13. 距離感と裏商人の嘘
「ち、近いですっ!! 」
私のその叫び声が、静かな廊下に反響した。
ハッとしたように、エドヴァルトが体を引く。
これでようやく、私のパーソナルスペースが確保された。
熱くなる頬を抑えて目の前のエドヴァルトを見ると、彼は不思議そうに首を傾げていた。
その整った顔には、照れも、気まずさもない。
純粋に「何か問題でもあったか?」と言いたげな、キョトンとした表情だった。
……の、だけれど。
彼の視線が、ほんの一瞬だけ私の頬を見て、次に自らの手に向かったのを私は見逃さなかった。
彼が小さく息を吐く。その音が、妙に鼓膜に響いた。
無意識のような彼の動作。その一瞬の揺らぎに、私の心臓が再び跳ねる。
いや、落ち着け私。
ここは異世界。相手は獣人だ。
仲間を心配して頬に触れるくらい、彼らにとってはごく当たり前のスキンシップなのかもしれない。
それなのに、いちいち過剰反応していたら、これから先、彼の「直属」なんて務まらないかもしれない。
何より今は仕事中だ。
まずは仕事。余計な想いは後回しにしなくては。
私は深呼吸をして、必死に自分に言い聞かせた。これは仕事仲間としての信頼の証。それ以上でも以下でもないのだと。
繰り返し繰り返し、落ち着けと頭の中で唱える。
それでも、しばらくの間、私の鼓動は落ち着いてはくれなかったのである。
◇
私たちは場所を変えるため、アレクサンドラ隊長の執務室へと向かって廊下を歩いていた。
隣を歩くエドヴァルトはしばらく黙ったままだった。
それに倣い、私もまた静かに歩みを進めていると、エドヴァルトが不意に口を開いた。
「……蒼」
「はい?」
「さきほどの尋問室でのことだが」
エドヴァルトは前を向いたまま、低い声で言う。
「私の指示のせいで、狂信者に稀人だと明かしてしまった」
彼の声には、悔恨の色が滲んでいた。
実際のところ、アーガイルの動揺を誘えるなら、正体を明かすのも悪くないと思ったのだ。
狂信者がいる実情を知らなかったとは言え、私自身も使える手だと思って乗ったのだから、気に病んでほしくは無い。
「あの場で変装を解く決断をしたのは私です。結果的には、そのおかげで情報が手に入りましたし、何も気にすることはありませんよ」
「……相手は裏社会の人間だぞ。しばらく牢屋行きとはいえ、自由になった後のことはわからん。……本来なら、もっと慎重に動くべきだった」
自分を責めるように呟く彼。
その真面目さと、不器用な過保護さが、今の私にはくすぐったく、そして何よりも心強かった。
そこまで気にしなくてもいいはずなのだ。
……だって、私はいつか、元の世界に帰るつもりなのだから。
でも、帰る手段もわからないのに、そのまま伝えるのは少し無責任なような気がした。
その代わりに、私は彼の顔を見上げて、悪戯っぽく笑ってみせる。
「大丈夫ですよ。いざとなれば、頼れる上官が守ってくれると信じていますので」
私の言葉に、エドヴァルトは一瞬足を止め、私を見た。
そのグレーの瞳に、強い光が宿る。
「……ああ。必ず守る。指一本触れさせん」
あまりにも真剣で、誓いのような言葉だった。
冗談めかして言ったつもりだったのに、正面から受け止められてしまい、私は再び顔が熱くなる。
「……はい。頼りにしています」
もう二度とからかい混じりにこんなことを言うまいと、私は密かに誓ったのだった。
◇
隊長の執務室へ到着した私たちは、アーガイルへの尋問で得た情報を報告した。
「なるほど……。裏社会に精通する『稀人』とはな……」
聞き終えたアレクサンドラ隊長は、険しい顔で腕を組み、天井を仰いだ。
「問題は、その稀人がなぜ、裏商人を介してまで『稀人の遺物』を集めているかだ」
「故郷への郷愁で集めている、という線も考えられますが」
私が意見を述べると、エドヴァルトが首を横に振った。
「それにしてはやり方が強引すぎる。それに、アーガイルの証言にあった『高値で買い取った』という点も解せん。異世界から来た者が、我々の情報網を掻い潜り、それほどの財産をどうやって築いた?」
