03. スープと最初の契約
「面白い」
彼が最後に口にした言葉の余韻が、静かになった路地裏に響いた。
ニヤリと歪められた口元はすでに戻り、目の前の男――シュタイン副隊長は、再び鋭いグレーの瞳で私を見下ろしている。
「詳しい話を聞かせてもらう。来なさい」
有無を言わさぬその声に、私は頷くしかなかった。
彼に促されるまま詰所へと向かう道すがら、私は出来る限りの観察をした。
街の様子、建物の造り、街中の人々の表情。
そして何より、シュタインに対する周りの反応。
道行く人々は、彼に気づくと皆一様に道を空け、軽く頭を下げていく。兵士たちは、すれ違いざまに寸分の隙もない敬礼を捧げた。
少しの恐れと、敬意の眼差しから、彼が実力を伴った人物であることが窺える。
この短時間で、彼の周囲からの評価を少し理解できた気がした。
そうして連れてこられたのは、憲兵の詰所の中でも奥まった場所にある部屋だった。
ノックもせずに入ったことから、きっと彼の執務室なのだろう。
机の上には書類の山が整然と積まれ、壁に貼られた大きな地図には無数の書き込みがあった。
机の隅には使い込まれたインクの染みがあることからも、彼の性格の一端が伝わってくる。
「さて、蒼……といったか。まず確認したい。なぜ、憲兵を見て逃げ出した」
椅子に深く腰掛けた彼は、尋問と言うには淡々とした調子で訪ねてきた。
これは、試されている。私はゴクリと唾を飲み込み、正直に話すことにする。
「……これを取り上げられたくなかったんです」
私はテーブルの上に、あの羅針盤と、ポケットに入れていたスマートフォンを置いた。
シュタインは眉一つ動かさず、それらを一瞥する。
「ここにくる前、私は行方不明者を探す依頼を受けました。この羅針盤と写真が唯一の手がかりで……」
そう言って、私はスマートフォンの画面を操作し、転送してもらった写真を表示させる。
人の良さそうな若者の顔が、小さな画面に映し出された。
「そして、依頼を受けた後に、こちらに来ていて。……それで、友人にこれで連絡をとろうとして……」
スマホを操作し、電話の履歴を表示して見せる。
その履歴の一覧と、『圏外』の表示が視界に入る。
私は、揺れ動く思考をなんとか押し込めて、シュタインに質問をした。
「あの。……私以外に、まれびとを保護していませんか」
そんな私の言葉に、シュタインは静かに返してくる。
「いや。他の稀人は、我々はここ数十年は感知していない。……もっとも、我々の預かり知らぬところで暮らしている可能性はあるが」
そのシュタインの言葉に、私の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
もしかしたら。ここにいなかったら。
いたとしても、一人でみつけられなかったら。
帰る手段は。連絡は。
無限に広がる考えを、なんとか抑え込もうとしながら口を開く。
「ここに来て、状況を伝えなくちゃと思って。……一度だけ、繋がったんです。もう一度、繋がるかもしれなくて――だから、取り上げられたくなくて、それで」
自分でも、何を言っているのか分からなくなってきてしまった。
冷静にならなければ。相手はこちらの事情がわからないのだから。情報を整理して、的確に伝えなければ。
そう思うのに、言葉が喉の奥で絡まって、うまく出てこない。
私が混乱していると、シュタインは静かに立ち上がった。
何かまずいことを言っただろうか。身構える私を尻目に、彼は部屋を出て行ってしまう。
一人残された部屋で、私は深く息を吐いた。
「子供じゃないんだから、冷静にならなきゃ」
彼のいない間に、出来るだけ心を落ち着けようとするも上手くいかない。
そんな状態のまま待つこと数分。
再び彼が戻ってきた時、その手には湯気の立つスープと、こんがりと焼かれたパンがあった。
「何か食べなさい。……少しは気持ちも落ち着くだろう」
無表情のまま差し出されたそれに、私は呆気にとられる。
けれど、温かいスープの匂いを嗅いだ途端、自分の身体が食事を欲していることに気がついた。
まとまらない思考のまま、おずおずとパンを手に取り、スープに浸して食べてみる。
少し熱すぎるスープが、喉を焼くように通っていく。けれど、その痛いくらいの熱さが、今はありがたかった。
美味しい。
そう思った瞬間、私の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
怖い。不安だ。帰りたい。
心の奥底に押し込めていた感情が、スープの熱さに溶かされるように、次から次へと溢れ出してしまった。
「やだ、ごめっ、ごめんなさい」
恥ずかしい気持ちになり、泣き止もうとしても止まらない涙。
しゃくりあげる私を、彼は何も言わずに見ていた。
そして、彼は大きな手を私の肩にそっと置いた。
「……事情は理解した。持ち物は取り上げない。厳しい聞き方をして悪かった」
その言葉の優しい響きが、私の心の奥に届いた。
「厳しくは、なかったじゃないですか」
少し可笑しくなってしまって、ふふふと笑いが込み上げてくる。
そもそも。先程の質問は必要な確認だったはずだ。
私が彼の言う「稀人」だとしても、憲兵から逃げたと言うのは、怪しむべき事案だろう。
何かしら後ろめたいことがあるのかと疑われるのは仕方がない。
