お嬢様 『秩序と混沌のあいだで』
アルテミスビル6F。窓の外には遠くに無数のコンテナクレーンが赤い警告灯を瞬かせ、明日の舞台となる臨港道路のシルエットが黒々と伸びていた。
アルテミスのメンバーは大きな円卓を囲み、コース図面と資料を前にしていた。
「スタート信号が可変式。ここで出遅れれば即、致命傷ね」
副総長・梓が指先でスタート区間を叩く。世界的IT企業の創業者の娘らしく、冷徹にデータを読み解く声だ。
「AIのスタート予測アルゴリズムは組んであるけど、結局はライダーの反射神経勝負。全員、シミュレーターで慣れておきなさい」
「ふふ、信号の揺さぶりなんて所詮心理戦。わたくしたちが動じるわけがありませんわ」
総長・雅が長い睫毛を伏せ、紅茶を傾けながら優雅に言う。その余裕に、場の緊張が少しほぐれた。
「問題は区間Aの可動橋……あそこ、グレーチングの鉄板で滑ります」
宗子が工学的な見地から補足する。
「RE400Rのロータリー改はトルクが鋭いから、下手に開けると後輪が逃げる。トラクションマネジメントをきちんと組んで走らないと」
「私は二層高架のほうが厄介だと思うわ」
エマが指摘する。
「上層は横風、下層はライトの乱反射。ライダーの視覚に直接ダメージを与える区間。ここで隊列が乱れやすい」
「だからこそ、“隊列維持区間”のボーナスを狙うには、あえてそこを整えて見せつけるのが効果的ね」
麗子が指先で資料の「隊列ボーナス+3pt」を示し、涼やかに微笑む。
「金融の世界でもそう。リスクが最大の局面でこそ、一糸乱れぬ秩序が最も価値を持つのよ」
「なるほど……わたくし達が乱れなければ、他チームは必ず焦るわ」
琴音が頷く。
「区間Cのサイロ回廊は電子罠ですわよね。センサーを信じすぎたら命取り。目と直感で走るべき」
彩が父譲りの冷徹な分析を口にすると、場が引き締まる。
「電子の時代だからこそ、人間の感覚を試される舞台……皮肉ですわ」
「最後のクレーン群テクニカルは、わたしに任せて」
あかねが拳を握る。警察一家の血を引く彼女は、減速と立ち上がりの基本動作に絶対の自信がある。
「ここで相手を抑え込み、隊列を整える。最後のドックゲートまで、アルテミスらしい秩序で突き進みましょう」
全員の視線が雅に集まる。総長は紅茶のカップを置き、静かに口を開いた。
「明日の舞台は“混沌の港”。だが、わたくしたちは常に“秩序の女神”として走る。乱れず、怯まず、ただ美しく」
彼女の言葉に、メンバー全員が無言で頷いた。
窓の外、港の闇に浮かぶクレーン群が、明日の戦場を予告するかのように赤い光を点滅させていた。
同じくアルテミスビル5Fルナゴスペル作戦室
ルナゴスペルの隊長・美奈子は腕を組み、正面のコースマップを睨みつけていた。
「いいか、明日のコースは“乱戦上等”だ。アルテミスが隊列維持で点を稼ぎにくるのは見え透いてる。なら、こっちは逆だ――分断してやる」
千秋が口の端を吊り上げる。
「臨港道路の可動橋。あそこでブロックすれば、アルテミスでもバラけるんじゃねえか?」
「それならアタシがやるわ」
涼子が即答し、ライダースジャケットを鳴らす。
「ブレーキングでかき乱して、後続を押し込む。混沌こそ、ウチの舞台」
「ふふ、俺達の歌は夜の闇に響くもの……」
沙耶香が詩人めいた口調で笑うと、新メンバーの玲奈と千鶴、ひなたが顔を見合わせた。
「でもさ、クレーン群のテクニカルは相当狭いんでしょ? 乱戦仕掛けすぎて自爆したら意味ないじゃん」
玲奈が現実的な声を出す。
「そこは千鶴が抑える。ライン取りに関しては一番冷静だから」
美奈子の視線が鋭く走る。
「ひなたはブロックよりサポートだ。仲間が抜け出す道を切り開け」
「はいっ!」
ひなたが元気よく返事をすると、場の空気が一瞬だけ和らいだ。
美奈子は再びコース図に視線を戻す。
「アルテミスは“秩序”。ウチは“混沌”。それでいい。明日、港を制するのはどちらか答えは夜が教えてくれるさ」
「ところで今日のス―パーシュミレターの時間は、押さえてあるのか?」
「はい、午後4時からは、時間無制限で」
千秋が答える。
「まあ、明日が本番だ。今日はポイントになる部分だけで2時間位で終えよう。そのあとはシャワーを浴びゆっくり食事だ。無駄な体力は消費するな」
「ふふふ、今日のために、みちるオネエ様が、沢山のスィーツ持ってきてくださるそうだから、すんごく楽しみ」千鶴は、なぜかそちらの方に頭が持っていかれてるようだ。
