お嬢様 『免許取得、国家プロジェクト級』
「皆さん。2週間後のゴールデンウィークを利用して、免許取得の合宿を行いますわ」
昼食をとっていた個室で、雅がさらりと告げた。
「合宿免許ですね。たしか最短で9日間で卒業できると聞いたことがありますわ」
麗子がすぐに反応する。
「さすが麗子さん、よくご存じで」
「でも、9日って言っても人によっては延びることもありますよね?不合格になったら……居残りですか?」
「いいえ。9日で必ず卒業していただきます。
しかも、ただの卒業ではありません。
レディースとしてのドライビングテクニックも、しっかり身につけていただきますわ。
場所は、熱海にある学校を用意しました」
麗子は心の中でつぶやいた。
(やっぱり……熱海の自動車学校、買い取ったのね。しかも2週間で合宿の準備まで整えるなんて。さすが三条財閥。うちでも1ヶ月はかかるわよ。生徒の転校手続きに、公安委員会への根回し、地元との調整、職員の待遇交渉……それを2週間でやるなんて、あの人にしかできないわ)
「合宿、楽しみですわね。生徒会の合宿以来ですわ。
会長、熱海ということは……温泉も?」
「もちろん。温泉もサウナも完備してあります。楽しみにしていてくださいね」
「あの、教習用のバイクって、必要ですか?」
「それも宗子さんにお願いして、皆さんの体格に合わせて準備してもらいますわ」
合宿当日になった。
「な……なんですか、ここ……?」
目の前に広がる光景に、誰もが言葉を失った。 確かに教習所ではある。だが、その周囲には本格的な国際規格のサーキットが併設されていた。
しかも、世界的に有名なコース設計者による設計。
ナイター設備完備、ピットは8基。まるでプロのレース会場そのものだった。
「では、教官の先生方をご紹介します。皆さんには、テクニカルアドバイザーと日本の教習資格を持つ先生、2名体制で指導にあたっていただきます」
テクニカルアドバイザーとして紹介されたのは
マルケス先生
ベグナー先生
アントニオ先生
マルベリア先生
アコスタ先生
ジーコ先生
アルレグラ先生
ミラー先生
……ちょっと待って。なんで世界の2輪選手権で上位にいるライダーたちがここに!? アントニオが小声でつぶやく。
「お前ら、どうやってランキング戦休んだんだよ?」
「食あたり。手紙にそう書けって指示があった」
「俺は歯痛」
「俺は……痔」
「リュウマチ……」
「プッ……お前まだ23歳だろ」
「笑うな!ミラーなんか“ジステンバー”だぞ」
「それ犬の病気じゃん!」
ミラーは顔を真っ赤にして吠えた。「ワン!」
彼らを揃えるために、雅はレース団体にこう迫った。
「来年度のスポンサー費用を3倍にするか、日本の全2輪メーカーが撤退して新団体を作り、そちらに資金を回すか、選んでください」
答えは、言うまでもなかった。
さらに、個別に送られた手紙には、 拘束日数10日、日当1億円、病名を申告すれば公休が認められること、 そして、担当する生徒の実家が今後10年間、レースのスポンサーになるという破格の条件が添えられていた。
「お前ら、スポンサーどこ?」
「三条財閥」
「サクラ銀行グループ」
「木田モーターレーシング」
「ビッグデータ社」
「さすがに大手ばっかりだな……ミラー、お前は?」
「MPD」
「……どこ?」
「日本の警視庁……」
またミラーが顔を赤らめて吠えた。「ファンファンファンファン~」
「それより、お前らあのスクーター乗ってみたか?」
「え?スクーターでテクニック教えるの?」
「乗ってないのか?あれ、化け物マシンだぞ」
KIDA-RS400ルナ・水冷4気筒スーパーチャージャー付きDOHCエンジンに、7速オートマチックギア。
ビッグデータ社と共同開発した高性能CPUで、ATとセミATの切り替えが可能。 最高回転数は12,000rpm、出力70PS。
レーシングモードやオーバーテイクボタンまで搭載されている。
「スケジュールはこうなっています。午前は学科、午後はレーシングテクニック、夜は免許取得の実技講習です。では、9日間よろしくお願いします」
日本人教官がぽつりとつぶやく。
「……俺たち、必要あるのか?」
麗子は軽いショックを受けた。
(さすが会長……私たちの予想を軽く超えてくる。あかねちゃんと打ち合わせてたのは、警察対策じゃなくて土地の買収やったんやね。
あの名門ゴルフ場を潰してサーキットにするなんて。
そして工事は琴音ちゃんの家、マシンとレーサーは宗子ちゃん……三条財閥にしかできない発想やわ)
午後。 陽炎が揺れるサーキットのピットで、彼女たちはレーシングスーツに身を包んでいた。 初めての実車に、緊張と期待が入り混じる。
目の前には、世界トップクラスのプロレーサーたち。 彼女たちの指導にあたるのは、ヨーロッパのレースから一時来日した本物のライダーたちだった。
マルケスが口を開く。
「まずは、エンジンの息づかいを覚えろ。メーターじゃなく、音で回転数を感じるんだ。メーターを見てる暇なんてないからな」
そう言って、彼はスクーターにまたがり、出発の合図を送る。 ヘルメットにはインカムが仕込まれ、教官と常時つながっている。
「アクセルは急に開けるな。撫でるように、そっとだ。俺の速度に合わせろ」
初めて聞くエンジンの音、身体に伝わる振動。 雅は、自分の鼓動とエンジンの回転がシンクロしていくような感覚に包まれながら、マルケスの後を追う。
「次は恐怖心との勝負だ。同じ姿勢、同じ速度でカーブを抜けろ」
目の前には、緩やかなカーブ。 雅は唇をきゅっと結び、マルケスの動きを真似てコーナーに入る。 恐怖はあった。でも、同じように走れば、驚くほどスムーズに曲がれた。
(……さすが世界ランカー)
コース取り、速度、姿勢――どれも、彼らからでなければ学べなかった。 まるで、ひなが初めて見たものを親と認識するように、彼らの走りが雅の中に焼きついていく。
下手に誰かから中途半端に習えば、変な癖がついてしまう。 基本が我流になってしまえば、あとから直すのは大変だ。
「そういえば……おじい様も言ってたわ。ゴルフを始めるなら、最初は一流のプロに教わるべきだって。それが上達の近道だって」
まっさらな状態だからこそ、最初に見たものが基準になる。 生まれたばかりの雛が、最初に見た動くものを親だと思うように。
もしリスを親だと思ってしまったら、飛び方なんて覚えられない。
でも、私たちは違う。
プロの走りを最初に見て、最初に感じて、最初に真似している。 だからこそ、そのテクニックが私たちの“標準”になる。
「うん……私たち、普通の人がバイクの走りを覚えるより、10倍も20倍も多くのことを吸収してると思う。だって、こんな至近距離で、ブレーキングやスロットルワーク、体重移動まで見て、感じて、真似できるんだもの」
そのとき、インカムから声が入った。
「よし、よくついてきたな。上出来だ。ピットに戻るぞ」
エンジンの音が少しずつ遠ざかっていく。 こうして、彼女たちの1日目のテクニカルレッスンは、静かに幕を下ろした。