確かにそうだ。
私が生活の基盤を整えられたのは、憲兵団の力添えがあったからに過ぎない。何も知らない「稀人」が、裏社会の人間を金で動かせるほどの財力を短期間で持つには、相当な無理がある。
議論が行き詰まりかけた時、ふと、尋問室でのアーガイルの表情が脳裏をよぎった。
――『いい金額で売れたぜ!!』
あの時、彼は下卑た笑いを浮かべていた。
けれど、その直後に「あの方」のことを口にした時、彼の瞳には恐怖とは違う、ある種の熱っぽい光が宿っていたように見えた。
あの信仰を色濃く乗せた熱を、売りつけたと言った時には……全く感じなかったことに気がつく。
商人の顔と、信徒の顔。その二つが持つ違和感。
「……そもそも、その『金』の話自体が、カモフラージュだとしたら?」
私の呟きに、アレクサンドラ隊長が鋭い視線を寄越す。
「どういうことだ?」
「アーガイルは狂信者です。神と崇める相手に、対価として金銭を要求するでしょうか」
隊長がハッとして、そしてすぐに納得したようにニヤリと笑った。
「なるほど。奉仕は無償であってこそ、か。ならば奴は、稀人の遺物を『売った』のではなく、『献上した』と考える方が筋が通る」
「ああ。だが、そのまま話せば憲兵に怪しまれる。だから、あくまで『商売』として取引したように証言した……というのが真相か」
エドヴァルトも同意したように頷く。
裏で糸を引いている稀人が、自分の存在を他言するなと命じ、アーガイルはその命令を守るために「売買取引」という嘘を咄嗟についたのだろう。
「だとしたら、金の流れを追っても『あの方』には辿り着けんということか」
アーガイルの取引の足取りからは追えない可能性が強くなってしまった。
口を割らないアーガイル。偽装された取引。
手がかりはまたしても、霧の中に消えようとしていた。
部屋に重い沈黙が落ちる。
アレクサンドラ隊長が、忌々しげにデスクを指先で叩いた。
「厄介なのは、『あの方』の居場所だけではない。アーガイルがそこまで庇い立てし、恐れる相手だ。アーガイルだけではなく、他の狂信者を手足のように使っている可能性もある」
「……うかつに手を出せば、暴動になりかねないと言うことか」
エドヴァルトの言葉に、隊長は深く頷いた。
「ああ。相手が尻尾を出さぬ限り、我々憲兵隊としても、表立っての強制捜査は難しい。疑わしいというだけで拘束すれば、狂信者だけでなく一般信者も黙ってはいないだろう」
つまり、手詰まりだ。
相手の素性も、居場所もわからないのに、こちらからは強制的に動けず……また、何も動かなければ手がかりは永遠に掴めない。
それでも、どうにかして、その稀人に近づき調査したいと言うのが、憲兵団としての見解だった。
私も同じ気持ちだ。
その正体不明の稀人は、行方不明者のスマートフォンを持っているであろう人物だ。
それに、もしかしたら裏からの方が、行方不明者も……そして、その父親のことも何か掴めるかもしれない。
この糸口を逃したくはなかった。少しの可能性でも追いかけたかったのだ。
「……一つだけ、相手をおびき出す方法があるかもしれません」
私の言葉に、二人の視線が集まる。
私は一度息を飲み、覚悟を決めて口を開いた。
「……稀人の遺物を集めているのなら」
そして、それを手に入れるためなら、裏社会の人間を使うことすら厭わない。
それならば。
向こうが動かざるを得ないような「餌」を、こちらから撒けばいい。
続きを話そうとする声が少し震える。
それでも、一番手早く、そして確実に相手に辿り着ける可能性のある作戦のはずだ。
私は真っ直ぐに二人を見て、続けた。
「私自身を、囮として使ってください。私が『稀人』として表に立ち、稀人の遺物を高値で売ると触れ回れば、必ず相手は接触してくるはずです」
今の膠着状態を打ち破る手は、それしかない。
「稀人」としての価値を最大限利用する作戦を、私自ら、思いついてしまったのである。
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