涙を流したからか、少しずつ冷静な思考が戻ってきた。
私は涙を拭うと、目の前のシュタイン副隊長を見つめ返す。
「ご飯、ありがとうございます。……おかげで落ち着きました」
「そうか。他にも確認したいことがある。ゆっくりでいいから答えてくれ」
そうして彼は、私の仕事に関してより詳しい説明を求めた。
不倫調査、素行調査、人探し、信用調査……自分が関わってきた仕事を出来るだけわかりやすく伝えると、シュタイン副隊長は一つひっかかったようだ。
「それで、蒼はそこの長だったのか。その若さで」
その言葉に、私の肩がぎくりと跳ねた。
「あー、えーっと。理想の職場を作りたくて勢いで開業して……気づいたら一人所長になってたと言いますか……」
「……すまないが、もう少しわかりやすく言ってもらえるだろうか」
自分でやっておいてなんだが、人に一から説明するのはなんとも気恥ずかしい。
それでも、話さなければ進まない会話に覚悟を決めて、私は口を開く。
「……物語の中の難事件を解決する人に、憧れていたんです」
そして、事件解決は叶わなくても、彼が持つ世界の雰囲気に寄せた自分の城を作りたかったのだと正直に白状した。
「と言う訳なので、若くして所長と評されるのは……少し違うのですけど……」
ここまで言って、チラリと彼をみる。
途中から、立ち上がり窓の外を見るようにこちらに背を向けている彼の表情はわからない。
わからないが……その肩が小刻みに震えていた。
「……笑っているでしょう」
じっとりとした視線で彼にそう声をかけると、彼は一つ咳払いをした。
「すまない、馬鹿にしたつもりはない。許してくれ」
「……じゃあ、なんで笑ってたんですか」
別に馬鹿にされても構わなかったが、わざと拗ねた声色で尋ねてみる。
「予想の範疇を超えていた。理想も夢も、人にとっては大切なものだ。……だから、本当に馬鹿にするつもりはなかったのだ。すまない」
そう言って、私に向き直って謝る彼の目は優しげな色をしていた。
ふふふと笑いながらも、脳内で狡猾な私が顔を出した。
今だ。
このタイミングで切り出すべきだ……と。
「取引をさせてください、副隊長」
私が口にした「取引」という言葉に、シュタインは再び興味深そうな目を向けてきた。
「私の今後についてはどのようにお考えでしたか」
まずは相手の出方を確認するために質問すると、彼はこう言った。
「お前の追跡を巻くスキルは有用だ。憲兵達に、その技術と対策方法の伝授をして欲しい。その代わり、身元や衣食住を我々が保証しよう」
身を寄せる家も、助けを求める相手も無い私からすれば願っても無い申し出だ。
が、もう一歩。こちらの要求を通したい。
私は、相手に理解してもらえるように言葉を選んで反論した。
「口頭の説明だけでは、イレギュラーに対応する力は身につきません。実際、訓練を経たあと、実践で先輩達から学ぶことも多かった」
私はきっぱりと告げた。
「保護の対価として、私の持つ技術は可能な限り、あなたの部下に伝えます。ですが、それだけでは足りないでしょう」
私は立ち上がり、彼に対して深く頭を下げた。
「私の依頼……この世界に来てるかもしれない、行方不明者を探すため、ある程度の自由な行動を許可してください。その代わり、私もあなたの『駒』になります。この街で起こる事件の調査に、私のすべてを懸けて協力すると誓います」
シュタインは数秒間黙って私を見つめた後、ふっと息を漏らすように笑った。
「面白い。こちらに恩を売るように言っているが、目当てはその『自由行動』の権利だな?」
「……バレましたか」
予想通りの会話の流れに、心の中でニヤリと笑う。
彼が相手の場合、バレた方が好都合だと踏んだのだ。私が、こんな駆け引きもできるのだと、有用性を示せればそれでいい。
「わかった。その取引を受けよう。だが、上層部の許可が下りるまで、数日はここでおとなしくしてもらうぞ。無論、監視付きだ」
どうやら、私の打算に満ちた行動はシュタインのお気に召したらしい。
こうして、私の異世界での生活拠点は憲兵詰め所の一室になったのである。
◇
軟禁生活が始まって三日。
私は、たまに電話が繋がらないかと試しながら羅針盤を眺める生活を続けていた。
シュタインに羅針盤を渡し、彼に探してもらう方法も考えた。
が、彼が持った途端、羅針盤はまた狂ったように回り始めてしまい、この方法は却下となったのだ。
自由への許可が降りるまでは、動けないことが確定した今。私は暇を持て余していた。
「焦っても、ダメよね」
一人呟くように言った私の部屋に、ノックの音が響いた。
「あ、」と思うと同時に、許可を出す前にシュタインが入ってくる。
相変わらずの無表情で入室して来た彼は、一枚の羊皮紙を私の前に置いた。
「退屈しているかと思ってな」
「……これは??」
数枚の羊皮紙を受け取る。そこに書いてある文字も、文字としては読めないが、翻訳されたように頭の中に意味が流れ込んできた。
「ある事件の調書だ。少々捜査に行き詰まっている」
シュタインは私の目をじっと見つめた。
「蒼が言うところの、謎を解く探偵とやらが、我々にも欲しいところだ」
薄く笑みを浮かべ、その目に挑戦的な光を宿しながら彼は言った。
「不可思議な謎とやらを聞く気はあるか?」




