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興信所の者ですが!!〜事件を解決するたびに、仏頂面の狼獣人副隊長の尻尾が揺れるんですけど!?〜  作者: 三來


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02.稀人(まれびと)と憲兵副隊長


 状況を飲み込みきれない私の鼻をついたのは、湿った土と、古びたカビが混じり合った、息苦しいほどの悪臭だった。


 耳に届くのは、意味は理解できるのに、音としてはまったく知らない異国の言葉。


 そして、私の手の中には、あの羅針盤がまだあった。

 針はもう回ってはいない。ただ静かに、この世界のどこか一点を指し示している。


「……嘘でしょ」


 これは、夢じゃない。


 ジンジンと痛みを届ける頬と唇が、脳内に無情な現実を伝え続けていた。


 とは言え、すぐに受け入れられるはずもなく、縋るような思いでポケットからスマートフォンを取り出す。


 画面の右上には、当然のように「圏外」の二文字があった。


 半分ほどになっているバッテリー残量が、やけに絶望的に目に映る。


 それでも、諦めきれなかった。


 祈るような気持ちで、履歴から健吾の名前をタップする。


 無音。

 コール音さえしないことに、ひどく落ち込んだ。


 やはり無理か……。私がスマートフォンを下ろそうとした、その瞬間だった。


『――もしもし、蒼? 』


 繋がった。繋がったのだ。


「も、もしもし!! 健吾、聞こえる!?」


 嬉しさのあまり、上擦った声で返答するも、続いて聞こえてきた声は酷く途切れ途切れだった。


『どう…た、ぜんぜ…きこ……酷くて…………』

 

 こちらと同じく、健吾の方も私の声が途切れて聞こえているようだ。


「健吾! 助けて! 私、知らない場所に……!」

『は…な…言って………』


 そこまで聞こえたあと、無情にも通話は完全に途絶えた。

 画面を見るとやはり「圏外」だ。


 その後、何十回と試したものの繋がらない通話に、とうとう私は履歴を押す手を止めた。

 

 けれど、確かに一回は繋がったのだ。

 

 ほんの一回起こせた奇跡。


 それだけで、正気を保てる気がした。


 今は無理でも、もう一度連絡が取れるチャンスがあるかもしれないと、思考を無理やり切り替える。

 

 まずは、どこか安全な場所へ移ることを優先しよう。


 私はゆっくりと立ち上がり、カビ臭い路地裏から大通りへと震える足を踏み出した。



 大通りに出た私の目に飛び込んできたのは、あまりにも信じられない光景だった。


 中世ヨーロッパのような石畳の道を荷馬車が行き交う街並み。

 その上、道行く人たちの中に、獣の耳や尻尾を生やした者たちが、当たり前のようにいるのだ。


「尻尾が、動いてる……」


 あまりの光景に脳が処理しきれず、立ち尽くしてしまう。


「映画の、撮影……とか……」


 現実逃避をしかけるものの、さきほど嗅いだ裏路地のカビ臭さが、この場所が映画のセットではないと突きつけるように鼻に蘇った。


 とにかく、誰か親切そうな人を探してみよう。


 何か聞き出せそうな人はいないかと、視線を彷徨わせる。


 すると、通りの向かいにいた揃いの制服を着た二人の男と目が合った。


 こちらに気づいた二人は、腰に剣を帯びている。


 街の治安を守る兵士か何かだろうか。

 それなら、彼らに聞けば何か教えてもらえるかも……と、思い当たったあと。


 私はスマホの存在を思い出した。



 もし。もしもだ。

 

 もしも、ここが本当に異世界なのだとしたら……このスマホは、取り上げられてしまうかもしれない。


 そう思い当たった私は、可能な限り自然な動きに見えるように努めながら、元の裏路地の中へと戻った。


「おい、待て! そこの女!」


 背後から声が飛んでくる。

 

 それはそうだろう。

 身なりも違う女が、目が合った途端に裏路地へと入ったら追いかけたくもなるはずだ。


 仕方なかったとは言え、あまりにも怪しい立ち回りをしてしまった自分に舌打ちが出た。


 それでも、頭を必死にフル回転させる。



 パニックは後回しだ。


 興信所で培った追跡を気取らせない為の変装方法を駆使するため、必死で思考を回した。


 まずは目立つ服装から。


 人波に紛れながら、私は着ていたスーツのジャケットを脱ぎ捨て、通り過ぎ様に荷車の隅に押し込んだ。


 次に、きつく結んでいた髪をほどき、わざと無造作にかき乱す。


 本当は靴も変えたいところだけど、替えなんてあるわけもない。


 せめて撹乱になれと願いながら進行方向とは別の裏路地に投げ込んだ。


 裸足のまま、人と香辛料と獣の匂いが渦巻く市場を抜ける。


 ざらついた石畳が、容赦なく足に突き刺さった。鈍い痛みに耐えながら必死で建物の影に隠れた私は、そっと追手の様子を窺う。


 彼らはまだ私を探していた。


 服装を変えたおかげか、私の今の居場所までは把握できていないようでキョロキョロと辺りを見渡している。


 それでも時間の問題かもしれない。


 私のように黒い髪の人間はこれまでの道中で見かけなかった。

 これでは、人々の記憶に残りやすいだろう。


 聞き込みをされれば、どこに隠れても見つかってしまいそうだ。


 どうしたものかと考えながら、足早に細い路地を進んだ……その先だった。


 路地の出口に、不意に大きな影が立ち塞がったのだ。


「……っ!!」


 先回りされた!?


