどく眩しく、そして遠い。

本来なら、自分もあちら側の「観客」として、平穏な日常を消費しているはずだった。


それがなぜ、こんなカビ臭い地下通路で、学院トップクラスの化け物と肩を並べて歩いているのか。

答えは明白だ。

見過ごせなかったから。

いや、正確には「見過ごせば自分の平穏が根本から破壊される」と本能が理解してしまったからだ。


コツ、コツ。

シオンの靴音だけが、不気味なほど規則的に反響する。

石壁の隙間から入り込む風が、ヒュウと泣くような音を立てる。

光が届かない地下への傾斜は、まるで巨大な獣の食道へと自ら歩みを進めているような不快感があった。


普段なら、ディアナが影の中からからかいの言葉を投げてくるはずだった。

だが、今の彼女は沈黙を保っている。

それが逆に、これから向かう場所の異常性を際立たせていた。


(何も起きていませんように。ただの杞憂で、石碑が大人しく眠っていますように)


そんな都合の良い願いは、叶わないと知っている。

それでも祈らずにはいられないほど、この通路に満ちる「静寂」は重かった。

シオンは上着のポケットに両手を突っ込み、極力音を立たせないように歩幅を調整する。

シュナもまた、魔力の一滴すら外部に漏らしていない。

完璧な隠蔽。

二人の「規格外」が、息を潜めて深淵へと近づいていく。


隣を歩くシュナが、ふと視線を前に向けたまま、僅かに瞬きをした。

ガラス玉のような無機質な瞳が、暗闇の奥を捉えている。

彼女の纏う空気が、一段階冷たくなった。


「……」


言葉はない。

だが、彼女のその微細な変化が、目的地が近いことを、そして「異常」が現在進行形で起きていることを告げていた。

やがて、通路の傾斜が緩やかになり、少し開けた空間――前室の入り口が見えてきた。


 

 


前室に足を踏み入れた瞬間。

シオンは、反射的に呼吸を止めた。


「……これは」


ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど低かった。

昨日とは、違う。

昨日、あの男が鍵を差し込んだ時は、空間が物理的に軋み、重く淀んだ空気が溢れ出してくるような「圧」があった。

だが今は、その「圧」すらない。


魔力の流れが、完全に狂っている。

水が高いところから低いところへ流れるという、世界の当たり前の理。

それが、ここでは無視されていた。

空気が、渦を巻くことなく一方向へ――前室の奥、石碑のさらに向こう側へと「吸い込まれて」いる。

魔力だけではない。熱も、音も、光さえも。

そこにブラックホールがあるかのように、すべての概念が静かに、そして確実に収束していた。


『……不愉快ね』


シオンの足元の影が、ぞわりと歪んだ。

ディアナだ。

普段の余裕に満ちた甘い声ではない。

明確な嫌悪。そして、狩猟者が自身の縄張りを荒らされた時のような、冷たく鋭い警戒。


『私の世界に、泥足で踏み入る不作法者がいるわ』


金色の粒子が影の中で明滅する。

今すぐにでも飛び出して、その元凶を消し炭――いや、存在ごと消去しかねない怒気。


「……待て、ディアナ。勝手なことをするな」


シオンは脳内で強く制止する。

隣のシュナが、スッと一歩前に出た。

彼女の足元から、パキパキと音を立てて薄い氷が床を這う。

それは攻撃ではない。周囲の狂った魔力流動から、自身とシオンを切り離すための「境界」。


「……開いてる」


シュナが、前室の奥を見据えて呟いた。

昨日、シオンとシュナが無理やり閉じたはずの石壁。

その継ぎ目が、今ははっきりと左右に割れ、漆黒の口を開けていた。


開かれた石壁の奥。

そこは、昨日シオンが直感した通りの「深淵」だった。

一切の光を拒絶するような暗闇の中、淡く発光する魔石のランタンが一つだけ置かれている。

その頼りない光に照らされて、一人の人影が立っていた。


【仮面の男】だ。

男は祭祀区の案内に立つようなローブを深く被り、顔の上半分を奇妙な意匠の仮面で隠している。

その手には、昨日シオンが奪い取ったはずの「偽物の鍵」とは似て非なる、しかし確かな魔力を帯びた別の『鍵』が握られていた。


男は、石壁の奥に安置された巨大な台座――幾重にも鎖で封印された『箱』のようなものに手を伸ばしているところだった。


「……誰だ」


シオンの低い声が、静寂の空間に響いた。

【仮面の男】は、驚く様子もなく、ゆっくりとこちらを振り返る。


「……おや。警備網は抜けてきたつもりでしたが、まさかこんな子供たちに見つかるとは」


男の声は、どこか機械的で、感情の起伏が感じられない。

昨日遭遇した小悪党のような焦りや恐怖は微塵もなかった。


「子供で悪かったな。悪いことは言わない、その手を引いて今すぐ帰れ。そうすれば見逃してやる」


シオンはポケットから手を出さず、極力面倒事を避けるための提案をした。

本心からの言葉だ。

あの台座にあるものに、これ以上干渉してほしくない。本能がそう告げている。

だが、男は仮面の奥で小さく笑った。


「それはできませんね。私の任務は、この奥に眠る『古代の遺物』を回収することですから」


「遺物……?」


「ええ。あなた方のような学生には理解できないでしょうが……かつてこの地で動乱を鎮めたとされる、8柱の精霊。その膨大な魔力と『概念』が、この祭器には封印されていると言われています」


男の視線が、背後の台座へと向けられる。


「世界を鎮めたとされる絶対的な力。それを解析し、我が『組織』の悲願に繋げる。そのためには、どうしてもこれが必要なのです」


(……組織、だと)


シオンの眉間が、険しく寄る。

原相方舟アークヘルム・エイドス

エリナから聞いていたあの組織が思い出される。

やはり、この男もあの組織の人間か。ナギの精霊を暴走させた連中。

彼らは王級契約者の量産だけではなく、この国に眠る古代の力までも手中に収めようとしている。


「……愚か」


シュナが、冷たく言い放った。


「それを持ち出せば、どうなるか分かっていない。その箱は、力を与えるものじゃない。ただの『重し』」


「ほう?子供風情がなぜそのようなことを?」


男がシュナへと興味の矛先を変える。


「理解する必要はない」


シュナの周囲の温度が、一気に絶対零度へと急降下した。

彼女の白魚のような指先が、男へと向けられる。


「置いて、消えろ」


一切の交渉を拒絶する、氷の魔女の宣告。

男はそれを受け、仮面の奥の目を細めた。


「……なるほど。どうやら、ただの迷子の学生というわけではないようだ。ならば――」


男の全身から、どす黒い魔力が噴き出した。

それは、昨日見た小悪党の比ではない。明確な殺意と、高度に訓練された戦闘者の気配。


「ここで『処理』していくしかありませんね」


シオンは、深く、深くため息を吐いた。


「……だから、面倒くさいって言ったんだ」


シオンの足元で、金色の粒子が明滅を始める。

平和な日常を守るための戦いが今、静かに幕を開けようとしていた。

 

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