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静かに暮らしたい最強は、どうやら巻き込まれ体質のようです  作者: じゅくすい
序章

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 入学式というものは、本来もっと雑然としているはずだ、と私は思う。


 初々しい歓声、再会を喜ぶ声、式次第など誰もまともに聞いていないざわめき。例年の式典ホールは、そんな喧噪で満ちている。我々教師の仕事は、それをほどほどに静め、形だけでも儀式に整えることだ。


 だが、今年のホールには騒がしさがなかった。


 1500を超える生徒と来賓が集まっているにもかかわらず、広大な空間を満たしているのは静寂に近い緊張だけだった。ざわめきはある。だがそれは、声というより「気配」の集まりに思えた。


 誰もが落ち着かず、それでも声を潜めている。


 理由は明白だ。


 今年の新入生には、王級精霊契約者が三名いる。


 王級精霊──精霊階位の頂点に座する存在。契約者は、それだけで一国の戦力に匹敵すると言われる。十年に一人現れるかどうかの存在が、同じ年に三人。学院の歴史を遡っても例はない。


 式典に先立つ職員会議でその報告を聞いたとき、私は「誤記では?」と本気で問い返したくらいだ。記録官は苦笑し、学院長は「時代の変わり目だ」とだけ告げた。


 その変わり目の中心が、この式典ホールに集まっている。


 天井に刻まれた古代術式が脈動し、壁面の契約紋章が淡く輝いていた。王級契約者を迎えるときだけ自動で起動する補助儀式だ。いまや誰も正確な制御方法を知らない、古い時代の遺物である。


 私は司壇に立ち、整然と並ぶ新入生の列を見渡した。


 皆、扉の方ばかり見ている。期待、緊張、あるいは恐怖。顔つきはさまざまだが、視線の向きだけは揃っていた。


 やがて、重い扉がゆっくりと開く。


 空気が変わる。ざわめきが細くなり、息を呑む気配が広がった。


 最初に現れたのは、蒼銀の髪を持つ少女だった。


 よく整えられた制服。背筋の伸びた姿勢。歩みは静かで、力みがない。しかし一歩ごとに、足元の空気がわずかに揺れる。彼女の周囲に集った水精霊たちが、きらめく粒となって舞い、やがて小さな輪を描いては消えていく。


 私は配布資料の名簿に視線を落とし、確かめるまでもなくその名を口にした。


「アリア・フェンリズ。契約精霊《Aquareion・セレスティア》──水の王精。」


 水の王級。静謐と秩序の象徴。


 彼女が一歩進むたび、ホール全体の空気が澄んでいくように感じた。魔力感知に鈍いはずの一般教員でさえこの圧だ。精霊術を専攻する者なら、なおさらだろう。


 二歩目の足音が響いた瞬間、今度は温度が変わった。


 紅の髪を高く結い上げた少女が、堂々とした足取りで続く。鋭い視線は真っ直ぐ正面を捉え、その周囲で火精霊たちが小さな焔となって揺れていた。床に刻まれた魔術回路が、その熱に反応してかすかに唸る。


「アリス・フェンリズ。契約精霊《Ignifer・アーク=ヴォルカ》──火の王精。」


 アリアの双子の妹にして、火の王級契約者。報告書でその文字を見たときは冗談かと思ったが、今こうして目の前を歩いている以上、疑いようがない。


 静と烈。凪と嵐。同じ家名を持ちながら、これほどまでに対照的な気配をまとう二人を、私は初めて見た。


 そして三人目が姿を現した瞬間、ホールの空気は一段階、質を変えた。


 金の髪に、金の瞳。歩みは柔らかく、微笑は穏やかだ。しかしその一歩ごとに、頭上の光を司る術式がわずかに反応し、彼女の周囲だけ、光の密度が高くなる。


 光精霊が集まり、足元へ小さな道を形づくる。光の粒はやがて花びらのように舞い、空中でほどけた。


「ルシア・アルステッド。契約精霊《Luxionis・エル・ラディアン》──光の王精。」


 光の王級。祝福と裁きの象徴。


 その名を読み上げた瞬間、新入生たちの背筋が一斉に伸びたのが見えた。畏れか、憧れか、それとも両方か。彼らの心を測る術は私にはないが、「頂点を見た」という共通の認識だけは、はっきりと伝わってきた。


 三人が壇上右手の王席へと進み、指定された席に腰を下ろす。


 それだけの動作にも、儀式のような威厳があった。まるで、その場所は最初から彼女たちのために用意されていたかのように。


 



 


 式典は予定通り進行した。


 学院長の挨拶、来賓の祝辞、学院の歴史の紹介。内容そのものは例年と変わらない。ホールに響く声も、使われる魔術具も、式次第の順番も同じだ。


 違うのは、聞いている側の意識だった。


 新入生たちの視線は、たびたび壇上右手──王席へと流れる。そこに座る三人は、並んで静かに前を見ていた。アリアは感情を表に出さないが、その瞳は冷静に場を観察しているように見える。アリスはわずかに退屈そうに足先を揺らし、ルシアは柔らかな微笑を保ったまま、誰かを安心させるような空気を纏っていた。