 冷や汗をかきながら身構えると、その影はゆっくりと近寄ってきた。


 精悍な顔立ちに、鋭いグレーの瞳。


 整ってはいるが、無精髭がその印象を少しばかり無骨にしていた。

 着ている服は、先ほどの兵士たちと揃いだが、階級を表すような肩の飾りが付いていた。


 そして何よりも目を引く、黒い獣の耳。


 そんな彼の手には、私が先ほど捨てたはずのジャケットと靴が握られていたのだった。


「……拾ってくださって、ありがとうございます」


 何も言わずにこちらを見下ろす男に、私は愛想良く笑いかけてみた。


 ただ落とし物を拾ってくれただけ、なんて1%にも満たないだろう可能性にかけてみたその直後。

 先ほどの追手の兵士たちが、慌ただしく路地に駆け込んでくる。


「シュタイン副隊長!! 」

「不審な女め、貴様、何者だ!!」


 あ。終わった。


 この場を離れられる可能性が消えたことに、ため息が出そうだ。


 それでも、どうにか切り抜けられる上手い言い訳はないかと考えたその時。


 副隊長と呼ばれた獣の耳を持った彼は、静かに、しかし有無を言わせぬ声で彼らに告げた。


「この者は“稀人”《まれびと》だ。国の在り方すら変えかねん存在故に、お前たちが手を出していい相手ではない」


「ま、稀人、ですか!?」


 その彼の言葉に、兵士たちが驚愕の声を上げた。



 まれびと。



 

 聞き慣れない単語に、言い訳を考えていた私の頭はフリーズする。

 

 何のことか、さっぱりわからない私を他所に、シュタインと呼ばれた男は、兵士たちを一瞥して鋭く指示を飛ばした。


「持ち場に戻れ」


 低い声の威厳に満ちた響きに、即座に彼らは敬礼を残して退散していった。


 取り残され、静かになった路地裏で彼は私に向き直る。


「靴を履くといい。そのままでは血が出るぞ」


 その言葉に、私は自分の足元に視線を落とした。

 ジンジンと痛む足の裏を確認する。

 汚れ、ストッキングが破れてはいるものの幸運なことに傷はなかった。


「ありがとう、ございます」


 無表情のまま差し出された親切さに、警戒しつつも、ほんの少しだけ安堵する。

 感謝を伝えた私は、差し出された靴を受け取り、汚れを払ってからそれを履いた。


 


 もしかしたら、悪いようにはされないかもしれない。

 そう考えた私は、彼に尋ねてみることにした。


「……まれびととは、なんでしょうか」


 一番気になったことを、おそるおそる尋ねた私に、彼は表情を崩さぬまま答えた。


「“稀人”とは、ごく稀に別の世界から現れる者の総称だ」


 別の世界から現れる。


 その言葉に、先ほどまで隅に押し込んでいた現実が戻ってきた。


 なんで、どうして、ほんとうに?


 脳内で暴れる、取り止めのない疑問を無理やり落ち着かせ、今この場で必要な質問をどうにか選び取る。


「……どうして私が、そのまれびとだと思うのです??」


 その私の問いに、彼は落ち着いた声でこう言った。


「警邏中、私は人通りが少ない建物の裏を注視するようにしている。……お前が現れた路地裏もだ」


 と、言うことはである。


「私を見てたんですか……最初から」


「ああ。何もない空間から現れ、そして大通りに出た後も全て。その間、ずっと観察していた。稀人がどのような人間なのか、知る必要があったからな」


 彼の言葉に、背筋が少しだけ冷たくなった。


 強張っているだろう私の顔を見ながら、彼は続ける。


「追手を巻く手際は見事だった。……お前、何者だ」


 全部、全部見られていた。


 もう、ここまできたら観念するしかないだろう。


 正直に答えた方が心証がいいに違いないと、私は覚悟を決めて息を吸った。


「水瀬蒼、27歳。職業は、興信所所長です」


「……こうしんじょ?」


 初めて聞く単語に、彼がわずかに頭を傾げた。

 合わせてピクリと動く耳に、場違いにも心が和らぐ。


「私の仕事は、人の行方を探したり、依頼を受けて人を追跡して証拠を揃えたり……まぁ、簡単に言えばそういう仕事をしていました」


 私の説明を聞いた彼の瞳が、興味深そうな光を宿した。

 まるで、監視対象が思わぬ拾い物だと言わんばかりに。


「面白い」


 ――その言葉とともに、彼の口元がわずかに歪む。

 初めて崩れたその顔は、ニヤリと楽し気に笑っていたのだった。



 狼獣人、エドヴァルト・シュタイン。


 憲兵隊副隊長である彼との運命は、こうしてはじまったのである。


 



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