横浜・本牧ふ頭の片隅、港湾倉庫を改造した秘密のガレージ。
不如帰の隊長 蓮 は、愛機FZR-1000のサイドカウルを外し、最後の点検をしていた。
周りにはチームメイトたちが整備や走行データの確認をしている。
「……明日の三島は、勝ち負けにこだわる場じゃねえ」
蓮は工具を置き、仲間たちに振り向いた。
「アルテミスもルナゴスペルも、それぞれ背負ってるもんがデカい。
けど俺たちは違う。俺らは“速さ”そのものを証明する。
ただそれだけだ」
仲間の一人が笑う。
「いつも通りってことだな。走り屋の誇りを見せてやるだけ」
ガレージのシャッターが半分開け放たれ、外には深夜の埠頭道路が伸びている。
テスト走行に出たメンバーのFZRが甲高い吸気音を響かせ、
スチールの橋を抜けるときにタイヤがわずかに滑る音が返ってきた。
「潮風が強ぇな……明日も橋の区間は荒れるぞ」
「電子制御に頼るチームは、あそこで足をすくわれるかもな」
蓮は静かに頷いた。
「だからこそ俺たちの“感覚”が活きる。
FZRは古いが、マシンと俺らの一体感はどこにも負けねえ」
その言葉に、仲間たちの目が鋭く光る。
彼らにとって三島の試練は、ただのイベントではない。
走り屋の矜持を世に示す、唯一の舞台。
「よし、最後にもう一本流してくる。
夜明けまでに“身体”を路面に合わせとけ」
蓮がFZRに跨る。
ガソリンの匂いとともにエンジンが目を覚まし、
横浜の夜に咆哮が響き渡った。
アルテミスビル5階ラウンジ
重厚なシャンデリアの下、アルテミスの面々がテーブルを囲み、作戦図を睨んでいた。
空気は張り詰め、まるで一触即発。
そこに、華やかな笑い声が響いた。
「ちょっとぉ〜! せっかくのお顔が緊張で台無しよ?」
軽やかなハイヒールの音とともに入ってきたのは、ルナヴァイオレットの いずみ。
彼女は芸能人御用達、予約が日本一取れない美容室のオーナー兼スタイリスト。 トレードマークのオネエ口調で場を一気に明るくした。
「……いずみオネイ様!」
彩が思わず立ち上がる。
「緊張は美の大敵。髪も心もリラックスしなきゃ!」
そう言っていずみは、麗子の髪に軽く触れ、即席で結い直してみせる。
あっという間に気品と華やかさが倍増し、周囲から「おぉ…」と感嘆の声が漏れた。
続いて現れたのは、正座も凛と決まる着物姿の しおん。
「わたくし、しおんでございます。この場に花を添えられればと」
そう言って取り出したのは、彼女が生けた見事な一輪の花。
机の中央に置かれると、不思議なことに緊張感がすっと和らぎ、
その空間自体が柔らかな雰囲気に包まれた。
さらに、香ばしい甘い匂いと共に登場したのは みちる。
「横須賀本店から特製ケーキを持ってきましたの。支店でも即完売する一番人気よ」
美しく飾られた小箱が開かれると、色とりどりのプティフール。
宗子や琴音が思わず手を伸ばし、ほころんだ笑みを見せる。
その隣で、しなやかに佇むのは呉服店跡取りの あやめ。
「皆さまの健闘を願い、特別に誂えたお守り布をお持ちしました」
それは彼女がデザインした縮緬の小さな切れ端――たった一片でも、三十万円以上する呉服の生地。
アルテミスのメンバーは驚きながらも、その手触りに心が落ち着いていくのを感じた。
最後に、眼鏡を外して柔らかく微笑んだのは ひまり。
人気小説家であり、映画化作品を何本も持つ超売れっ子。
「明日という舞台で、あなたたちが紡ぐ物語は必ず美しい。
不安も恐れも、物語の一部。結末を彩るための伏線にすぎないわ」
作家らしい言葉に、梓も雅も思わず肩の力を抜いた。
華やかなルナヴァイオレットの面々が場を和ませたあと、
もうひとつの扉が静かに開いた。
入ってきたのはルナゴスペル。
先頭の 美奈子が歩みを進め、アルテミスの総長・雅の前に立つと、
深々と頭を下げた。
「アルテミス……。私たちは、あなたたちにここまで導かれた。その恩を忘れたことは一度もない」
梓が小さく微笑んで答える。
「美奈子。あなたたちはもう、立派に自分の道を切り拓いてるわ。
恩だなんて思う必要はない」
だが、美奈子は静かに首を振る。
「いいえ。私たちはアルテミスに憧れて走り始めた。明日はライバルとして全力で戦うけれど……心の底では、ずっとあなたたちを敬っている」
最後に雅が言葉を締める。
「明日、道の上で会いましょう。
互いの全力を尽くして最高のステージを作るために」
美奈子も力強く応じる。
「ええ。アルテミスの誇りを胸に、ルナゴスペルも走ります!」