 この学院は、貴族も平民も、他国出身者も、推薦組も、同じ制服を着て同じ教室に通う。建前だけならば、『ここに立つ者は皆、同じ生徒である』と言うこともできる。


 だが現実として、あの三人は「同じ」ではない。


 彼女らが戦場に出れば、隊が一つ増えたのと同じ効果がある。王級契約者とは、そういう存在だ。わかりきった事実だが、こうして直接目の当たりにすると、あらためて現実味を伴う。


 生徒たちは心のどこかで、それを理解している。


 羨望する者もいるだろう。

 追いつきたいと燃える者もいるだろう。

 最初から諦めてしまう者も、きっといる。


 学院とは、そうした差異を抱えたまま始まる場所だ。


 



 


 式も終盤に差し掛かり、私は手元の原稿を一枚めくった。


 残る議題は、寮の説明と、初日の流れ。そして、今年から導入される新制度についてだ。


「これより、入学後一週間以内に実施される『個別属性検査』について説明します──」


 その言葉を口にしたとき、空気がわずかに張り詰めた。


 個別属性検査。すべての生徒に対して行われる、詳細な属性・適性診断だ。学年が進めば進路や配属に影響する。新入生にとっては、最初の公式な「評価」に等しい。


 ざわめきが起こる。

 緊張の気配、期待の気配、怯え混じりの息。


 私は続けようとして、ふと違和感を覚えた。


 ──音が、消えた?


 瞬間、風精霊のざわめきが止まった。

 火精霊の炎が揺らぎ、形を保てなくなる。

 水精霊の輪郭が崩れ、光精霊がふっと輝きを落とした。


 精霊たちが、一斉に身を縮めたように見えた。


 ほんの、一秒。


 生徒たちはまだざわめいている。人間の耳には届かないほど小さな揺らぎだったのだろう。それでも、精霊に意識を向けていると、はっきりとわかる。


 ──怯えている?


 その感覚に思い至り、私は無意識に口を閉じた。


 王級精霊は既にここにいる。

 《Aquareion・セレスティア》も、

 《Ignifer・アーク=ヴォルカ》も、

 《Luxionis・エル・ラディアン》も。


 それらに怯えるような精霊たちではない。むしろ誇りと憧れを持っているはずだ。だというのに、今の反応は──畏怖に近い。


 私は視線だけを動かし、王席を盗み見た。


 アリアがほんのわずかに目を細めていた。水精霊たちを通じて何かを測っているような、静かな集中の気配。アリスは不機嫌そうに舌打ちしかけ、ルシアは微笑を崩さないまま、ちらりと背後の扉へ視線を向ける。


 彼女たちも、何かを感じたのだろう。


 私は、扉の方を見た。


 遅刻者はいない。扉は閉じられ、廊下の気配もない。ただの静かな入り口。それ以上でも以下でもない。


 ……勘違いかもしれない。


 そう言い聞かせて原稿に視線を戻す。

 だが、精霊たちの一瞬の沈黙だけは、どうにも頭から離れなかった。


 あれは何だったのか。

 誰に、何に、反応したのか。


 考えはするが、答えは出ない。出せるはずもない。


 私は職務に戻り、淡々と説明を続けた。


 



 


 全ての議題を読み上げ終え、学院長の締めの言葉をもって式は終了した。


 重い鐘の音がホールに響く。

 術式が解除され、天井の紋章から溢れていた光がゆっくりと弱まっていく。


 新入生たちは、誘導に従って列を作りながらホールを後にした。緊張は薄れ、安堵と疲労の入り混じった笑い声があちこちから聞こえてくる。これでようやく、彼らの「学園生活」が始まるのだろう。


 その中で、王席の三人の周囲だけは、なお静かだった。


 生徒会役員と担当教員が取り囲み、距離を保ちながら彼女たちを先導している。通路は自然と開き、誰も彼女たちの真正面には立とうとしない。畏れと礼儀が混ざった、妙な間合いだ。


 アリアは相変わらず表情を崩さず、アリスは口元だけで退屈そうに笑い、ルシアは誰に向けるともなく穏やかな微笑を浮かべていた。


 三つの王が、学院という舞台に静かに座した。


 私はその背中を見送りながら、胸の奥で小さく呟く。


「……今年は、静かには終わらんな。」


 根拠はない。ただの教員の勘だ。

 だが、精霊たちの一瞬の沈黙と、王級契約者三人の異様な存在感を見てしまえば、そうとしか思えなかった。


 学院の一年は、いま始まったばかりだ。


 この先何が起きるのかなど、誰にもわからない。


 けれど一つだけ、確信めいた感覚が胸に残っていた。


 ──今日、この場所を通らなかった「何か」がいる。


 ふと、微かな猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 いや、幻聴か。この神聖な式典ホールに動物など入り込むはずがない。


 だが、精霊たちの一瞬の沈黙だけは、どうにも頭から離れなかった。

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