09.ケモミミとビデオ通話
禁制品「幻覚石」
細かく砕き、熱した煙を吸うことで幻覚を見ることができるその石は、一昔前にこの国で相当数出回ったらしい。
食事を食べることも忘れるほど幻覚にのめり込んでしまう者が現れたことで、この国では禁制品となったとのことだった。
世界が変わっても、人が依存するものも、考える抜け道も変わらない。
取引現場で取り押さえられた二人の男の尋問を、室外から見学しながら私はそう思った。
尋問室で、元憲兵の男は義兄であるシュレムの説得により、比較的素直に取り調べに応じている様子だった。
憲兵の手の内を知り尽くし、その裏をかいていると思っていた驕りを打ち砕かれたことが、彼には相当堪えたように見えた。
こちらの方は、裏付けの調査もすんなり進みそうだ。
問題は、取引相手の小太りの男の方であった。
◇
室内では、小太りの男がふてぶてしい態度で椅子に座り、厳しい尋問にも黙秘を続けていた。
その態度からは、裏社会で生きてきたであろうしたたかさが窺える。
きっと、自分に利益がなければ口を割らないだろう。
私がそう考えている間も、憲兵隊の脅しのような尋問を無視し、天井を眺めながら無言を貫いていた。なんとも骨が折れそうな相手だ。
この男から、どのようなルートで「幻覚石」を入手したのか聞き出したいが一向に進む様子はない。
引き続き私が尋問を聞いていると、エドヴァルトが様子を確認しにこちらにやってきた。
「何か進展したか」
「いえ、全く話す気は無さそうです」
扉につけられた小さい穴から中を確認したエドヴァルトは、フンと一つ鼻を鳴らした。
「いずれにせよ、こいつは罪人として牢屋行きだ。それが変わらぬ以上、我々に協力するつもりなど毛頭無いだろうな」
そうだろうなと、私も一つ頷く。
「なにか、聞き出せるようなきっかけがあればいいのに……」
そんな私の呟きが静かな廊下に落ちた時だった。
スマートフォンから、軽快なメロディが聞こえてきたのである。
「かかってきた……」
慌てて取り出した画面には「健吾」の名前と、「ビデオ通話」の文字が表示されている。
「えっ、ビデオ……!?」
驚きながらも尋問室から少し離れ、急いで応答ボタンを押す。
すると、画面いっぱいに健吾の顔が映し出されたのだった。
『おい蒼!! お前どこに……って、なんで猫耳なんてつけてんだよ!!』
……あ。忘れてた。
追跡調査のために被っていた猫耳ウィッグ。
数日間つけていたせいか、違和感もなくなり、今やしっくり来てしまっていたのだ。
うっかり付けたまま出てしまい、悲鳴に近い声を上げそうになるのを必死でこらえる。
そんな私を他所に、画面の向こうでは健吾が語気を強めていた。
『お前……異世界にいるとか言ってふざけた写真送ってきたと思ったら、次はお前が猫耳つけてるだと!? こっちは心配してお前の事務所に顔出してんだぞ!! いい加減にしろ!!』
彼の怒りはもっともだ。この口調も心配してくれている裏返しなのはよくわかる。
けれど、これ以上私には説明のしようがなかった。
「ご、ごめん健吾!! これは、その……」
なんとか伝えなければと焦っていると、不意にエドヴァルトが私に顔を寄せて覗き込んできた。
『……あんた、まだ耳つけてんのか』
ため息混じりの健吾の声。
写真で送ったエドヴァルトの顔を覚えていたらしい。
いい大人が長いこと仮装をしているのかと、怒りを通り越して呆れに変わったようだった。
そんな健吾を気にせずにエドヴァルトは口を開いた。
「私はエドヴァルト・シュタイン。蒼の上官だ」
画面越しの健吾を真顔で見つめ、低い声で続ける。
「お前が蒼の友人か。……どうすれば、お前は我々の状況を信じる??」
『は……? ? 信じるかって……おい、あんた、正気かよ』
真剣そのもののエドヴァルトの様子に、健吾は完全にドン引きしている。
まずい、完全に不審者扱いだ。
私は慌ててエドヴァルトを押し退け、画面に向き直った。
「こんなこと、信じられないのは分かる。でも、私が依頼中にふざけるような人間じゃないって、知ってるはずでしょ」
私の言葉に、健吾は一瞬眉を顰めた。
『……だから、怒ってんだろうがよ』
「健吾」
『言いたいことはわかる。お前が悪趣味な悪戯をしないことも、どんな依頼でも仕事中は真剣なこともよく知ってる。だからこっちは、お前から送られた写真みて、なんか変なもんでも吸わされてんじゃねえかって……』
健吾のその言葉に、私は強い衝撃を受けた。
そうだった。健吾は、警察なのだ。
私は、写真を見て信じてもらえるか以上に、健吾がどんな可能性を考えるかを考慮しなくちゃいけなかった。
それに至らなかった私自身に、少し嫌気がさす。
「ごめん、健吾。本当に、ごめん」
私たちが長いこと友情を築いて来れたのは、仕事への向き合い方が似ていたからと言うのが大きい。
だからこそ、私は彼に適当な嘘をつくことができなかったのだが、彼の心情を汲みきれなかったのは私の落ち度だ。
この後、どう言葉を続けたものかと悩んでいると不意に後ろから声がかかった。
「写真では足りなかったか」
振り返るとアレクサンドラ隊長がこちらに歩み寄って来ていた。どうやら、私と健吾が話している間にエドヴァルトが呼んでくれたらしい。
『……また増えた』
とうとう死んだ目で健吾がつぶやいた。もう、どうにでもなれと言わんばかりだ。
「けんご、と言ったか。そちらに獣人がいないのは私も蒼から聞いている。それならば、これを見たら少しは納得いくだろうか」
そう言ってアレクサンドラ隊長は、こめかみのあたりを見せた。
人間であれば、そこに人の耳があるはずの場所にはもちろん何もついていない。
『……凝った特殊メイクだな』
「蒼、とくしゅめいくとは何だ」
アレクサンドラ隊長の言葉に私は補足をした。その説明を聞いて、アレクサンドラ隊長は大いに笑い出す。
「なるほど、そちらにはそのような技術があるのか!! そしてその疑り深さ!! いい、いいぞお前」
アレクサンドラ隊長は満足そうにひとしきり笑った後、私の手からスマートフォンを取った。
え、と思うものの、後ろから肩を叩いて来たエドヴァルトが静かに首を振る。
眉間に皺を寄せ、諦めたような顔をしている彼は「ああなっては止まらん」と、疲れたように言った。
「どうすれば信じる?? 耳を動かして見せようか、なんなら尻尾も動くぞ」
嬉々として見せているアレクサンドラ隊長相手に火がついたらしい健吾が、あれこれと指示を出していた。
右の耳を動かせ、尻尾を触れ、こめかみのあたりの皮膚を引っ張れ……。
あれこれ指示したことを、全てその通りに動かされた健吾は最後に獣の耳の付け根を見せるように要求した。
「かまわんぞ、ほら」
そう言って毛をかき分けながら、律儀に見せるアレクサンドラ隊長に、とうとう健吾も黙ってしまった。自分の常識と映像の乖離に処理が追いつかないのかもしれない。
「これでも信じられないのであれば、尾の付け根も見せるしかないが……見るか??」
尻尾の付け根。
「……え、それってお尻の」
『け、結構です!!』
私の言葉が聞こえたのか、健吾の思考が戻ったらしい。慌てて否定する声は裏返っていた。
「うむ、そうか。蒼!! 納得したみたいだぞ」
ニコニコとアレクサンドラ隊長がスマートフォンを返してくる。私はこの言葉に「次否定したら尻尾を見せる」と言う副音声が聞こえた気がした。
おそらく、健吾もそのように聞こえたのだろう。返ってきた画面の向こうで、健吾は頭を抱えていた。
「……なんか、ごめん」
『いや、俺も……すまん』
「……こちらの者が失礼した」
わたしの背後にいたエドヴァルトも加わり、しばらくの間、奇妙な謝罪合戦が始まったのであった。
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